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2009年12月

2009年12月25日 (金)

年賀状甲子園ベスト8

予選参加作品一覧

高校生の年賀状コンテストのベスト8が各高校の相互の採点により決定しました。この採点については、採点した各高校には全て公表しています。非常にレベルの高い作品が多く、1点差、2点差の僅差でベスト8が決まったブロックもあり、運不運は当然ありますが、複数の目による採点で公平な結果となりました。

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2009年12月16日 (水)

e10-ラスト年賀状

E10●ラスト年賀状

最後の1枚は文字のみだ。筆文字のようだが、Illustratorでブラシを使って作ったもので、実際の筆を使ったものではない。干支は入っていない。全部で95枚。今年は干支的に楽だったから多少とも早くできたのかもしれない。終わってみればあっという間だが、全力とは言い難く、毎年少しは進化しているというものの、全く満足出来ていないのが本音だ。

自らの年賀状を振り返ってみると、モノクロでペンで描いた手書きの年賀状から始まり、やがて印刷に回すようになり、プリンタへと変遷していったのは世の流れと同じだが、そこにかける情熱は少しづつ醒めていった感じがある。出来は当然どんどん良くなっていくけれど、自戒を込めて言えば中味が薄い普通の年賀状に成り下がってきているといっても良いかもしれない。

それは年令と共に変化していくもので、ある程度仕方がない事だろう。10代、20代は自分の存在を主張する年賀状。30代は近況を報告する年賀状。40代になると義理も混じり、50代から60代以降になると旧交を温める年賀状になるのだろうか…。世代に応じて年賀状の特性は変わらざるを得ない。それは年賀状というよりも、人生そのものと換言出来る。人は年令と共に変化をしていくものだからだ。

人と人のコミュニケーションの方法も年令と共に変化をせざるを得ない。今、自分の為ではなくて、人の為の年賀状を作っているからこそ痛切に感じる。何の為に年賀状を出すのか、どういう年賀状なら人は嬉しいのか。結果、自分が貰って嬉しい年賀状が、みんな貰って嬉しい年賀状である事に帰結する。嬉しいのは、やはり大量生産とは違う、ひとことだ。店に入って機械が話す感謝の言葉に、感動する人はいない。だけど、人が話すありがとうは気持ちがよい。生身を感じさせる年賀状が一番嬉しい。

自分に出来る事は、何か一言添えたくなるような年賀状。書かずにはいられないデザインやレイアウトになるのだろうか。我ながら、そんな高尚なデザインやレイアウトや発想をしているとはとても思えない。カテゴリの目的別や図案化した年賀状やインパクトのある元気の出る年賀状を作るだけで手一杯だからだ。

だけど、年賀状の目的は一括りには出来ない。義理の年賀状だってあるだろうし、止むに止まれず出す年賀状だってある。全ての人に手書きのコメントを強いるのは傲慢とも言える。年賀状を出さない事だって立派な自己主張とも言える。つらつらとそんな事を考えだすと堂々巡りになる。

それでも、来年は今年よりもずっと進化したものにしたいと思う気持ちは変わらない。

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2009年12月15日 (火)

e09-二つ折り

E09●二つ折り

文字を二つに折っていた絵柄を、虎の絵に変更した。文字でないとあかんやろ…と思っていた方には大変申し訳ないが、ここは絵にしたかった。このパターンは毎度の事だが、寅の文字があまりに左右対称で角張っていてつまらなかったからである。四角四面は安定感があるが面白みはまるでない。漢字だって自分の名字も田中なので、書いていてつまらないのだ。角張った名字や名前をお持ちの方は良く分かると思う。

なだらかな曲線で微妙にバランスを取ったものは見ていて楽しい筈だ。もし女性のヌードが四角四面ならば、誰が楽しいと思って見るだろうか。もし乳房が四角だったら、魅力を感じるだろうか…(かなり飛躍している)

コンピュータでデザインするようになってその曲線が簡単になった。昔は考えついた瞬間に頭から消し去っていたものだ。作る労力を考えたら現実的ではなかったからである。柔らかな曲線は人を和ませる効果がある気がする。手で描いたフリーハンドの絵も同じ効果があるのだろう。この二つ折りの紙の中の絵はそれほど曲線は使っていない。どちらかと言えば角張った絵だ。だが、非対称の奥行き感で安定感を壊してみた。

