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2009年9月11日 (金)

d01-年賀状とは何だ

D01
●野球とタイガース

特にファンではないが、阪神タイガースに敬意を表して、タイガースファンに使いやすい年賀状とした。時間のせいにするのは卑怯だが、出来が悪く描き殴りのままアップする事を少しためらった。タブレットで画面を見ながら、手の向くまま気の向くままペンを動かすのだが、鉛筆で描くようにはなかなかいかない。だが描き直し出来るのがタブレットの最大の強みとなる。こういう時でないとタブレットをなかなか使わないのも事実だ。それでも自分の悪い癖がそのまま出てしまった絵だ。大抵みなクセをもっている。文字を書いてもそれがでる。そのクセを丁寧に消すと万人受けする絵になるはずだが、根が尽きた。最近現場から遠ざかっているからだろうか。良きにつけ悪しきにつけ絵に対する執着心がどんどんなくなっているのがよく分かる。(楽しんでいただいている方には大変申し訳ない)

タイトルはまるで石原慎太郎の青春とはなんだ(50代以降でないと分からないかもしれない)みたいなタイトルだが、毎年年賀状を量産していると自ずと疑問に思う。当然ながら答えはない。人によって違うからだ。手書きが良い、或いは義理だ、自己主張、自己満足、意味がないから出さない、或いは無用の風習だ。全てが正しいのだと思う。出さないというのもひとつの意志だからである。

その昔、自分も確かに若き一時期に出さない時があった。必要性がなかった。しかし、時代と共に古き友人とのコミュニケーションはなくなる。その時にたった1枚のハガキがつなぐ関係もあると痛切に思い知る年代となった。そもそも学生なんかは毎日顔を合わせる場がある。会社の同僚だってそうだ。わざわざ年賀状で挨拶しなくたって、いつでも合って話すのだから、ハガキで挨拶する必然性など全くない。

しかし、会社や学校、サークル、地域コミュニティなど、人と人をつなぐ線がなくなった瞬間、年賀状のような古き風習がいきなり意味を帯びてくる。かといって用事もないのに電話したり、ハガキは送らない。そこには大儀名文がいる。年賀状はそんな名文にぴったりはまる。物理的疎遠になった人に対して繋がるたった1枚の紙切れとなり、その紙切れが何枚かたまると、今度は相手の現状の推移が分かる。こんなものいらんと思う代表の子供の写真が入った年賀状すら、その子供が少しづつ大きくなっていく経緯をみるとともに、相手の苦労も察せられる。

実質、手紙やハガキなどはメールや電話にとって代わられ、今時必要な用事をハガキで出す人はまれに違いない。唯一年賀状や暑中見舞い、引越のお知らせなどが、残っているに過ぎない。

年賀状って何なのだろう。その答えはない。それは、出す人出さない人の数の分、それぞれの気持ちの中にあるからだ。

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