●デザイン年賀状

2009年12月16日 (水)

e10-ラスト年賀状

E10●ラスト年賀状

最後の1枚は文字のみだ。筆文字のようだが、Illustratorでブラシを使って作ったもので、実際の筆を使ったものではない。干支は入っていない。全部で95枚。今年は干支的に楽だったから多少とも早くできたのかもしれない。終わってみればあっという間だが、全力とは言い難く、毎年少しは進化しているというものの、全く満足出来ていないのが本音だ。

自らの年賀状を振り返ってみると、モノクロでペンで描いた手書きの年賀状から始まり、やがて印刷に回すようになり、プリンタへと変遷していったのは世の流れと同じだが、そこにかける情熱は少しづつ醒めていった感じがある。出来は当然どんどん良くなっていくけれど、自戒を込めて言えば中味が薄い普通の年賀状に成り下がってきているといっても良いかもしれない。

それは年令と共に変化していくもので、ある程度仕方がない事だろう。10代、20代は自分の存在を主張する年賀状。30代は近況を報告する年賀状。40代になると義理も混じり、50代から60代以降になると旧交を温める年賀状になるのだろうか…。世代に応じて年賀状の特性は変わらざるを得ない。それは年賀状というよりも、人生そのものと換言出来る。人は年令と共に変化をしていくものだからだ。

人と人のコミュニケーションの方法も年令と共に変化をせざるを得ない。今、自分の為ではなくて、人の為の年賀状を作っているからこそ痛切に感じる。何の為に年賀状を出すのか、どういう年賀状なら人は嬉しいのか。結果、自分が貰って嬉しい年賀状が、みんな貰って嬉しい年賀状である事に帰結する。嬉しいのは、やはり大量生産とは違う、ひとことだ。店に入って機械が話す感謝の言葉に、感動する人はいない。だけど、人が話すありがとうは気持ちがよい。生身を感じさせる年賀状が一番嬉しい。

自分に出来る事は、何か一言添えたくなるような年賀状。書かずにはいられないデザインやレイアウトになるのだろうか。我ながら、そんな高尚なデザインやレイアウトや発想をしているとはとても思えない。カテゴリの目的別や図案化した年賀状やインパクトのある元気の出る年賀状を作るだけで手一杯だからだ。

だけど、年賀状の目的は一括りには出来ない。義理の年賀状だってあるだろうし、止むに止まれず出す年賀状だってある。全ての人に手書きのコメントを強いるのは傲慢とも言える。年賀状を出さない事だって立派な自己主張とも言える。つらつらとそんな事を考えだすと堂々巡りになる。

それでも、来年は今年よりもずっと進化したものにしたいと思う気持ちは変わらない。

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2009年12月15日 (火)

e09-二つ折り

E09●二つ折り

文字を二つに折っていた絵柄を、虎の絵に変更した。文字でないとあかんやろ…と思っていた方には大変申し訳ないが、ここは絵にしたかった。このパターンは毎度の事だが、寅の文字があまりに左右対称で角張っていてつまらなかったからである。四角四面は安定感があるが面白みはまるでない。漢字だって自分の名字も田中なので、書いていてつまらないのだ。角張った名字や名前をお持ちの方は良く分かると思う。

なだらかな曲線で微妙にバランスを取ったものは見ていて楽しい筈だ。もし女性のヌードが四角四面ならば、誰が楽しいと思って見るだろうか。もし乳房が四角だったら、魅力を感じるだろうか…(かなり飛躍している)

コンピュータでデザインするようになってその曲線が簡単になった。昔は考えついた瞬間に頭から消し去っていたものだ。作る労力を考えたら現実的ではなかったからである。柔らかな曲線は人を和ませる効果がある気がする。手で描いたフリーハンドの絵も同じ効果があるのだろう。この二つ折りの紙の中の絵はそれほど曲線は使っていない。どちらかと言えば角張った絵だ。だが、非対称の奥行き感で安定感を壊してみた。

人は調和を求める人もいれば、不安定なバランスを楽しむ人もいる。何が良いと思うかは使う人次第で変わってくるので、作り手としてこれが良い、あれが良いとは言えない。おすすめさえ出来ない。千差万別な好みの中で何をチョイスしてくれるのだろう…という楽しみと、結果としての驚きがいつもある。

今年は皆どれを選ぶのだろうか…と思いつ、来年の参考にしたいと思っている。
使って頂いている方にあらためて感謝。

毎年来てくれて、使ってくれてありがとう。

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2009年12月14日 (月)

d10-卓球年賀状

D10
卓球年賀状

昨年に続き、再び卓球の登場だ。レシーブはあまり絵にならないので、どうしてもスマッシュになる。正直言ってあまり気に入らない。虎は十二支の中で楽な事は楽なのだが、黄色と黒の模様以外の特徴が自分の中でうまく消化出来ていない。力量不足を痛感する。結果としてスポーツはコミックタッチばかりになってしまった。

今年は出来るだけリアルな虎は描かないように気をつけた。…というより例年心がけている事だ。写真のように描く…これは自分のプライドがずたずたになる。時間さえ掛けたら誰でも出来るからだ。如何に特徴を捉えて、如何にデフォルメするか…。これがなかったら、デザイン年賀状(この呼称も皆使い出したので、自分のサイトを表す称号にならなくなった)の意義がなくなるからだ。少なくとも、指名でサイトに来て使ってくれる方は、トータルの傾向で選んでくれていると思っている。その期待を裏切ってはいけないと思っている。

今年その期待に応える事が出来たか…と言えば、出来ていないかもしれない。自分自身が満足出来たとは言い難いからだ。毎年の事に流されている自分がいる事も事実だ。これは実に不幸だ。毎年作り終わった後にもの凄い悔いを残す。何故この程度なのだろう…という悔いだ。逆に自分はもう現場から離れつつあるのだから、いつまでも年賀状に時間を注ぐ訳にはいかない…との思いもあるが、悔いの方がその思いをはるかに超えている。

決して満足感が得られないのは分かっている。それでも全力を尽くしたかと問われれば…答えはNO!である。色々な声を頂き、色々考えさせられた。声はとてもありがたい。進化させる手がかりをもらえるからだ。

せめて昨日よりも明日が素晴らしい、昨年よりも今年が素晴らしいと思える進化を遂げて行きたいと考えている。

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d09-栄光のトライ

D09●栄光のトライ

タイトルは進学塾の宣伝ではない。しかし、ラグビーは、申し訳ないけどあまり良く分かっていない。それでも栄光に向かって走るさまは非常にカッコ良い。世の中に出てしまうと、身体を使って栄光を勝ち取る仕事はプロでもない限り、なかなか少ない。若いから走る事が出来る。若さとは損得を超越した所で必死になれる部分がある。

世間は、良きにつけ悪しきにつけ損得の経済で動いているのは一面的な事実だ。だけど栄光と金儲けはイコールではない。栄光を掴むと結果としてお金が入かもしれない。それでもお金儲けの為に目指すものではない筈だ。少なくとも私はそう思う。栄光とは人によって違うだろう。

あなたにとっての栄光とは何でしょうか?課長になること?専務になること?社長になること?それもいいでしょう。或いは尊敬される事、一番になる事、何だって良い。光輝く事が出来たら、それまでの苦労が報われる。そう、栄光とは、その過程で苦しむ必要がある。一発逆転、サヨナラ満塁ホームランみたいなもんでしょうか。最後まで諦めないから逆転のチャンスは生まれる。

そうなると50代も60代も70代も一発逆転のチャンスはまだある筈だ。決して諦める事無くチャレンジして頂きたいと願う。私も簡単には諦めるつもりはない。とことん目的に向かって走り続けたいと思っている。

みんな一緒に目指しましょう。日本の栄光もその先にあるかもしれません。

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2009年12月12日 (土)

c10-虎神

C10●虎神

俵屋宗達に対抗して作った虎神。現代の俵屋宗達(本気にしないように)、この私が作った雷神の子供のイメージである。虎の神様。題して雷神ingサン。日はまた昇る。どこが?単なる大黒様の出来損ないじゃないかって?だぁ〜〜!言うな!言うな!それを言っちゃあおしまいよ。じゃあ、こうしよう。題してタイガージェット神。一部マニアにしか受けないような事を言うなってか…。神様の重みがないってか…。そ、それを自覚しているのは自分自身だ。雷神ingサンとタイガージェット神、年賀状のコメントにつけて受けを狙ってくれ。お、オヤジギャグ過ぎるってか…。(やや落ち込む)

確かにあまりにちゃちな神様ではある。しかも本人は神様を信じていないと来ている。だって、神様って見たことないんだも〜〜ん。でもホトケ様は見たことはあるぞ〜!(そういう問題ではない)
神様は実在していないが、常に人の心の中に宿っているのである。

受験生に、或いは何かを目指している人に向かって、運を掴めとばかりに送るのはどうだろうか。

順序がさかさまになったが、この年賀状はそれほど時間がかかるタイプではない。丸三角四角を主に使ってパパっと作るからだ。左右対称の場合はひとつだけ作れば良いのでさらに楽だ。だけど面白みに欠けてしまうきらいがある。立体感も出にくい。謹賀新年が絵に被さっているのは、平べったい絵に少しでも奥行き感を出す為だ。よく見ると大黒様というよりも、赤ちゃんがガラガラを持って微笑んでいるの図にみえない事もない。だけど、それは気がつかなかった事にしよう。


正直いってもっと手を入れたい所だが、時間が足りない。昨日から若干腰が痛い。イスに座っている時間がどうしても限られている。ウルトラマンみたいに危険信号がなるのであった。だから今日はこの辺りでご勘弁を。

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2009年12月10日 (木)

c09-ご祝儀

C09●ご祝儀

おめでとうございますに、ぴったりの熨斗袋、祝儀袋である。祝儀袋の中には、互いの信頼や友情が詰まっている…なんていうのは、ちょっと臭くて今風じゃなくカッコ悪いかもしれない。ま、結婚した友人、結婚を間近に控えた知人に送るのも良いだろう。結婚する人に全員がおめでとうと言ってるかどうか不明だ。自分を置いていきやがって…と思う人あり、あんなイケメンを、美人をつかまえて…と思う人あり、それでも、おめでとうの意志を伝達するために祝儀袋を使う。例えそれがかりそめの気持ちであっても、祝儀袋はおめでとうを表現した袋なのである。

これまでに何度も触れている事だが、デザインは触媒である。素材をどう扱うか、情報伝達のお手伝いの意味がある。如何に分かりやすく情報を区画整理して増幅して伝えるかに意義がある。アートとは本来区別するべきだと考えている。(アート的なデザインがある事を否定している訳ではない。)1丁目、2丁目、3丁目と整理する。平たく言えば、賀詞は1丁目、絵は2丁目という具合に決め、混乱しないように配置をするのだ。優れた原稿は、原稿の時点で1丁目、2丁目がはっきりしている。デザイナーは、区画整理に時間を割かずに、本来の効果を増幅させる部分に集中できる事になる。

印刷の原稿なんて様々だ。手で殴り書きした原稿から、きちんと割り振りをした原稿、素人がそこまでするな!と言いたいようなレイアウトまでしてしまった原稿。タチの悪いのは、レイアウトするのに邪魔な要素のある最後の原稿である。タイトルを枠で囲まれたりしたら、担当者がそうしたいのか、たまたま囲ってしまったのか、逡巡する事になる。当然、情報が区画整理されていないので、一旦レイアウト原稿から生の原稿を作り直して、もう一度考え直すのだが、どうにもこうにも最初のレイアウトが頭から離れない。結果ろくな出来映えにならない。そこで大きくうなづいた貴方は、きっと同様の経験があるに違いない。意志の伝達とは本当に難しいものだと痛感する。