人は調和を求める人もいれば、不安定なバランスを楽しむ人もいる。何が良いと思うかは使う人次第で変わってくるので、作り手としてこれが良い、あれが良いとは言えない。おすすめさえ出来ない。千差万別な好みの中で何をチョイスしてくれるのだろう…という楽しみと、結果としての驚きがいつもある。

今年は皆どれを選ぶのだろうか…と思いつ、来年の参考にしたいと思っている。
使って頂いている方にあらためて感謝。

毎年来てくれて、使ってくれてありがとう。

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2009年12月14日 (月)

d10-卓球年賀状

D10
卓球年賀状

昨年に続き、再び卓球の登場だ。レシーブはあまり絵にならないので、どうしてもスマッシュになる。正直言ってあまり気に入らない。虎は十二支の中で楽な事は楽なのだが、黄色と黒の模様以外の特徴が自分の中でうまく消化出来ていない。力量不足を痛感する。結果としてスポーツはコミックタッチばかりになってしまった。

今年は出来るだけリアルな虎は描かないように気をつけた。…というより例年心がけている事だ。写真のように描く…これは自分のプライドがずたずたになる。時間さえ掛けたら誰でも出来るからだ。如何に特徴を捉えて、如何にデフォルメするか…。これがなかったら、デザイン年賀状(この呼称も皆使い出したので、自分のサイトを表す称号にならなくなった)の意義がなくなるからだ。少なくとも、指名でサイトに来て使ってくれる方は、トータルの傾向で選んでくれていると思っている。その期待を裏切ってはいけないと思っている。

今年その期待に応える事が出来たか…と言えば、出来ていないかもしれない。自分自身が満足出来たとは言い難いからだ。毎年の事に流されている自分がいる事も事実だ。これは実に不幸だ。毎年作り終わった後にもの凄い悔いを残す。何故この程度なのだろう…という悔いだ。逆に自分はもう現場から離れつつあるのだから、いつまでも年賀状に時間を注ぐ訳にはいかない…との思いもあるが、悔いの方がその思いをはるかに超えている。

決して満足感が得られないのは分かっている。それでも全力を尽くしたかと問われれば…答えはNO!である。色々な声を頂き、色々考えさせられた。声はとてもありがたい。進化させる手がかりをもらえるからだ。

せめて昨日よりも明日が素晴らしい、昨年よりも今年が素晴らしいと思える進化を遂げて行きたいと考えている。

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d09-栄光のトライ

D09●栄光のトライ

タイトルは進学塾の宣伝ではない。しかし、ラグビーは、申し訳ないけどあまり良く分かっていない。それでも栄光に向かって走るさまは非常にカッコ良い。世の中に出てしまうと、身体を使って栄光を勝ち取る仕事はプロでもない限り、なかなか少ない。若いから走る事が出来る。若さとは損得を超越した所で必死になれる部分がある。

世間は、良きにつけ悪しきにつけ損得の経済で動いているのは一面的な事実だ。だけど栄光と金儲けはイコールではない。栄光を掴むと結果としてお金が入かもしれない。それでもお金儲けの為に目指すものではない筈だ。少なくとも私はそう思う。栄光とは人によって違うだろう。

あなたにとっての栄光とは何でしょうか?課長になること?専務になること?社長になること?それもいいでしょう。或いは尊敬される事、一番になる事、何だって良い。光輝く事が出来たら、それまでの苦労が報われる。そう、栄光とは、その過程で苦しむ必要がある。一発逆転、サヨナラ満塁ホームランみたいなもんでしょうか。最後まで諦めないから逆転のチャンスは生まれる。

そうなると50代も60代も70代も一発逆転のチャンスはまだある筈だ。決して諦める事無くチャレンジして頂きたいと願う。私も簡単には諦めるつもりはない。とことん目的に向かって走り続けたいと思っている。

