e02-判子と情報の伝達
これも毎年、定番のように入れている判子型年賀状だが、今年は少しだけカタチをかえた。例年は四角い判子だったのだが、今回は丸にした。意味はない。あと、出来るだけシンプルにしている。少しづつ手を入れている度にゴテゴテとして飾りが多くなった気がしたからだ。思い切り省いてスタンプ強調型となっている。本来スタンパーのかすれも表現したい所だが、リアリティを追求したら、写真にはかなわない。分かりやすくする為には常にどこかを省略する必要もある。
もともと判子やスタンプは、省略の見本みたいな存在である。線が細いとかすれる、太いと潰れる。過酷な条件の下で有る程度の太さで構成されたマークみたいなものだ。スタンパーや朱肉で押された印には有無を言わせぬ大きな力がある。しかも簡単な絵や文字でも伝わる情報量が意外に大きい。日本では各種証明書は、未だにハンを押したように、ハンを押せと言う(実に妙な表現だ)。判子の値打ちが廃れない。同じものを複製する目的にも関わらず、二度と同じものが出来ない。押す度に表情が変わる。力強く押された印、かすれた印、そこにはまるで押した人の意志までが再現されているような気がする。
意志や情報の伝達は、中間が介在する度に歪む。デジタルなら同じものを複製しても全く同じだが、アナログは歪むからアナログなのだ。デジタルデータを作る側が言うのもおかしいが、そこにデジタルとは違う味わいを感じる。出来るならば、そのまま使うのも良いが、年賀状のどこかにアナログな印を残して欲しいと思う。それが例え、手で添えた文字であっても、マーカーでなぞった線でも、指紋を押そうが、口紅塗ってキスマークつけても良い。何だって良いのだ。印刷された年賀状は同じ表情のクローンだが、ちょっとだけアナログにするだけで、味わい深い年賀状に変身する。
そもそも郵便ハガキは、電子メールが発達する前は、アナログの情報伝達の王様だった筈だ。その王様がデジタル一辺倒になるのは何だか忍びない。如何にデジタル社会になろうとも、血が流れる人間は決してデジタルになろう筈がない訳で、せめて個性を追加するのは人が人である証明みたいなものかもしれない。
是非是非、何かひとつでも良いので追加してやってください。
あと、自分はこうしているという面白い案があれば是非教えてください。
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