このデザイン年賀状は、いわゆる原稿がない。私自身が勝手に原稿を作って、勝手にレイアウトしている。年賀状の意志はどこにあるのかと問われれば、元々のコンセプトである元気の出る年賀状だ。それだけを頭に置いて作っている。残りは使う人が選択して、自分流にアレンジしてメッセージを添えれば良いようになっている。作ったのは私だが、差し出す時点で、使う人の年賀状になっているのが理想だ。このデザインは俺の為のデザインだ、私の為のデザインだ…と思って貰えばとっても嬉しい。

そして、あなたの意志を年賀状に載せて、友人知人に伝達してあげてください。

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2009年12月 9日 (水)

b10-赤い房

B10●赤い房

紐を寅に見立てた年賀状だ。業務用でも独楽の紐を一筆書きの寅に見立てた年賀状があるが、テイストや処理の仕方が違うだけで、発想としては親戚のようなものだ。家族は赤い房で繋がっている…って訳だ。赤い糸じゃないか…と思うかもしれないが、赤い房でいい。何故かと言えば、絵が房だからだ。(物事は自己中心的に考えるに限る)

日々色々な事を考えていると右と左の使い分けが難しい。何も憲法改正と、護憲の立場を使い分けているって事ではない。左脳と右脳のキャッチボールがうまく行かなくなるのだ。右の脳を使っている時と左を使っている時が良く分かる。最近は左を使う事が多いが、途端にデザインが難しくなる。どうも引き出しが違うようだ。絵を描くのはさらに、もの凄くおっくうになる。バランス良く使うのが一番良いのだろうけど、これが簡単にいかない。

発想はパズルのようなものだと思う。これまでに仕入れた部品を組み合わせて行く作業だ。その部品はどうも右よりな気がしている。勿論、論理的に積み上げていくのだが、最後の最後に閃く瞬間は、論理では説明が付かない。パズルのピースが一気に組み上がる感じに似ている。天から降って沸いたように一気に完成形が浮かぶ。文章はどちらかと言えば左よりだ。だから両方を同時進行するのがとても辛い。引き出しを閉じては開き、開いては閉じる感覚がある。せっかく組み始めたパズルを途中で壊し、またイチから始めるのに似ている。とことん効率が悪い。何かを考えている時は、必要な部品や情報のパズルが頭の中で散乱している感じで、その完成形が少しづつ見えてくるからだ。

昔読んだ、渡部昇一の「知的生活の方法」に、頭の中のエンジンを一気に加速させる時は、終わりそうな仕事は必ず90%で止める…というノウハウがあった。これは次の日に残り10%を仕上げる時に、一気に90%まで仕上がった状態にトリップ出来るからで、自分の体験と酷似している。引き出しが一気に開いた状態にもって行ける。脳の仕組ってこうだったのか…と実感出来る瞬間だ。

み〜〜んな、今日の仕事は今日中に…と思ってません?頭の中をリセットしまっては元も子もない。昨日と今日の断層を連綿と赤い房で繋ぐことこそが、大事なのである。(出来てない奴が言ってもあまり説得力はないが…)

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2009年12月 5日 (土)

b09-格子曰く

B09●格子曰く

碁盤目に虎の家族を入れた。少子化で2人の子供は減っているので、平均的とは言えないかもしれない。格子模様は和の代表のような模様だ。正月によく似合う。動きや面白みには欠けるが、四角で囲う為にバランスを取りやすく、安定感がある。古くから今でも残り続けるには残るだけの理由があるのだろう。伝統的なものは全て残されたのではなく、淘汰から勝ち残って来たのだ。その勝ち残って来た理由を考える。それが、故きを温(たず)ねて新しきを知る、温故知新だ。古典、伝統から得るものは大きい。学びは全て温故知新と言っても過言ではない。

格子模様で孔子は安直すぎるが、小さい子供の頃は意味も分からず「しぃ〜のたまわくぅ〜」というフレーズを何度も聞いた覚えがあり、それが論語と知ったのは随分後になっての事だった。論語も何千年もの時を経て現代に語り継がれるには、やはりそれなりの理由があるのだろう。人間の本質は何千年たっても変わらない証左と言える。

しかし、インターネットで加速度的に人の交わりが多くなり、知識の共有が進むと、変わらなかった人間そのものも変化を強いられてくるのかもしれない。特に物心ついた時に携帯やネットが当たり前の世代にとっては、子曰く…も通用しないのだろうか。

子曰く(こぉ〜のたまわくぅ〜…と読む)、ママ〜菓子買って〜。
子曰く、ゲーム買って〜。携帯買って〜!

孔子もあの世で嘆いているのでございましょうか…。
ま、人様の事は言えませんが。

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2009年12月 4日 (金)

a10-つながる年賀状

A10●つながる年賀状

例年、作っている省略形の年賀状だ。例年作っているとは言ってもテーマが同じなだけで、干支が違うので、これはこれで結構頭を使う。見えない部分を見ている人に補ってもらうのを目的としている。以前にも書いた事があるが、慣性の法則というやつだ。線が途切れていても、見る人が頭の中でつないで見てくれる。

全てを書きすぎるよりも、時として想像にまかせた方が良い場合がある。例えばラジオは、声だけなので想像をかきたてる。声から顔やその人となりまでを頭の中で組み立ててしまう。後からテレビで実物を見たときに、何でテレビに映ったんだ〜〜!と怒りに震えた経験のある方もいるに違いない。(俺だけか?)時として虚像は実像を超えてしまうものだ。逆に言えば、表現方法としてはその方が優れている事になる。

長年会っていない友人と会ったりすると、それが10年であっても20年であっても、久しぶりだなあ…と言いつつ、まるで時間が経っていないいないかのように経過を埋めてくれる。一緒に過ごした時代背景や共有感が繋がっているからだろう。年賀状は、その最たるものだ。1年刻みのパラパラマンガのように人と人を結びつける。クラス会だって同じ法則が働く。今年の夏、中学校のクラス会があった。40年近く経っても、やっぱり時間が埋まった。この先、会うかどうかも分からない。それでも疎遠になっていた人とコミュニケーションがとれた時の嬉しさは格別のものがある。

記憶は何から何まで全て覚えていたら脳がパンクする。だから適当に忘れて、細切れになって残った大事な情報をかき集めて繋いでくれているのだろう。人は一生の間にどの位の人と会ってどの位覚えているのだろうか…。年賀状の枚数の多さが全てとは思わないが、やはり記憶の鍵となって、過ぎ去った時と今を結んでくれるのかもしれない。

思えば、年賀状はこれまであまり多くは出してなかった。今年は少し出してみようかな…と思う。しっかりとペンを取って賀状にあれこれ書いてみるのも良いのかもしれない。

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2009年11月30日 (月)

a09-iPhone年賀状

A09●iPhone年賀状

モバイルの革命児、iPhone風年賀状。今では珍しくもなく最近は電車の中でもチラホラと見かけるようになった。今更ながら何が凄いといって、あの発想力だ。当たり前に存在するものを否定して新しく創り出す事の難しさはイヤと言うほど分かるだけに、3年前の発表時には衝撃を受けた。こういうものが生み出せる土壌が素晴らしい。以降、似たような携帯が出てきている。だけど1番最初がやっぱり凄い事に変わりはない。

私も通勤電車の中で使っている。昨年も書いたが仕事が一変した。会社に来るメールをGmalにも転送し、iPhoneで閲覧する。どこにいても何のメールが来たかが即座に分かる。ノートパソコンを手のひらに入れた感覚だ。iPhoneを使用しているビジネスパーソンは珍しくないだろう。普通の携帯電話を忘れても焦らないが、iPhoneを忘れるとかなり焦る。若干依存症気味かもしれない。

コミュニケーションツールとして携帯電話に依存している人は少なくない。通勤電車の中を見ていて、これでもかというほど携帯を見つめている人が多い。これまでのコミュニケーションのあり方を変えてしまった。手紙のような通信手段は既に終わり、即時通信に変わった。加速度的に人と人との交わりが早くなっている。そんな中で旧態依然とした年賀状が存在している事が奇跡のようにも思える。郵便事業会社は、年賀状は贈り物だとキャッチコピーを流している。だけど本当にそうなのか?私は違うと思う。

年賀状はやっぱりコミュニケーションのツールなのだと確信している。今風の携帯電話を以てしても代替出来ない、人と人をつなぐ希有なツールなのだ。あのハガキ1枚から様々な情報を読み取る事が可能だ。1年1年の移り変わりでその変化を読み取る事が出来る。住所変遷や、子供の年令、写真や、メッセージから友人知人の近況を知る事は可能だ。年賀状と携帯は映像と写真との関係にも似ている。一瞬一瞬を切り取った写真は今でも廃れる事はない。年賀状もまるで1年の一瞬を切り取った写真のようだ。

年賀状が来ない事すらが、近況だとも言える。何もかもがカーレースのように進んでいく昨今、1年に一度のやりとりで人をつなぐものが他にあるだろうか…。ある種同窓会と似たような役割を果たしている。同窓会を贈り物だと言う人はいないだろう。年賀状レトロ美術館を今年作ったが、その100年前の年賀状を見ていると、100年前が甦ってくるような気になる。100年間生き続けている。きっと、あと100年経っても廃れないに違いない。そして、日本だけでこれほど発達している事を考えると、これは日本文化そのものだとも思える。

もしかしたら100年後、200年後、何気ない貴方の年賀状が時代を反映する年賀状としてどこかに陳列されているかもしれませんね。

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2009年11月28日 (土)

e08-盃風お盆年賀状

E08●和風お盆

全体の並んだ状態を見て、この辺りに黒い色で締まった年賀状が欲しいと思ったので、昨年も使ったが、このリッチブラック(黒に青が混ざった、黒々とした色を業界ではリッチブラックと呼ぶ事がある)を使った年賀状を入れてみた。色合いとしてどこかに緑がワンポイントとして入れたいところで、あまりに取ってつけたようになってしまったが、葉っぱを添えた。お盆の中央には金色の虎を配している。盃と言った方が良いかもしれない。どっちでも良い。ここは受取り手の都合にまかせたい。

この年賀状は使うのに勇気がいる。何と言ってもインクを大量に消費する。黒に見えて、黒と青が入っている。赤にも黄色が混ざり、緑があるので黄色と青が使われている。これでもかという程、インクがいる。このご時世、大きな声では言えないがうちの会社は儲かっていてボーナスが多かったので、インクなんてセコイ事は考えた事もない…って人にピッタリの年賀状だ。今風のエコとは実にほど遠い。リッチ(ブラック)な人向けかもしれない。画像でみるよりも、プリントして初めて分かる色合いと美しさだ。お暇な方は1枚だけプリントしてみては如何?。

途中でインクが切れたらどうするんだ。俺様が切れる!って方は決して使ってはいけない。また、近くに家電量販がない、インクを売ってるところがないって人も避けた方が懸命だ。条件を選ぶ贅沢なデザインだ。インクは家から歩いてすぐの所に売ってるぞ、というリッチ条件な人向けかもしれない。(大げさだ)

それにしても、デフレだ、不況だとかびすましい。言えば言うほどに落ち込むような気にさえなる。国全体が自己催眠にかかるようだ。もっと明るい話題はないもんでしょうかね〜。ほんま。

あと10枚になりましたが、頑張って一気に作ります。

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2009年11月27日 (金)

e07-ロゴマーク風

E07●ロゴマーク風

虎を出来るだけ簡略化出来ないかと考えて、一旦描いた虎をさらにシンプルにしていった。あくまでマーク風なので、ロゴマークとしては当然ながら完成度は低い。今回は黄色は使いたくなかったので、ワンポイントに口だけ赤にした。丸が基本なので、本来は中央に据えてバランスを取るのが簡単なのだが、面白みに欠ける為、敢えて中央から外して、迎春の文字と挨拶文でバランスを取った。挨拶文を十文字にするなど、邪道の極みだが、ここはデザイン年賀状の名前通り、ぱっと見の印象を優先。

ざっと説明としてはこんなものだが、自分として何だか満足度が低い。気に入ったものは掛かった時間に比例しない。どんなに時間をかけようが、時間が短ろうが、満足度とは何の関係もない。独創的で斬新で誰もが使うであろうものが出来た時が一番嬉しい。そう考えると、独創性に乏しいのが気に入らない原因かもしれない。その意味では虎のリアリティのあるイラストなんて描いたなら、一番満足度が低いかもしれない。但し、これは一般的な評価ではなく、自己評価なので世間の目とは、ずれているだろう。

次から次へと泉のようにアイデアが湧き出たらきっと嬉しいに違いない。だけど残念ながら、そんなネタが止めどなく浮かんで来る貯水池を持ち合わせていない。これは今までの不勉強の賜で仕方ない。自分には到底出来ない発想をする人を見ると、本当に感心する。一体どうしたらこんな考えが出てくるのだ…と思うからだ。素晴らしい知恵と発想が評価を得る世の中であって欲しいと願っている。決して金儲けが評価の基準であって欲しくないからだ。

これは何もデザインなんていう小さなカテゴリの話しではなくて、ビジネスでも、アートでも全ての世界で共通であって欲しい。今の時代はともかくとして、せめて次世代はそうあって欲しいと思う。

…と、こんな真面目な事を書く予定ではなかったが、皆さんそうは思いませんか?