みんな一緒に目指しましょう。日本の栄光もその先にあるかもしれません。

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2009年12月12日 (土)

c10-虎神

C10●虎神

俵屋宗達に対抗して作った虎神。現代の俵屋宗達(本気にしないように)、この私が作った雷神の子供のイメージである。虎の神様。題して雷神ingサン。日はまた昇る。どこが?単なる大黒様の出来損ないじゃないかって?だぁ〜〜!言うな!言うな!それを言っちゃあおしまいよ。じゃあ、こうしよう。題してタイガージェット神。一部マニアにしか受けないような事を言うなってか…。神様の重みがないってか…。そ、それを自覚しているのは自分自身だ。雷神ingサンとタイガージェット神、年賀状のコメントにつけて受けを狙ってくれ。お、オヤジギャグ過ぎるってか…。(やや落ち込む)

確かにあまりにちゃちな神様ではある。しかも本人は神様を信じていないと来ている。だって、神様って見たことないんだも〜〜ん。でもホトケ様は見たことはあるぞ〜!(そういう問題ではない)
神様は実在していないが、常に人の心の中に宿っているのである。

受験生に、或いは何かを目指している人に向かって、運を掴めとばかりに送るのはどうだろうか。

順序がさかさまになったが、この年賀状はそれほど時間がかかるタイプではない。丸三角四角を主に使ってパパっと作るからだ。左右対称の場合はひとつだけ作れば良いのでさらに楽だ。だけど面白みに欠けてしまうきらいがある。立体感も出にくい。謹賀新年が絵に被さっているのは、平べったい絵に少しでも奥行き感を出す為だ。よく見ると大黒様というよりも、赤ちゃんがガラガラを持って微笑んでいるの図にみえない事もない。だけど、それは気がつかなかった事にしよう。


正直いってもっと手を入れたい所だが、時間が足りない。昨日から若干腰が痛い。イスに座っている時間がどうしても限られている。ウルトラマンみたいに危険信号がなるのであった。だから今日はこの辺りでご勘弁を。

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2009年12月10日 (木)

c09-ご祝儀

C09●ご祝儀

おめでとうございますに、ぴったりの熨斗袋、祝儀袋である。祝儀袋の中には、互いの信頼や友情が詰まっている…なんていうのは、ちょっと臭くて今風じゃなくカッコ悪いかもしれない。ま、結婚した友人、結婚を間近に控えた知人に送るのも良いだろう。結婚する人に全員がおめでとうと言ってるかどうか不明だ。自分を置いていきやがって…と思う人あり、あんなイケメンを、美人をつかまえて…と思う人あり、それでも、おめでとうの意志を伝達するために祝儀袋を使う。例えそれがかりそめの気持ちであっても、祝儀袋はおめでとうを表現した袋なのである。

これまでに何度も触れている事だが、デザインは触媒である。素材をどう扱うか、情報伝達のお手伝いの意味がある。如何に分かりやすく情報を区画整理して増幅して伝えるかに意義がある。アートとは本来区別するべきだと考えている。(アート的なデザインがある事を否定している訳ではない。)1丁目、2丁目、3丁目と整理する。平たく言えば、賀詞は1丁目、絵は2丁目という具合に決め、混乱しないように配置をするのだ。優れた原稿は、原稿の時点で1丁目、2丁目がはっきりしている。デザイナーは、区画整理に時間を割かずに、本来の効果を増幅させる部分に集中できる事になる。

印刷の原稿なんて様々だ。手で殴り書きした原稿から、きちんと割り振りをした原稿、素人がそこまでするな!と言いたいようなレイアウトまでしてしまった原稿。タチの悪いのは、レイアウトするのに邪魔な要素のある最後の原稿である。タイトルを枠で囲まれたりしたら、担当者がそうしたいのか、たまたま囲ってしまったのか、逡巡する事になる。当然、情報が区画整理されていないので、一旦レイアウト原稿から生の原稿を作り直して、もう一度考え直すのだが、どうにもこうにも最初のレイアウトが頭から離れない。結果ろくな出来映えにならない。そこで大きくうなづいた貴方は、きっと同様の経験があるに違いない。意志の伝達とは本当に難しいものだと痛感する。

このデザイン年賀状は、いわゆる原稿がない。私自身が勝手に原稿を作って、勝手にレイアウトしている。年賀状の意志はどこにあるのかと問われれば、元々のコンセプトである元気の出る年賀状だ。それだけを頭に置いて作っている。残りは使う人が選択して、自分流にアレンジしてメッセージを添えれば良いようになっている。作ったのは私だが、差し出す時点で、使う人の年賀状になっているのが理想だ。このデザインは俺の為のデザインだ、私の為のデザインだ…と思って貰えばとっても嬉しい。

そして、あなたの意志を年賀状に載せて、友人知人に伝達してあげてください。

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2009年12月 9日 (水)

b10-赤い房

B10●赤い房

紐を寅に見立てた年賀状だ。業務用でも独楽の紐を一筆書きの寅に見立てた年賀状があるが、テイストや処理の仕方が違うだけで、発想としては親戚のようなものだ。家族は赤い房で繋がっている…って訳だ。赤い糸じゃないか…と思うかもしれないが、赤い房でいい。何故かと言えば、絵が房だからだ。(物事は自己中心的に考えるに限る)

日々色々な事を考えていると右と左の使い分けが難しい。何も憲法改正と、護憲の立場を使い分けているって事ではない。左脳と右脳のキャッチボールがうまく行かなくなるのだ。右の脳を使っている時と左を使っている時が良く分かる。最近は左を使う事が多いが、途端にデザインが難しくなる。どうも引き出しが違うようだ。絵を描くのはさらに、もの凄くおっくうになる。バランス良く使うのが一番良いのだろうけど、これが簡単にいかない。

発想はパズルのようなものだと思う。これまでに仕入れた部品を組み合わせて行く作業だ。その部品はどうも右よりな気がしている。勿論、論理的に積み上げていくのだが、最後の最後に閃く瞬間は、論理では説明が付かない。パズルのピースが一気に組み上がる感じに似ている。天から降って沸いたように一気に完成形が浮かぶ。文章はどちらかと言えば左よりだ。だから両方を同時進行するのがとても辛い。引き出しを閉じては開き、開いては閉じる感覚がある。せっかく組み始めたパズルを途中で壊し、またイチから始めるのに似ている。とことん効率が悪い。何かを考えている時は、必要な部品や情報のパズルが頭の中で散乱している感じで、その完成形が少しづつ見えてくるからだ。

昔読んだ、渡部昇一の「知的生活の方法」に、頭の中のエンジンを一気に加速させる時は、終わりそうな仕事は必ず90%で止める…というノウハウがあった。これは次の日に残り10%を仕上げる時に、一気に90%まで仕上がった状態にトリップ出来るからで、自分の体験と酷似している。引き出しが一気に開いた状態にもって行ける。脳の仕組ってこうだったのか…と実感出来る瞬間だ。

み〜〜んな、今日の仕事は今日中に…と思ってません?頭の中をリセットしまっては元も子もない。昨日と今日の断層を連綿と赤い房で繋ぐことこそが、大事なのである。(出来てない奴が言ってもあまり説得力はないが…)

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2009年12月 7日 (月)

年賀状甲子園

●年賀状甲子園について

年賀状甲子園は全国から50校近くの参加を頂きました。本当にありがとうございます。たまたまインフルエンザが流行していて、作る側の生徒さんがインフルエンザで、大変残念ながらどうしても参加が出来ない高校もいくつかありましたが、応募された作品をみていると、高校生らしいものや、これで高校生なの!と思うほどレベルの高いものがありました。審査はブロック別に互いに相互審査となり、同世代の目が基準になります。審査結果が実に楽しみです。いよいよ12月8日から予選を地方のブロックに分けて、審査が始まります。審査は数が多い為に、多少の時間がかかり、ベスト8の発表は12月15日の予定でしたが、少し遅れるかもしれません。

全ての作品の発表は審査に公平を期する為に来年1月になります。是非、1月に年賀状甲子園の結果をご覧下さい。

●心に届け!年賀状一般部門について

来年早々に公募ガイドにも掲載されますが、是非、賞品稼ぎではない方に多数応募していただきたいと思っています。賞品についてはこの手のコンテストとしては比較的良いモノがありますが、この賞品は協賛会社の提供賞品を除き、どこからお金が出ているかと言えば、全て自前です。これは年賀状を購入頂いた方の売上の一部を賞品に充てています。何の為に…と言われれば、デザイン年賀状を気に入って買った頂いた方に感謝しつつ、その代金を還元したいと考えているからです。だからこそ、余計に普通の方、賞品稼ぎではない方に、持っていってもらいたいと考えます。