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2009年11月26日 (木)

d08-テニスフォアハンド

D08●テニスフォアハンド

毎回、テニスラケットでお茶を濁していたので、今回はきちんと動きのある絵にした。フォアハンドでレシーブするの図だ。このポーズのモデルは、なんとロジャーフェデラーである。(全く似てもにつかない)あまり気にする必要がないかもしれないが、同じようなタッチの絵が異様に気になる。これはどうも性分のようだ。干支で縛り、余白を取る縛りを入れ、年賀状という縛りだと、パターンというのはそうそうあるものではない。あるかもしれないが浮かばない。どうやって違うように見せるのかの話しになる。

良くあるCD素材などで何千点とうたったパターンは、同じ絵で色だけが違っていたり、同じレイアウトで位置だけが違っていたり、そんなものを数に入れて良いのか!…って怒りたくなるものもある。いくらレイアウトを変えても同じ絵は同じ絵なので、印象は絶対に変わらない。同じ絵でも一部を切り取るとか、反転させるとか、工夫をして欲しいものだ。点数の多さアピールすれば中味はともかく売れるに違いないと勘違いした、売り手からの都合なのだろう。しかも中味が見えないので実際売れていたりする。

CDを買っても本当に使えるのは何点も無かったりする。それなら使えるものだけ10点、20点の方がまだましだ。数が多い分、使えるものを探すのに時間が掛かって、余計に役に立たない。サギに近いやろこれ!と思う。嫌になるほどそんな経験をしてきた。最初から自分で描いた方が早い位だった。それでも仕事で使って来たので、時間が無くて、100枚や200枚できかないほど素材CDを買ってきた。

だから余計に同じパターンを続けるのが嫌で、どうにか変えてしまいたいと思うのかもしれない。

毎年作った年賀状を後から見ると、消してしまいたい衝動に駆られるものが多い。(ちなみにこのテニスの年賀状もあまり気に入っていない)いくつか自分でも良く出来たと思うものもある。だけど残念な事に、自分が良くできたと思ったものは人気がなかったりする。

何だか難しいもんですね。

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2009年11月25日 (水)

d07-アタックナンバーワン!

D07●アタックナンバーワン!

どうもデザインというよりも線画のコミックタッチが増えているので若干申し訳ないなあ…と恐縮しながらも、反省は全くしていない。(だって、な〜〜んにも浮かばないんだモン、涙が出ちゃう)ってのはアタックナンバーワンのセリフで中年男が言うと気持ちが悪い。その代わりと言って何だが、出来るだけ動きを出している。空に向かってジャンプするあり得ないトラだ。Illustrator使いの為に説明すると、ほぼペンツールで描いて、ブラシを適用している。しかもそのブラしたるや円を描いて、登録しただけの何も考えていないシンプルなブラシである。意外にこのブラシが重宝する。

アタックナンバーワンは、少女マンガなので、勿論思い入れはないし、見てもいなかったが、テレビアニメのセリフだけは良く覚えている。スポーツ根性モノが流行った時代だ。当時は物語も大抵単純だった。ドロにまみれた主人公が汗と涙と努力の末、栄光を掴む。見ている方も単純だった。マンガに限らず、いつの頃からか、複雑な物語が登場してきた。複雑な生い立ち、複雑なストーリー、リアリティを追求したストーリー運び。臨場感が求められる時代になったのだろう。四捨五入された物語だと、そんな事あるかい!てな突っ込みが入るのだろうか。

時代と共に技術は常に進化していく。その昔は知らないが、子供はのらくろ三等兵みたいな単純なマンガでも狂喜乱舞したのだろう。年賀状だって進化していくのは誰にも止める事は出来ない。その進化についていきながらも、良い部分をどのように残して活かすのか。少しぐらい貢献できるだろうか…。そんな事を考える。

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2009年11月20日 (金)

c08-トラになるんだ!

C08
●トラになるんだ!

なんていうか、ちょっと間をあけたら敷居が高いというか何というか…。とても作る気になれないんだよな。これが。こういう時は昔描いたものを焼き直して調子を上げる。これに限る。トラだトラだは、タイガーマスクの中の言葉だが、どちらかと言えば、鬼になる、って意味に使われるような感じだ。極めるといっても良いかもしれない。人間から昇華して、鬼になるんだ!って訳だ。受験の鬼、仕事の鬼、何だってよいだろう。ガンバレ!或いは頑張るの意思表示にどうだろうか。まあ、逆に鬼から人間になりたい!ってマンガもあったが…。

デザイナーなんてその最たるもんだと思う。仕事仕事で夜も昼もない。毎日締め切りに追われ、夜と昼の境目が分からない。何度、人間になりたい〜と叫んだ事だろう。仲間と一緒に、俺達ちゃ〜業界〜〜人間なのさ〜と叫んだ事が、ついこの間の事のようだ。そして、最近ようやく人間の仲間入りを果たしたところだ。人間になったらなったで、物理的な若さがなくなっていたのがとっても残念だ。

でも、いっとくが精神は若い。確かに脳みそは衰えてきている。ど忘れがあったりしてとっても悲しい。しかし、しかしだ。いっとくが気持ちは若いのだ!誰にも負けないくらい若いつもりだ。それでも見た目は年相応になっていって衰えているのは確かだ。脳みそも衰えてきている。だが、だが、これだけは強調しておきたい。気力が若いのだ。絶対に若いのだ。それでも確かに体力は完全に落ちている。下り坂を転げるように無くなってるのは間違いがない。脳みそも衰えてきている。だが、だが、それでも、な、なんというか…え〜〜と、な、何を言おうとしてたんだっけ…。

わ、忘れた…。

う〜〜ん。こうなったら、仕方がない。忘れ去る事の鬼になろう。

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2009年11月16日 (月)

c07-ダルマ

C07
●ダルマ
ダルマシリーズはかなり困難を極めるシリーズだ。毎年頭を悩ませる。ダルマの特徴が強烈だからである。ダルマに干支を絡ませる手法については色々と考えた。顔の部分だけで勝負する。ダルマのカタチ全体を顔に見立てる。干支の特徴的な部分をダルマの顔の部分に埋め込む。それでも駄目なら文字で誤魔化す。この順番に考えていく。

過去のダルマシリーズで自分自身が一番気に入っているのはブルドックをダルマに見立てた戌年のダルマだ。今年は顔の部分だけで勝負した。他に手法が思いつかなかった。手段としては自分の中では若干姑息な部類に入る。しかし、虎の怒ったような顔はダルマの顔と似ている。共通点がここしか見いだせなかった為、マンガチックになってしまったが、とりあえず及第点としておこう…と、自分にささやいた。

ダルマは選挙で必ず出てくる。今年民主の風で落っこちた議員さんにぴったりではないだろうか。再選を期して頑張るぞという訳だ。そもそも縁起物のダルマは起き上がり小法師が起源とされているようだ。七転八起。まるで落選された方にはぴったりだ。何度転んでも起き上がる。捲土重来。諦めず挑戦する。そのイメージにぴったりだ。議員さんだけでなく、諦めず成し遂げる意気込みを持った人には是非、アイデア工房特製のトラ印ダルマを使ってやってください。これは縁起物です。そうすればきっと私のように…

七転八倒することでしょう…って(縁起でもないな)

とにかく諦めないで挑戦し続けるこの姿勢について、日刊スポーツの野茂英雄のメッセージが秀逸だ。読んでいて感動する。インタビュー形式だが、そこに出てくる野茂の言葉が凄くイイ。現役時代から大好きな選手だったが、こうしてメッセージを読んでさらに好きなった。人に勇気や元気をくれる。そんな存在だと思える。

見習いたいものですね。

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2009年11月13日 (金)

b07-木細工

B07
●木細工

木目の虎にしてみた。ぶさいくとは読まないで欲しい。だけど確かに不細工かもしれない。家族だからふたつ並べるという発想は安直だが、少しでも奥行き感を出したかったので斜めの構図になっている。影を僅かでも入れると、俄然変わる。いつもとあまり変わらない構図とテイストだ。だけどこれの手の年賀状を好んで使う人がいる事もまた事実だ。

逃げに聞こえてしまう可能性もあるが、年賀状では食べてなくて、本職は別にあると、過去に何度も書いた。自分がいなくても誰も困らないだろうし、何も変わらない。誰かに貢献している意識もあまりない。それでも使ってもらっているのだから、使っている人の期待にはどうしても応えたい。期待に応えなければならない。(グラフィックデザインの)プロとは期待に応える事だと思っている。

そのひとつが、出来るだけ同じシリーズで使っている人に同じ印象の年賀状を提供する事だ。一旦プリントして住所をいれて作った時点で、自分の手を離れ、使っている人のものだ。これは私の年賀状だ、俺の年賀状だと思ってもらえたらとても嬉しい。だから、毎年私の年賀状、俺の年賀状を作らなければならない。例え、それが自分としては気に入っていなくても、作るのが期待に応える事なのだと思う。

本心は苦しいというより、紛れもなく喜びだ。年賀状なんていう小さな枠ではなく、作ったものを使ってもらえる喜びは誰にも等しくある筈だ。毎日食事を作って家族に食べてもらって、美味しいと言われた喜びと変わらない。頑張って働いて給与を稼いで、ありがとうと言われた喜びに等しい。喜べる事を喜ばないといけないとつくづく感じる。

振り返ると、家に帰ってご飯を食べて、あまり美味しいと言わない自分がいる。いけませんよね〜、これ。これこそ不細工な行動と言われても仕方ない。よし、今日は、それを言うことにしよう。

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2009年11月11日 (水)

a07-ビジネス虎の巻

A07●ベンチャービジネス虎の巻

起業家の方に是非使ってもらいたいと思って作った年賀状だ。ビジネスの一歩は新しいノートの始まりと同じ。ひとつひとつノウハウを書き込んで行って虎の巻が出来た時に大きな会社に育つ。そんな1ページを共に書き込んでいくパートナーシップを図る相手にぴったりだろう。今の時代は1社だけでどうにかなるものでない。グローバルな展開を考えれば、信頼感のあるパートナーがあって初めて成立するものだ。え、思わない?下請はいじめられるものだって言いますか?

別に企業に拘らなくても良いかもしれない。一緒に作り上げていくのは何も会社だけとは限らない。ではこうしましょう。友人や恋人に一緒に作り上げていく関係になろうよっちゅうのはどうですか?交換日記でもなんでも良いじゃないか(古すぎるか)。その割にはノートが無骨過ぎる?かわいさが足りない?今の世代はお互いを尊重して相手に深入りしないものだ?う〜〜ん、そうかもしれない。

ではこうしましょう。この際、不倫でも良いじゃないですか、愛人でも、若いつばめでも何でも良い、一緒に歩めば何でもありにしましょう。え、不倫相手がいない?作り方が分からないって、そりゃあ俺も同じだ。誰か教えてくれ〜〜。こうなったらもう何だっていいじゃないか。新しい一歩を踏み出す人なら、ノートの始まりと一緒にしよう。それがいい。決まり!

しかし、新しいノートって、いつも思うのだが、最後まで使った試しがないんだよなあ…これが。

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2009年11月10日 (火)

e06-蛇腹金屏風

E06

●蛇腹金屏風

寅の文字を使った。絵ばかりではトドメもなく同じパターンになってしまうからだ。黄色ばかりになる事を避ける為に、緑が欲しくて中央に門松を置いた。まあ料理で言えば、パセリを置くようなものだ。さらに寂しいので赤が欲しくて、迎春の文字に赤が入っている。これもショウガか福神漬けのようなものだろう。どうしても奥行きが欲しかったので、文字を蛇腹にして立体感を出した。…とまあ説明すれば、たったこれだけの事だ。

この年賀状で業務用から数えると75枚目になる。ネタもいい加減尽きようかっちゅうもんだ。いや、とっくに尽きているといっても良い。残っているのは応用だけかもしれない。天才でもないので次から次へと新しいモノが浮かぶ訳ではない。何の為にやっているのだろう…と疑問に思いつつ作っている。一番最初は人が大勢くるだけで満足できた。しかし長続きしない。もう、金銭でもなければ、作る喜びでもない。心の奥底を突き動かす何かがないと出来ないものだ。いつの間にか、ここまで続けたのだから勿体ないから…という消極的理由になっている。

世の中きれい事だけではなかなか進まない事だってある。若い頃は夢と希望だけで出来た事が出来なくなる。30代、40代、50代とそれぞれの世代に、モチベーションの維持の仕方がある。その差はきっと残り時間によるのだろう。締め切りが近づくと、壮大な計画は縮小して、出来ることだけやるのと似ているかもしれない。残りの時間を考えると自分としてはちょっとだけ悲しい。

今言える事は、同世代の人に元気を出してもらいたいって事だろうか。もし、こうして作り続けている事が、同じ世代の方に共感を得て、なにがしかの力になっているならば、頑張る勇気も出てくる。年賀状だけではなく、色々な事で人の力を増幅させる事が可能ならば、楽しいに違いない…と思う自分がいる。そして、俺も負けていられないぞと思ってもらえる何かが出来たらと考えている。頭の中にその片鱗があるのだが、なかなか実行ができないのが歯がゆい。1年後か2年後にでも、実現できれば良いんですけどね〜〜。一体何をするのかって?

それは…秘密です。

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2009年11月 9日 (月)

e05-簡略化

E05
●簡略化

簡略化というにはあまりに違和感がある。良いタイトルが浮かばなかった。本来のデフォルメはこれでもかという位に徹底的に無駄を省き、何じゃこれ…という位、シンプルにしなければならない。それでも良く見れば確かにトラだってのが理想だ。この図案ではあまりに線が多いので苦しい。だいたい構図も真正面だし、面白みも何ともない。それでもこうしてアップするのは勇気と言うほかない。ほめてくれ。(単に勿体なくてセコイだけだという意見もある)

毎度の事ながら簡略化には相手の思いやりも必要になる。或いは説明しなくても見る人の思いこみが大きく左右する。今年は寅年なので、寅だというのが大きな思いこみの例のひとつだ。おそらくドラネコ描いても虎と受け取ってしまうのが年賀状の干支の特徴だ。セクハラも似たようなもので、相手に思い込みがあれば恋愛で、なかったらアウトになる。日本人の得意なあうんの呼吸ってやつも、言わばコミュニケーションの簡略化とも言えるだろう。つまりは手続きの簡略化だ。いちいち説明しなくても分かる筈だ…という双方の思いこみによって成立する。

欧米人だって片目をつむれば求愛の印だ。例え、目にゴミが入っても、好意を持っていると思われても仕方ない。略称も同様だ。キムタクと言えば木村拓哉だ。決して韓国のキム・タクさんじゃない事になっている。簡略化は便利だが、誤解を生む事も事実だ。そのギリギリの線で仕上げるのが面白いし、或いは誤解を受ける事が別の意味で面白いのだろう。

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2009年11月 8日 (日)

d06-トラ帯

●柔道空手トラ帯

武道全般に使えるように、動きはやめた。動きを入れると柔道や空手など特定の色に縛られるからである。年賀状の構図としては面白くなくなるが、大勢に使えるようにする事と面白さのどちらを選択するかで、前者をとった。迷うところだが、ここはやむを得ない。帯をトラの帯にした。誰でも考えつく安直な発想だが、これも黒帯だと使用者が限定されるので、帯の色にこだわらずにすむので、使いやすいと踏んだ。

使いやすさばかり考えると、発送も貧困になり、構図やデザインで制限を受ける。難しいところだが、もともとデザインなんて制限だらけの中で処理するものだと思う。何の制限もない仕事なんて世の中にそうそう多くはない。制限を受けつつ、思案する事で技術は磨かれるものだ。その割にお前は代わり映えしない…と言われると、返す言葉がない。

それにしてもここのところ34才の結婚詐欺の女がテレビを賑わしたと思ったら、今度は35才の女。お、女は怖い…。しかも騙されて殺されるのは、疑う事を知らない同世代の男である。何だかなあ…。テレビではぼかしが入ってるが、週刊誌や夕刊紙では顔は隠されずどかんと掲載されている。見るに、結婚詐欺をはたらけそうな顔には見えない。しかし、うちの社員によると、美人だと警戒されるから、ほどよい位が丁度良いのだそうだ。確かにそうかもしれない。身の丈にあった相手なら警戒心がなくなるって事だろうか…。ほどよいと思った同世代の方に同情を禁じ得ない。

実に人間の心理をついている。予定調和に人は安心感を覚える。この紋所が目に入らぬか!と、いつものワンパターンのシーンが出るのを分かって見ている人の心理だ。これが突然ご老公が切られて死んだりしたら困る。年賀状だって似たようなものだろう。毎年の儀式のように迎えるから人は安心する。正月の風情を感じる訳だ。

こうして作っている自分にも言えるのかもしれない。しんどいしんどいとぼやきつつ、現実逃避を図る部分がないとは言えない。考えさせられるのであった…。

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2009年11月 7日 (土)

d05-全裸でスノボ

D05
●全裸でスノボ

スポーツ年賀状は今回スノーボードとなった。毎年スキーかスノボは描いている。タイトルは若干週刊誌的だ。例年とは少し構図をかえて後ろ向きのポーズである。だけど笑顔で考え方は前向きである事を付け加えたい。他のものと同じく出来るだけ人間の胴体に顔をくっつけるのではなく、トラのカタチを活かしつつ、動きを出した。な、な、なんと、服も着ていない全裸のトラだ。(それを言えばゴルフの年賀状も全裸やっちゅうねん)全裸で雪の中をスノボでジャンプするという、倒れたらしもやけになりそうな画期的なトラである。(どこがや)

よく体育会系とか文化系とかの分け方をするが、自分はどっちだっただろう…と言えば、おそらくは体育会系とは言えなかった。スポーツはあまり縁がなかった。それでも20代の頃は独身寮に住んでいて草野球程度ならやった。嫌いではなかったが、得意とまではいかなかった。スポーツ好きといっても、汗をかくスポーツ好き。観戦するスポーツファン。本やテレビで見るファン。数字に拘るスポーツファン等々、種類がある。自分は汗をかかない方のスポーツ好きなのだ。

鉄道マニアの事を俗にテッチャンというが、このテッチャンにも種類があって、乗るテッチャン、写真を撮るテッチャン、時刻表を眺めるテッチャン、模型を作って楽しむテッチャンの4種に分かれるそうだ。マニアの領域も実に奥深い。そう考えると全裸ファンの中にも(…って、そんな奴いるのか)乗って楽しむファンと、触って楽しむファンと、見て楽しむファンと、見せて楽しむファンがいそうな気がしてきた。(あ、あかん、どんどん品位を失っていく)

今回の後ろ向きの全裸のトラはどのタイプかって…?う〜〜ん、う〜〜ん、難しいなあ。どのタイプにしても書いたらあかんやろ。八方ふさがりって奴だ。こういう状況を昔の人はことわざでこう言いましたね。

前門のオオカミに肛門のトラ。

う〜〜む。オチをつけるつもりが、堕ちるところまで堕ちてしまった。し、しかしだ、書くことは実に下品だが、書いてる本人は至極上品で品位のかたまりである事を最後に付け加えておきたい。

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2009年11月 6日 (金)

c06-21世紀新年

C06●21世紀新年

大阪吹田市にお住まいの皆さんこんにちは〜!50代の皆さんこんにちは〜〜!こんにっちは〜、こんにっちは〜、世界の国から〜〜ってな訳で、友人知人用の年賀状、友人と言えばともだち、友達と言えばジャジャ〜〜ン、あのマークボランのTレックスの20thセンチュリーボーイズのテーマソングが聞こえてくるのは私だけではない筈だ。(お前だけだって?)いいえ、そんな事はない。

マンガや映画で子供受けしているが、50代以降の人間にとっては人類の進歩と調和の万博は忘れがたい一大イベントだった。私も中学の時に学校で見物にいって、帰りの電車の中で爪にとげが刺さって、爪を3枚抜くことになった忘れがたい記憶があるのだ。今となっては万博と言えば、痛かった事しか覚えていない。人間とはそういうものだ。それがどーしたって?どうもしません。すんません。

岡本太郎先生は、これを見ても決してあの世から著作権侵害で訴える事がないと信じて作った。色を黄色にしてあるだけだろうって思うかもしれない。最後に苦し紛れにこんなもん作るか〜〜という言葉にお答えしましょう。た、確かに苦し紛れだ。しかし、中央のマークを見れば、小さな字で「とら」と書いてある事に気がつく筈だ。それがどーしたって?どうもしません。すんません。(何で何回もあやまらなあかんねん)顔はどうして虎にしなかったかって?難しいから虎にするのを断念したんだろうって?

そう断念。(大阪弁で読んでください)

しかし、吹田市だけでなく、三波春男ファン、20世紀少年のファン、岡本太郎ファン、万博世代、み〜〜んな使えるオールマイティな年賀状でございます。(嘘付け!)