…とは言っても、応募した方が、賞品稼ぎかどうかは分かりません。審査は配点を決めて公平に行います。是非ご応募ください。

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2009年12月 5日 (土)

b09-格子曰く

B09●格子曰く

碁盤目に虎の家族を入れた。少子化で2人の子供は減っているので、平均的とは言えないかもしれない。格子模様は和の代表のような模様だ。正月によく似合う。動きや面白みには欠けるが、四角で囲う為にバランスを取りやすく、安定感がある。古くから今でも残り続けるには残るだけの理由があるのだろう。伝統的なものは全て残されたのではなく、淘汰から勝ち残って来たのだ。その勝ち残って来た理由を考える。それが、故きを温(たず)ねて新しきを知る、温故知新だ。古典、伝統から得るものは大きい。学びは全て温故知新と言っても過言ではない。

格子模様で孔子は安直すぎるが、小さい子供の頃は意味も分からず「しぃ〜のたまわくぅ〜」というフレーズを何度も聞いた覚えがあり、それが論語と知ったのは随分後になっての事だった。論語も何千年もの時を経て現代に語り継がれるには、やはりそれなりの理由があるのだろう。人間の本質は何千年たっても変わらない証左と言える。

しかし、インターネットで加速度的に人の交わりが多くなり、知識の共有が進むと、変わらなかった人間そのものも変化を強いられてくるのかもしれない。特に物心ついた時に携帯やネットが当たり前の世代にとっては、子曰く…も通用しないのだろうか。

子曰く(こぉ〜のたまわくぅ〜…と読む)、ママ〜菓子買って〜。
子曰く、ゲーム買って〜。携帯買って〜!

孔子もあの世で嘆いているのでございましょうか…。
ま、人様の事は言えませんが。

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2009年12月 4日 (金)

a10-つながる年賀状

A10●つながる年賀状

例年、作っている省略形の年賀状だ。例年作っているとは言ってもテーマが同じなだけで、干支が違うので、これはこれで結構頭を使う。見えない部分を見ている人に補ってもらうのを目的としている。以前にも書いた事があるが、慣性の法則というやつだ。線が途切れていても、見る人が頭の中でつないで見てくれる。

全てを書きすぎるよりも、時として想像にまかせた方が良い場合がある。例えばラジオは、声だけなので想像をかきたてる。声から顔やその人となりまでを頭の中で組み立ててしまう。後からテレビで実物を見たときに、何でテレビに映ったんだ〜〜!と怒りに震えた経験のある方もいるに違いない。(俺だけか?)時として虚像は実像を超えてしまうものだ。逆に言えば、表現方法としてはその方が優れている事になる。

長年会っていない友人と会ったりすると、それが10年であっても20年であっても、久しぶりだなあ…と言いつつ、まるで時間が経っていないいないかのように経過を埋めてくれる。一緒に過ごした時代背景や共有感が繋がっているからだろう。年賀状は、その最たるものだ。1年刻みのパラパラマンガのように人と人を結びつける。クラス会だって同じ法則が働く。今年の夏、中学校のクラス会があった。40年近く経っても、やっぱり時間が埋まった。この先、会うかどうかも分からない。それでも疎遠になっていた人とコミュニケーションがとれた時の嬉しさは格別のものがある。

記憶は何から何まで全て覚えていたら脳がパンクする。だから適当に忘れて、細切れになって残った大事な情報をかき集めて繋いでくれているのだろう。人は一生の間にどの位の人と会ってどの位覚えているのだろうか…。年賀状の枚数の多さが全てとは思わないが、やはり記憶の鍵となって、過ぎ去った時と今を結んでくれるのかもしれない。

思えば、年賀状はこれまであまり多くは出してなかった。今年は少し出してみようかな…と思う。しっかりとペンを取って賀状にあれこれ書いてみるのも良いのかもしれない。

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