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2009年10月29日 (木)

b06-スフィンクス風

B06●スフィンクス風

虎といえば何故か座って和んでいるの図をよく見る。じっと見ていたらスフィンクスみたいだな…と思ったので、若干軟弱な虎の絵をスフィンクスに見立ててみた。う〜ん、何だか自分らしくないので、違和感があるなあ…。実は丸いイラストはとっても苦手なのだ。個人的には本来シャープな方が絵もデザインも大好きなのである。だけど、リアルに描くとスフィンクスには見えない。

スフィンクスと言えば、エジプト。エジプトと言えば何となくツタンカーメンのあの金色と黒のツートンカラーを思い出して、これも虎のパターンとして使えるんじゃないか…とも一瞬思った。しかし、テーマとしては似たようなものだし、同じテーマをまた描くのも情けないので、とりあえず頭の中から捨てた。(また後で拾うかもしれない)

良いも悪いも含めて、昔ほどネタがないか必死で考える事がなくなった。良く言えば手慣れて、過去のパターンを踏襲出来る引き出しが増えたって事で、悪く言えば、オリジナリティを求める根性がなくなったって事だろうか。前なら干支に使えるものはないか、何でも干支に見立てた。出来映えが良いか悪いかは別の問題で、新しい何かを必死で探ったような気がする。勿論、見栄えだけを良くするならばいくらでも出来る。難しいのは万人の平均値を探り、絵だけを使ったり、或いは手を入れる
余地を残す事だ。

完成品は何も出来ない。どんなに見栄えが良く、カッコ良くても、その絵なり、デザインなりが完結してしまうと、それをそのまま使う以外の方法を提供できないからだ。例えばドロップシャドウを入れたり、背景に馴染ませたりすると、もう何も出来なくなる。余白があるのは、余白はあなたの手で埋めて完成させてくださいというメッセージでもある。無論手を入れる事で見栄えが悪くなる事もあるだろう。だけど、自分で手を入れたら自らの作品となる。その喜びはきっと、全てが借りモノでは味わえないものがある筈だ。

有る程度の見栄えを維持しつつ、完成させないスペースと余韻を残す。な、何という高等技術だろうか。(自分で言うな!)

こうして手抜きを言葉で誤魔化す年賀状。な、何という高等技術だろうか。(自分で言ったらおしまいや)でもこれは一種の照れという奴なので本気にしないでください。

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2009年10月27日 (火)

b05-干支親子寅

B05
●親子寅

二週間、頑張って連続でアップして、ひと休みしたら脳も休憩から目覚めない。脳の機能というのは、車のエンジンと同じで一旦立ち止まったら次の一歩が出ない。もう一度エンジンをかけて暖機運転が必要になる。如何に継続する事が大切かを思い知る。タイトルも何も浮かばない。絵も苦し紛れに近くて、もう何か埋めなくてはと義理のように作ったようなもので、非常に情けない気持ちになる。新しい斬新なものが出来てこない。一人でやっていれば仕方がないのだろうか…。量は質に転換すると言うが、本当に質に転換するのか、疑問に思えてくる。駄目な時はこんなものかもしれない。

最近でこそ、時間に追われてひたすら身体と頭をフル回転する事は少なくなった。デザイン業という名の体力勝負、肉体労働産業だった。頭の回らない時は全く駄目で、何をどうしても良い知恵が浮かばない。そんな時に締め切りが来たりすると地獄が待っていた。これがラフだの、たたき台を作る程度ならまだ良い。一気に作ってそのまま納品という状態だと、七転八倒、前に使ったもので使えるものはないか…と過去への捜査にのめりこむ。過去の出来の良い作品に触れたら、出来の良い真実の理由が分からないまま、自己嫌悪に陥り、俺はもうだめだ…と自信喪失になる。土壇場で一体何度、迷宮入り寸前の難事件を解決した事だろうか…。

どうやって解決したかは、後になると全く分からない。いきなり真犯人が現れて、解決となるのだ。デザインやっている人間なら、きっと何度も経験した事があるに違いない。先日、お隣のビルにある同業のデザイン事務所の人と飲んだ。そんな話しになって盛り上がった。地獄のフチを彷徨った人間だけが分かる会話が成立する。(こんな事が一体自慢になるのか)ひとつひとつの言葉がしみいるように互いに分かるのである。

デザインだけではないと思う。おそらく納期に追われる人は、多かれ少なかれ似たような事を経験する筈だ。常に時間と己との戦いになる。孫子の兵法を紐解くまでもなく、天の利、地の利、人の利を得て勝負は決する。敵を知り己を知れば百戦危うからず、つまりは戦わずして勝つ事を考えなくてはならないのだろう。

しかし、最近はその戦いに戦わずして負けている自分であった。

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2009年10月21日 (水)

a05-明日に吠える

A05●明日に吠える

本当は今日は違うものをアップしようと試みたが、頭の中で考えた事と、実際とはやはり違う。うまく作れなかった。なので、方向転換した。それが、この日の出をバックに一部に光を当てたシルエットだ。この手はとにかくカタチが分かりにくい場合にどうしても一部に光を当てざるを得ない。特徴的な部分を強調する必要があるからである。虎と言えば模様が一番に浮かぶ。どうしても模様は外せない。吠えるの図なので、明日に吠えると書いた。ビジネス年賀状なので、通常の年賀状の常識におさめる必要はないだろう。企業にとって、特に中小の企業にとっては、目立つ事が最大の眼目だ。

さらに言えば、会社の理念を体現するものが望ましい。当然、元気のなくなるようなものは御法度だろう。年賀状は新しい年を迎えて、気分一新で迎える。そんな出だしに陰気な年賀状なんて誰も欲しくない。未来に吠える虎だと、プラス思考で、どんどん大きくなるイメージがある。そんな明日を睨んだ会社に使ってもらえれば非常に嬉しいと思う。

ビジネス年賀状はどちらかと言えば砕けたものが多い。本当にみんな使っているのだろうか…と時折思う。そこで、もしも今は大企業になってしまったので使わないが、昔は使った事があるって会社があれば是非教えてください。これは当然ながら御利益があるって事になります。

だけど、もしも昔使った事があるけど、今は倒産して使ってない会社がありましたら、お願いです、是非是非黙っていてください。(どんなんや)

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2009年10月20日 (火)

e04-ニューフェース

E04
●ニューフェース

これの一体どこが新しいねんと思うだろう。確かにそうだ。この年賀状のタイトルのニューフェースにあまり意味はない。この手の線画は調理方法によっていくらでも変化が可能だ。後ろに色を入れていないので、例えば全面ベタにして線の黒の部分を白抜きにしたり、トラの黄色の部分を敢えてずらしたり、或いはリアルに見せたりと多面的な使い方が出来る。今回の処理は非常にオーソドックスな処理だ。これは一般用という事もあって、極端な処理を避けた。

人も多面的だ。一方で誠実そうで真面目そうな人も、ある特定の部分で大胆かつ革新的だったりする。表面からは決して見えない部分だ。しかし、人は物事を判断するのに、視点を固定してしまうクセがある。いわゆる偏見という奴だ。片方からしかものを見ない。だから裏側が見えない。最近面接を何人もしたが、決してその人の本質までは分かる筈がない。そんな眼力を自分が持っているとは到底思えない。

今日から新しい人がうちの会社にやってきた。(ニューフェースとはこの事だ)。名をSさんとしておこう。Sさんの特徴は明るさだ。ぱっと辺りが明るくなる天性のものを持っている。人によっては負のオーラをまき散らす人もいる。(うん、うんとうなづいた人事の方もいるに違いない)決してその方が悪い訳ではない。仕事の内容によっては負をまき散らすくらいの人の方が向いている職種だってあるからだ。だが、仕事をする上ではやはり明るさにかなわない。第一印象でほぼ決まるといって良いかもしれない。スキルなんて二の次三の次だ。(そんなものほっておいてもアップする)

この不況である。面接を受ける人も明るく振る舞う事が難しいかもしれない。でも、する立場から言えば、気さくで明るい人は、それだけで価値がある。これから面接を受ける方には是非ともその事をアドバイスしたい。真面目だ、努力家だなんていうのは当たり前の事であって、取り柄にはならない。周囲を巻き込む位に明るい礼儀正しい人は、ひっぱりだこの筈だ。自分にはそんな部分はないと思う人も、必ず違う面に新しい部分があると思う。それこそがニューフェースだと思うのだ。

違う自分をアピールしてみよう。相手に眼力があると思ってはいけない。眼力がないなら裏側を、新しい面を見せてみるのも手だと思うのだ。きっと新しい世界が開けるに違いない。

…と、今日はひどく真面目に書いてみた。

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2009年10月19日 (月)

e03-虎箱

E03
●虎箱

トラ箱と言えば、普通は留置場の事を言う。酔っぱらって暴れて、警察に捕まってお仕置きされるのがトラ箱である。酔っぱらってそんな経験のある方、或いは捕まえてはトラ箱に送り続けている警察官の方に最適な年賀状がこれだ!ワン・トゥ〜・スリー!…って、そんな訳がない。段ボール箱をモチーフにした年賀状だ。今年は冬が越せないとお嘆きの貴方に温かい段ボールはどうだろうか…って(これが冗談ではなくなりつつある世の中が恐ろしい)

これは引越や荷物がテーマだ。トラのカタチをした段ボール箱。1年の思い出がいっぱい詰まった箱。それが年賀状のトラ箱だ。どうだ。え、嫌な思い出がいっぱいあってそこから逃れならない?それはトラウマでしょうが…。でもそんな嫌な事もこのトラ箱に詰めてしまおう。(不健康な生活で長生きできそうにない自分が言うのもおかしいが)良いことだけ考えて生きるのが長生きのコツである。

ノルアドレナリンを排除して、ドーパミンを出して生きよう。年賀状なんていちいち作っていられるか!面倒で仕方ない。ストレスだ〜〜とお嘆きの貴兄。それならば私の年賀状使ってやってください。名前を入れれば、ハイ終わり。考えなくても大丈夫。年賀状に苦しむ人のストレスを僅かでも解消するのが私の役目でございます。(実に嘘っぽい)世の中に何らかの役割を果たせば生きている価値もある。ましてや人のストレスを和らげる事が出来るならば、やりがいもあると言うものだ。

しかし、しかしである。人の為になるのは良いが、ネタが浮かばず苦しんでのたうちまわって、自分自身がストレスをためるのはどうにかならないだろうか。

だ、だれか、私に癒しをください。

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2009年10月16日 (金)

d04-バスケット

D04●バスケット年賀状

サッカーと似たようなテイストになってしまった。テーマはバスケットだ。パスを模索しながらドリブルをするの図である。とにかく動きを出してみた。スポーツの場合はどうしてもデザインというよりもイラストの要素が多くなる。デザイナーとしては、こういうコミック的表現ばかりになる事に忸怩たるものがある。ワンパターンを少しでも避けるために、今回は虎の色を淡い色から若干ビビッドなカラーにしてみた。

この構図だと、等身を短くすれば、ドリブルなのかボールを抱えて走っているのかよく分からなくなる。下手するとネコが球でじゃれている絵に見える。ギリギリの線でこのイラストだ。私の職業はイラストレーターではないので、この辺りで妥協してもらうしかない。バスケットファンの方、バスケット部の方、使ってやってください。

毎年の事だが、どうしても残り枚数を考えてしまう。あと何枚、あと何枚と数え、週に何枚作ったら終わるだろうと計算する。そして、ノルマがどんどん増えてくる。ネタが出てこないと苦しい。しかも最近では実戦から離れ、仕事ではあまりデザインをしなくなっている。新しい引き出しを増やしていないので、錆び付くばかりだ。もし、自分が普通のサラリーマンとして転職しようとしたら、きっと行くところがないに違いないと思ったりする。

最近、求人をした。明らかに同年代と思われる方の応募が多数あった。社会は50代を受け入れる素地がなくなっているのだろうか。かくいう自分の会社も残念ながらやはり受け入れる余力がない。悲しいな〜。

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2009年10月15日 (木)

d03-サッカーリフティング

D03
●サッカー年賀状

取りあえず、野球に続きサッカーは外せないだろうって事で、リフティングする虎をアップした。擬人化に関しては何度も書いているが、顔だけ動物で胴体は人間という擬人化は安直なので避けている。コミックタッチでないと難しいので、やむを得ずマンガ的なイラストになっている。虎そのままのカタチでサッカーにしたのはせめてのも抵抗だ。サッカーボールは毎年使い回しになるが、これはご容赦。

出来るだけ動きのある絵にしたいと思い、家でノートに鉛筆でざっくりと下描きしてみた。かなりいい加減な絵を2〜3枚書いたところで、この絵に決めた。後ろにある「S」をもじった筆書きは、動きを増幅させる為にほぼ思いつきで最後に入れたのだが、自分で入れて気に入った。要らないという人は自分で外してください。

サッカーと言えば、私が卒業した高校は、高校サッカー選手権の常連だ。だが、私が高校の時は部員が11人いなかった。数人程度だった覚えがある。部員だったクラスメートが他の部に応援を頼んで無理矢理11人にしていた。それがいつのまにかJリーガーも出てくる高校になった。隔世の感がある。もう時効になっているが、当時サッカー部のコーチだった教師は5才年上で、私の兄の同級生。殆ど教師とは思えず、ばれたら首だから、絶対に言うなよ…と念を押されながら、一緒に酒を飲み、タバコを吸った。今思えばとんでもない事だ。でもそれが許される空気があった。(…と勝手に解釈している)実に牧歌的な時代だった。

高校時代は自分にとってかけがえのない時代だった。そんな時代も既に三十数年前の事になっている。時の流れはあまりに残酷ですね〜。ほんと。

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2009年10月14日 (水)

c04-ファイティングポーズ


●ファイティングポーズ

ファイティングポーズは、本来前屈みになって首を前に出す。この年賀状ではカッターシャツが熨斗袋で、ネクタイが水引なのが特徴の為、前傾姿勢をとれない。前屈みになるとカッターシャツの襟が隠れ、熨斗袋かどうかもわからなくなるからである。お陰様で、下手をすれば招き猫になってしまうリスクを背負った。その分顔がいかついと思う。挑戦者が笑っていては洒落にならない。ここは歯を食いしばって前に向かって進むイメージが欲しいところだ。

正月になると必ず誰しもが誓いを立てる。その誓いを中央の余白に書き込むのはどうだろう。私は○○します。○○を成し遂げます。宣言すれば、実行せざるを得なくなる。告知効果が出る。後に引けない。ひいたら嘘つきになる。三日坊主のあなたに最適の年賀状である。出来るだけ多くの人に出そう。背水の陣をひかないと人は本気になれない。

三日坊主になってしまうのは、誓いを破ってもたいした恥をかかないからだ。大好きな人から軽蔑されると分かったら人は真剣になれる。どうしても出来なかった事が実現してしまう。自分の思いだけで実現出来る自己管理能力の高い人にはそもそも誓いすら必要がない。出来ない人は環境を整備する事が重要なのだ。私はその事を身をもって知っている。

お前の結果はどうだったってか?
お答えします。私は…

単なる嘘つきのままで結構です。(あかんやん)

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2009年10月13日 (火)

c03-吠える虎

C03
●吠える虎

何とも芸のないタイトルだ。虎は吠えるに決まっている。鳴くでもなければ、さえずるでもない。怒りや恐れ、挑戦や突進のイメージが支配している。トラだ、トラだ、トラになるんだ〜〜…と一世を風靡したタイガーマスクも、同様だ。笑うや微笑むは全く似合わない。そもそも笑うトラなんて気持ちが悪い。あなたの回りにもそういう人がいるに違いない。笑うのが似合わない人の事だ。常に厳しい顔つきで吠えている為、いつもいつも怒ってばかりいやがって、たまには笑えと言われ続け、ごくごくたまに、にっこり笑うと、ウラだ、ウラだ、何かウラがあるに違いないんだ〜〜!と思われてしまう。全く損な人だ。

しかし、ここではトラの持つその挑戦的なところを誇張しようではないか。つまりは激励の意味を込めた図案として使う訳だ。ガンバレ、お前には才能がある。そうだ、いつまでも下にいないで上に上がれ、空だ、ソラだ、ソラになるんだ〜〜〜!という年賀状に使おう。(死んで天に昇れって意味ではない)

う〜む。縁起でもないので、少し視点を変えてみよう。トラは孤高のシンボルだ。決して群れない。一人で道を切り拓くイメージが強い。ここはそのイメージを誇張しようではないか。つまりは人に頼るな、己の腕で道を拓け、例え、孤独をおそれるな、ひとりぼっちになっても初心を忘れず堪え忍べ、そうだ、お前はノラだ、ノラだノラになるんだ〜〜って、何か飢えたネコが行く当てもなく行き倒れになってしまいそうだ。う〜〜む、どうも語呂が良くない。

では、こうしよう。
よ〜〜く見るとトラが笑っているように見えなくもない。笑顔でおめでと〜〜と言ってるの図ってのはどうだ。え、笑ったら気持ち悪いと言ったって?そんな事言いましたっけ。人間ってね、さっき言った事と正反対の事を言うのはよくある話しですわ。過ちてはあらたむるにはばかる事なかれって孔子先生もおっしゃっておりまする。そうしましょう。そうしましょう。笑顔のトラ、これで決まり。

それにしても笑うトラなんて気持ちが悪いな。

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2009年10月12日 (月)

b04-虎の首に鈴をつける

B04
●虎の首に鈴をつける

過去に使用したことがある鈴をモチーフにしたパターンだ。背景のパターンとレイアウトが違うので、別物に見えるかもしれない。苦しんだときは、常に過去を振り返る。そのまま使える事もあれば、全く違うテイストにする事もある。たまたま紅白の紐が、虎の模様に使えそうな気がしたので、使ってみた。まずは出来るだけ新しい発想で今までにないものを作っていきたいが、なかなか難しい。

首に鈴はネコだろう…って、その通り。誰も損な役割はやりたくないけど、誰かがやらないといけない。色々な事が縁の下の力持ちによって成り立っている。駄目な事は駄目だよと敢えて言わないといけない事もある。だがネコなら良いが虎の首には簡単に鈴はつけられない。困った方はどこにでもいる。そんな人にあんた、それあかんやないの!と言える人は少ない。言ったが為にひどい目に遭う人がいるのも事実だ。電車の中で携帯で話す人然り、公共の場で騒ぐ人然り、そんな時に鈴をつける事が出来るだろうか。なかなか言えない。

だが、そういう時にこの年賀状はどうだろう。お前、迷惑なんだよな!っちゅう訳だ。嫌いな上司、言う事を聞かない部下、回りの迷惑を考えない奴にそれとなく教えてあげるのにぴったりだとは思いませんか(到底思えん)。気がつかない奴には90度回転してやれば、縛り首の刑だ(縁起でもない)。
一見何の変哲もない年賀状だが、このように深〜〜い意味が込められた作品である(嘘だ)

こんな事書いてると、気がついたら自分の首に鈴をつけられそうな気がする…。

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2009年10月 3日 (土)

b03-竹人形

B03●竹人形

定番ものの竹人形だ。定番と言えば聞こえは良いが、手抜きともいえなくない。それでも僅かに残ったプライドが、全く同じにする事を許さなかったのでございます。虎と言えば竹、竹と言えば虎という位によくあるパターンだが、あくまで独立した存在であって、虎が竹になっている…となると、話しは別だろう。その苦労を察してやってください。今年はフォント著作権の問題もあって、タイポグラフィーに走れないのが、ちょっとだけ辛い。ごまかしが利かない。文字だけで見せようとすると、その文字を作る方が時間がかかってしまう訳で、とっても不自由だ。

しかし、不自由の中にこそ自由があるのだ!と禅問答のように答える自分がどこかにおるのでございます。そんな自由に何でも作って良いなどというおおらかな仕事はこの世にはなかなか存在しない。誰しも不自由の中で制限を加えられつつもがいている。どんな産業にも、予算に制限がある。納期に制限がある。形式に制限がある。あれを使うな、これも使うな、それでいて、誰も考えないような良いモノを…と、果てしなく要求は厳しくなっていく。例えば、自動車産業だって、快適に、クリーンに、安く、かっこよくて、安全なものを求められている。何やっても許されていた牧歌的な時代は終わったのだ。

そして時折、思う。まさにその牧歌的な時代を謳歌したのは自分達の世代である。その自分たちの時代も終わりを告げ、そろそろ退場を迫られているのではないか…と。同世代の方、そうは思いませんか?その程度めくじら立てるなよ…と思う事が許されない。それはアカンやろ…と思う事が、今ではオッケーになっていたりする。世の中の価値観は否応なく変遷していく。それについて行けるかどうか。

う〜〜ん。栄枯盛衰、盛者必衰の理を説いた平家物語、常に最後は滅びるのでございますが、竹を割ったようにスパっと何もかもを割り切る事は出来ません。往生際が悪いと言われようが何と言われようが、まだまだ退場したくないんですわ。這ってでも頑張るつもりです。だって、まだ私は誇れるほど栄えた事がないもんで、弱者必衰はあまりに悲しいじゃあありませんか。

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2009年10月 2日 (金)

a04-マーク風

A04●マーク風

マークかぜではありません。マークふうと読みます。(当たり前か)。若干ゴテゴテしてます。線を減らすと虎に見えず、増やすとマークらしくならず、ドラネコに近いと言えば近い。こうして世の中のデザイナーは、二律背反に悩むのでありましょう。デザインに限らず、あっちを立てるとこっちが立たず、こちらを立てるとあちらが立たないという事は、良くある事です。古くは嫁と姑の問題、新しくは嫁と愛人の問題。(どこが新しいねん)しかも後者の場合は、片方が立たないという困った問題も発生します。う〜ん。話しが若干アカデミックになってしまったようで、元に戻しましょう。

マークは企業の印象を決める顔です。イメージマスコット、イメージキャラクター、氾濫しすぎる位次から次へと出てきます。特に動物は引越屋さんに顕著で、パンダ、ペリカン、クロネコ、アリ、ゾウ…何故か動物ばかり採用する。覚えてもらいやすいからでしょうか。人間の記憶は何か別の要因とくっつけると、飛躍的に高まります。意味のない数字の羅列を語呂あわせするのも同じ事です。書籍も背表紙や表紙のレイアウトと一緒に脳にしまい込む為、背表紙を見ると中味を思い出す事に気がつきます。記憶因子を一緒に埋め込む役目を背負っていると言えます。さらに、人間だと不祥事などのリスクが生じるが、動物にはそれがない。しかし、なんと言っても最大のメリットはキャラクター使用料が要らない事に尽きるでしょう。

考えてみりゃあ、年賀状は12種類のキャラクターを背負っていることなります。毎年変わる動物。これは強い筈です。12年サイクルで人に記憶を埋め込む、まるで記憶の時限爆弾のような存在ともいえる訳で、み〜〜んな12年後に、12年前の事を思い出したりするのです。貴方が12年後に虎を見て思い出すのは一体何でしょう。間違えて、年賀状を全部刷り直して、ぶち切れた事かもしれないし、もしかしたら、株で大損した事かもしれないし、或いは何かを盗まれた事かもしれないし…って、例えとはいえ、縁起でもない悪い事ばかり書いてますが、思い出しても気持ちがいい、本当に良い事だけを虎と一緒に頭の中のスクラップブックの中にしまい込みたいものです。

だけど、不思議な事に人間って、悪いことしか覚えてなかったりするんですよね〜これが。(あかんがな)

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2009年9月16日 (水)

e02-判子と情報の伝達

E02●はんこ(スタンパー年賀)

これも毎年、定番のように入れている判子型年賀状だが、今年は少しだけカタチをかえた。例年は四角い判子だったのだが、今回は丸にした。意味はない。あと、出来るだけシンプルにしている。少しづつ手を入れている度にゴテゴテとして飾りが多くなった気がしたからだ。思い切り省いてスタンプ強調型となっている。本来スタンパーのかすれも表現したい所だが、リアリティを追求したら、写真にはかなわない。分かりやすくする為には常にどこかを省略する必要もある。


もともと判子やスタンプは、省略の見本みたいな存在である。線が細いとかすれる、太いと潰れる。過酷な条件の下で有る程度の太さで構成されたマークみたいなものだ。スタンパーや朱肉で押された印には有無を言わせぬ大きな力がある。しかも簡単な絵や文字でも伝わる情報量が意外に大きい。日本では各種証明書は、未だにハンを押したように、ハンを押せと言う(実に妙な表現だ)。判子の値打ちが廃れない。同じものを複製する目的にも関わらず、二度と同じものが出来ない。押す度に表情が変わる。力強く押された印、かすれた印、そこにはまるで押した人の意志までが再現されているような気がする。


意志や情報の伝達は、中間が介在する度に歪む。デジタルなら同じものを複製しても全く同じだが、アナログは歪むからアナログなのだ。デジタルデータを作る側が言うのもおかしいが、そこにデジタルとは違う味わいを感じる。出来るならば、そのまま使うのも良いが、年賀状のどこかにアナログな印を残して欲しいと思う。それが例え、手で添えた文字であっても、マーカーでなぞった線でも、指紋を押そうが、口紅塗ってキスマークつけても良い。何だって良いのだ。印刷された年賀状は同じ表情のクローンだが、ちょっとだけアナログにするだけで、味わい深い年賀状に変身する。

そもそも郵便ハガキは、電子メールが発達する前は、アナログの情報伝達の王様だった筈だ。その王様がデジタル一辺倒になるのは何だか忍びない。如何にデジタル社会になろうとも、血が流れる人間は決してデジタルになろう筈がない訳で、せめて個性を追加するのは人が人である証明みたいなものかもしれない。


是非是非、何かひとつでも良いので追加してやってください。


あと、自分はこうしているという面白い案があれば是非教えてください。

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2009年9月15日 (火)

e01-モノ作り大国日本は本当?

E01
●オーソドックス年賀状

一般用は常に奇をてらわない、オーソドックスに出来るだけ落ち着いたものをと心がけている。しかし市場に出回っているものと同じでは価値がない。どこかに違いが必要になる。虎の絵がまんま虎なのは我ながらいただけない。模様やカタチをデフォルメするとどうしてもマンガチックになる。デザイン年賀状と銘打っているので、もう少しデザイン的にデフォルメ出来ないか…と思ったが、諦めた。いかんせん発想力不足である。

どんな職業でもキャリアを積むと手慣れる。普通の人が何時間もかかるところを僅かの時間で終わらせてしまう。その差は何十倍もある。それはそれでひとつのウリではある。しかし、時間が早いだけでは、所詮コンピュータにはかなわない。単なる時間ではない質の面で絶対に追いつけない差をつけるのがプロのプロたる所以だ。自分でそれが今出来ない事がはらただしい。言い訳すれば自分はグラフィックデザイナーであり、イラストレーターではない。さらに、この数年は現場から離れ、グラフィックデザイナーの頭に「元」がつく。自戒を込めて言えば手慣れた分をさっさと時間短縮だけに使っているだけかもしれない。

プロの自負は強烈である。来るなら来い、かかって来い、絶対に負けない!位の気合いが必要だ。ともすれば鼻につくほど過剰なものだ。それはおそらく自分のしてきた事、やっている事、あるいは作り上げたものに絶対の自信があり、そのこだわりと独創性に裏打ちされた自信だろう。一体、何様のつもりやねん!と突っ込みたい位の職人をみる度に、そう思う。彼らはそれだけのこだわりと執念をもって仕事をしているのだと。さらに言えば、本物のプロの言葉は、腰が低くて丁寧だ。実るほど頭を垂れる稲穂の如く、物腰が柔らかい。負ける筈がないゆとりから生まれる言葉だろう。全く聞くこちらが頭を垂れてしまう。

日本はよくモノ作り大国だと言われる。本当にそうなのか。疑問に思う。品質が良い、丁寧、それは時間をかけて、そこから短縮すれば何とかなる話しだ。手慣れて時間を短縮しただけのモノ作りなら、いつか追いつかれる。誰もが考えつかない斬新な発想や、根底からこれまでの常識が覆るようなオリジナリティのある発想がなければ、追随を許さないモノ(カタチのないものも含めて)は出来ないのではないか。モノ作り大国ではなく発想の大国でなければならない筈だ。その発想を生み出す土壌が本当に日本にあるのか。真剣に考えると天を仰ぎたくなる。

その意味でモノ作り大国も、キャッチフレーズで勘違いするのではないかと心配だ。モノ作りが中国に行ったって構わないではないか。そもそも今の中国人の勤勉さや上昇志向のエネルギーに日本人は到底太刀打ちが出来ない。負ける勝負にこだわり続けると致命傷になる。単なる品質や丁寧さではない、圧倒的なオリジナリティで勝負する国になって欲しい。願わくば、発想の大国日本と言わずに黙っていても言われるようになって欲しいものだ。

私の会社の名はアイデア工房という。知的生産工場のサブキャッチがついている。30才の時に命名した。いまだに名前負けしている。でも常に名前がアイデンティティとなっている。今に見ていろ僕だって…と路傍の石のように考え続けている。しかし結果が出ない石ころのままの現状を思うと、思わず天を仰ぎたくなる。

すると、以前に吐いた不遜な言葉がつばとなって落ちてきている気がする。言葉でなんだかんだ言ってるうちは本物じゃないな…と痛感するのみである。

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2009年9月14日 (月)

d02-時の流れと干支の記憶

D02
●ゴルフ年賀状

前回の反省を元に書き殴りをやめた。今回はマウスで線を手作りして描いたのだが、毎度同じ事を繰り返していると痛感。結果としてタブレットで書き殴るよりも早く丁寧になる。毎年思って忘れる。学習効果が働かない。さて、ゴルフと言えば今は石川遼。一世を風靡している少年をテーマに描かない訳にはいかない。擬人化に関しては毎度の事ながら、動物をそのまま人間に見立てる。顔だけ動物にする方法がある。ここは好みの問題だが、どうにも胴体だけ人間で顔だけ動物の擬人化は、安直すぎて好きになれない。そこで今回も全身動物にしている。

ゴルフ好きの人はショットの後の軸がぶれて腰のラインが曲がっているじゃないか…と指摘したくなるかもしれない。だが、自分はゴルフをしない。そこは寛容になろうじゃないか。

デザイン年賀状を始めた頃は、まだ40代半ばだった。それから10年が過ぎ去った。あっという間の出来事だ。時の移ろいの速さを思い知る。年輩の人に受ける年賀状を…と言われる事も多いが、年輩って何歳からを言うのだろう。自分も充分年輩のうちにはいっているのではないか…。うちのサイトのファンは若い人より、どちらかと言えば40代50代が大勢を占めている気がする。毎年自分宛に送られてくる年賀状は同世代プラスマイナス10才が圧倒的だ。その世代だから律儀に送ってくるのか、それとも違うのか、確証がある訳ではない。もし同世代に受けているのならば、一緒に歳をとっている事になる。サイトはヘビから始まって、今年はトラ。後2年で1周する事になる。古くから使っている方にとってはきっと同じ思いに違いない。

その間に小学生低学年だった子供が、あっという間に一躍スターダムに乗り上げ、世界で活躍している。石川遼君の事である。こんな子供がいたら…の第1位はその石川遼君だった(当然と言えば当然かもしれないが、そんな願望はどあつかましいとも言える)その両親と同じ世代って事になるのだが、俺、その間、止まっていたのか…という位、同じ事をしている。情けないな〜。同じく小学生低学年だった少年のうちの息子は、あまりに普通だ。う〜〜ん、英才教育していなかったのが悪いのか、それともDNAが悪いのか…。おそらく後者に違いない。ちなみに子供は二人いるが全く絵は描けない。

記憶は普通は何かのキーワードと一緒にしまい込まれる。大事件であったり、流行った曲であったり、一瞬の風景だったりする。記憶を呼び覚ます手立てとして実に有効だ。9.11の事件もアメリカ人ならずとも、その時に何をしていたか、覚えているに違いない。年賀状の干支も同じ効果がある。12年前の記憶が絵柄と共に甦ってくるからだ。あの時どんな思いだったか、何をしていたか、感情までが再現される事も少なくない。

み〜〜〜〜んな、年末になって何でそんなに根性出して年賀状作るの?と問われたら、それは思い出を作る為さ…と答えるのも一興かもしれない。(…って、気取りすぎやな)

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2009年9月 7日 (月)

c02-アフィリエイト広告考

C02●タイガーマスク風

何の変哲もないデザインだ。正月や和風と言えば菱形。ただその菱形にトラを入れただけの特色のないものだが、この時期に素晴らしいアイデアなんて早々出てくるものではない。もう少し待ってもらえれば、土壇場に追い込まれて苦し紛れの怪しい年賀状デザインが出来るのではないかと思う。(…と信じている)

年賀状の発売時期だけは10月29日からと決まったそうだ。少しづつ年賀状の発売時期が前倒しになっている気がする。それだけ年賀状の販売が減ってきている事の証左かと思う。しかし考えてみれば、少子化で日本の人口は逆三角形になり、年賀状世代はどんどん鬼籍に入っていく。年賀状が廃れているのではなく、年賀状を出す人間が減っているのだから、発行枚数、発売枚数は減って当然とも言える。

年賀状は正月だけの風物詩である。正月に年賀状が届いて、人それぞれの消息や近況を確認しながら、年の移ろいを感じ取るのだ。なくても困らないが、なかったら誰もが寂しい。カンタンに廃れる事はない。何故なら、年賀状は郵便事業会社だけではない、様々な業界の利益を生み出す裾野の広い商品だからだ。印刷、出版、写真、プリンタ、パソコン、ソフト、筆記具、さらにそれを販売するチャネルも幅広い。その業界が互いにしのぎを削る。郵便事業会社が販促しなくても、年賀状関連ビジネスが年賀状に関する怒濤の宣伝を行う。急速にその文化がしぼむ筈がないだろう。

昔、ワープロがあった頃、毎年年賀状を出すだけの為にワープロを買い換えるような人もいた。1枚辺りどれだけ金をかけるねん…という程、年賀状に入れ込むかと言えば…そうでもなく、単純に面倒だからカンタンに作りたい、その一心でお金を使う。不思議なものだ。そのくせ、人と違うもの、自己主張はしたい、目立ちたい…など欲望は限りない。昔と今の最大の違いは、金をかけないで…が加わった事だろう。

その傾向にいくらかでも荷担している自分が言うのもおかしいが、タダで…という風潮にはどうしても賛成出来ない。インターネットではそれが顕著にでているが、何でもかんでも無料だ無料だといって経済がまわる筈がない。上から俯瞰したらそれがおかしい事は誰でも分かる。何を作っても、費用が発生するのは世の常だ。タダの場合、それを回収する仕組みがどこかに存在している。していなければおかしい。自分の場合は、それが最初は単なる自己満足や、カタルシスだったような覚えがある。しかし、それでは結局維持が出来ない。

結果、皆が分かるように似たようなアフィリエイトサイトが跋扈している。広告で元を取るって訳だ。年賀状のサイトも死ぬほど出てきたが、どれもこれも広告で儲ける事だけが優先していて内容は二の次三の次。これも早晩持たない事ははっきりしている。いずれ淘汰されるだろう。私自身はあまり広告を貼らない。広告で稼ぐことを良しとしていないからだ。良くないと言ってる訳ではない。私はどちらかと言えば広告を出稿する側にいる。だから広告効果に対して非常にシビアにならざるを得ない。広告主としてみるならば、到底無料の年賀状のサイトに広告を出稿する気になれない。あまりに費用対効果が悪いからだ。だから、そんな効果の薄い広告を表示する事に若干の抵抗がある。

広告を出稿している人なら分かると思うが、広告効果に関するレポートはどんどん充実している。インチキでもしない限り、効果のないサイトは自動的に広告収入が消滅する仕組みになってきている。事実、私はオーバーチュアやアドワーズの広告から効果のない無料サイトへの掲載を全て削除している。広告主だけではなくオーバーチュアやアドワーズ自体が効果がない事は自社にとって死活問題だから、さらに効果を高めるツールや効果のないサイトを排除していく傾向にあるのは間違いない。

最終的に無料だけをうたうサイトは広告以外の回収方法があるか、余程の魅力がない限り、存在できなくなるし、無料だけを求める人はそれなりのものしか手に入らなくなると思う。そうでなければならないし、それはごく自然な成り行きであり、本来のあるべき姿だろう…と信じている。

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2009年9月 3日 (木)

c01-浮世絵歌舞伎風

C01●浮世絵歌舞伎風

歌舞伎と言えば、プロレスファンにとっては高千穂しか浮かばないが、歌舞伎の独特の化粧、あの赤い色を黒にしたら虎に見えるんじゃないか…とふと思った。最初は歌舞伎の演技を絵に…とも思ったが、実際に歌舞伎を観たことがないのでよく分からない。そこで浮世絵を利用する事にした。最大の利点は著作権がないことだ。(我ながら実にセコイ動機だ)歌川国政の市川団十郎の絵である。(これも良く分かっていない)

顔が黄色いだけでどこが虎だ…とおっしゃるあなた。思いやりって言葉知ってます?ああ、なるほど〜、こういうことかな。善意に解釈すればそういうことかもしれないな〜〜…と、納得してしまうあれだ。この場合、相手に好意を持っていないと、なかなか善意にとれない。そこで…


まずは、私に好意を持つことをおすすめします。(何でやねん)


浮世絵と言えば、ゴッホやモネに影響を与えたのは有名だが、写実的な西洋画家がデフォルメの極致のような浮世絵に興味を持った事が面白い。現代ではアニメや漫画が世界を席巻しているが、その原型を浮世絵にみる思いだ。昨年、奈良で開催された浮世絵展に行った。奈良に行ったらたまたま展示会をしていたというのが正解だ。じっと観ていたがまるで漫画を見ているようだった。この文化の発祥の起源は何なのだろうと興味を持った。鳥獣戯画を持ち出されても古すぎてピンと来ないが、どこかに何でもデフォルメをする民族的な特徴があるのかもしれない。そう考えると、俳句も盆栽もデフォルメと言えなくもない。

考えればデザインだってデフォルメの一種だ。カタチや特徴を四捨五入し整える作業だ。デフォルメは実は物事の真理を捉える力が必要なので、カンタンのようでいて実は難しい。デフォルメの上手い人ほど、対象の特徴を捉える達人なのだろう。

しかし、そのデフォルメが行きすぎて、昨今、人の労働や給与までが四捨五入されている。切り上げられる分には問題ないだろうが、切り捨ては悲しい。そのうちに君はもう要らない…と社会から四捨五入されてはたまらない。年齢的に自分もそんな恐れを抱いたりするのである。そこで私は痛切に思うわけだ。政治家ではないが、国民に対して、まずは第一に…


私に好意を持つことをおすすめします。(何でやねん)

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2009年8月27日 (木)

b02-トラ模様の鏡餅

B02

●虎模様の鏡餅

こんなん自分でも作れると怒らないように…。殆どこじつけとしか言いようのない模様が入っただけの鏡餅である。当然こういうのも混ぜないと到底間が持たない。トラばかり描いていてはすぐにネタが尽きるからだ。模様が特徴的なので楽と言えば楽だが、特徴的過ぎて、見立てという技法が使いにくい。カタチが特徴的なものには、よく見ると確かにそうだ…という手が使える。だが、トラは模様は確かに特徴的だが、例えばシルエットにすると、チータか豹か(この区別が自分でついていないが)猫なのかの区別がつきにくい。ネコ科はみな似ている。大きいとトラだと言われても、大きさの表現は難しい。かといって、トラのヨコに全てタバコを描く訳にもいかない。

尻尾だけ切り取る、口元だけ強調する、或いは目だけとか色々と手は浮かぶが、それでも黄色と黒の模様はもれなく付いてくる。この部分が辛いと言えば辛い。だったら模様を逆手に取ろうというのが、餅にトラという手法である。それにしても今年はインクジェットプリンタのメーカーは黄色のインクを余分に生産するに違いない。だから、ここはなんとか黄色を使わなくてもすむデザインを出来るだけ作りたいと考えている。

今年は、心に届け年賀状コンテストの高校生部門として年賀状甲子園という企画を考えている。10月1日からエントリーを開始する予定だ。今、その準備に追われている。高校対抗年賀状コンテストって訳だ。安直この上ない。しかし、メールですませようって世代の筆頭格であるから、何としてもこの世代に手書きの年賀状を作って欲しいと思う。ここに来ている人は、おそらく高校生の親の世代が多い筈だ。是非とも、子供を説得して年賀状甲子園に参加するようお願いしたい。(詳細は1ヶ月後の発表予定)


青春は決して汗だけではないのだ!脳みそにも汗をかいてもらおう!


私の高校の時なんて、ああた、そりゃあもう、クラブにも行かず、かといって文化活動をする訳でもなく、なんちゅうか、暇をもてあました、実に翔んだ奴だったのでございます。最先端?ぶるる!(首をヨコにふる)翔ぶだけに飛行少年っちゅう事でしょうか。それは非行だろうって?どっちでも似たようなもんだ。中途半端に悪かった。悪を極める訳でもなく、決してよい子でもない。そんな青春時代を送った奴からみると、近頃の高校生と来たら、やけに品が良く出来た子ばかりだ。


だから声を大にして言いたい。脳みそにも汗をかいてもらおう!高校生の皆さん、よろしく〜!(全く文脈がつながっていない)

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2009年8月21日 (金)

b01-トラのガッツポーズ

B01
●トラのガッツポーズ

毎年使っているトラのガッツポーズ。ゼロが2つ並ぶのは今回が最後となる。例年ヨコ型なのだが、あまりに安直で収まりが良すぎて自分としては気に入らなかった。なので今年は善し悪しは別にして、縦型で絵を斜めにした。右上がりでゲンが良い筈だ。え、後ろに落ちかけて下っているって?そ、それはとんでもないマイナス思考だ。ここは前向きに物事を考えよう。

一見、タイガーマスクが、顔面パンチをくらわす寸前の図に見えない事はない。今は亡き2代目タイガーマスクこと、三沢光晴を偲び、プロレスファンの方には是非使って頂きたい。顔面パンチじゃなくて、そこはエルボーだろ…というのはマニアックな人だけだ。いや、たった今気がついたが、手を折り曲げてエルボーを見舞う寸前の図にしたら手を挙げてガッツポーズに見えたかもしれない。う〜〜ん、し、しまった。

デザイン年賀状では必ず余白をとり、断ち落としを避けている。断ち落としとは素人でも分かるように言えばインクジェットの「フチナシ」だ。これを取り入れると格段にレイアウトやデザインの自由度は増える。しかし、実際には印刷では使いにくい。避けるのは一種の職業病に近い。自からは不自由で苦しいのだが、使う人にとっての自由度は高い。これが断ち落としデザインをしない理由である。

さらに今年は余計な文章を可能な限り避けたいと考えている。ひとつは挨拶文は自分の手書きでコメントを入れて欲しいからだ。もうひとつはフォントの使用権の問題も絡むので、一見書体のアウトラインを取ったように見えるが、実は文字は全て一からひとつひとつ作った文字となっている。絶対に駄目かどうかまでは判断出来ないが、グレーゾーンなので既存の書体は一切使わない事にした。ありがちな文字だけ予めデザインしてある。(若干バランスが悪いのはご容赦)だから中途半端に文章を入れると文字のデザインだけで大変な事になってしまうのも大きな理由だ。

少し専門的になるが、名誉の為に書いておくと、うちの会社では、業界のスタンダードであるモリサワパスポートのライセンス料を4台分支払って運用している。だからモリサワの書体についてはきちんとライセンスをクリアしている。しかし、不特定多数に例え画像であっても文字を含んだデータそのものを供給する事が、ライセンスに抵触する可能性がないとはいえない為に、今年から年賀状には一切使用しない事にした。(但し、印刷や、モリサワの書体を使った印刷物を販売する事は認められている。)


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2009年8月19日 (水)

a02-赤い虎


A02●赤い虎のシルエット

これも使い回しのパターンだ。ただ、発想が使い回しなだけで、使い回せる部品はない。本来は動きのある虎にしたかったが、まだ頭の中に虎の骨格が入っていない。動きがなく、平面的な所が欠点だ。本来は下から見上げる感じの方が迫力があるだろう。向きも斜めになっているとさらに良い。でも、下から見ると頭がこうなって、でもって足がこうなって、すると胴体がどうなるんだ…と考えていたら頭が痛くなったのでやめた。もう少し数をこなして、こなれてくると、すんなりと描けるようになる筈だ。だけど馴れたらほぼ終わりとうのは、世の常だ。

シルエットにすると、虎は特徴である模様が見えない。何が何だか分からなくなる。あまり気がすすまなかったが、申し訳程度に縞模様を入れた。この場合、虎と分かれば良い。細かく入れる必要性はない。イマイチ納得できないまま、妥協して画像にしてから気がついた。ヒゲを入れるのを忘れてしまったのだ。でも一応虎に見えるので、ここは敢えて省略という事にしよう。

虎やウサギ、ネズミなどは特徴的なので干支の中でも本来はAクラスのたやすさだ。だけど黄色に黒の縞模様だけではうんざりする。今年は黄色のインクがいっぱい消費されるに違いない。だけど、虎らしい虎ばかり描いても仕方がない。出来るだけ虎らしくない虎で、でもよく見ればやっぱり虎に見えなくもない…って虎が一番良い。(自分で書いててようわからん表現だ)まあ一列目や二列目は、定番もので埋め尽くす事になる。定番ものと言っても世間一般ではなく、自分にとっての定番である事は言うまでもない。

(業務用は45点作ったけれど)いつもの事ながら、最初は何か馴染まないというか、しっくり来ないというか。調子が上がらない。追い込まれていない事が大きな要因だ。人は常に期限があるから間に合わせようとする。終わりから逆算する。終わりがあまりにかすんで遠いと、力が入らない。如何に締め切りが大切かがよく分かる。

ビジネスでも期限を切るのは常道である。いつまでにこれをすると区切りをつけるから、少しづつ前進する。いつでも良いは、してはいけないに等しい。出来る人は常に自己管理して、自分で期限を切る。人の能力の差なんてそれほどあるとは思えない。もしも能力があるとすれば、きっとその点に違いない。ここだけの話し、自己管理能力がない事には圧倒的に自信がある。(自慢にもならん)だれか私に自己管理能力を授けてください。

だけど、もしも明日が、12月15日ならば…。数日で全部埋め尽くす自信がある。ここだけの話し、私は土壇場には圧倒的に強いのだ。誰か、私に土壇場を下さい。

だけど、もしももしも、美女がニンジンぶら下げてくれたら、明日中に埋め尽くす自信がある、ここだけの話し、私は女性に圧倒的に弱いのだ。誰か私に…(以下自粛)

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2009年8月11日 (火)

a01-定番・虎のご挨拶


A01●虎に笑顔は似合わない

毎年同じパターンでいい加減変えたらどない?と言われそうな図柄である。それでも一応手を抜いていそうで、それなりに工夫して違うように見せている。今年は出来るだけ図柄はシンプルにしたいと思っている。余計な文字やイラストの部品は排して、表情に含みを持たせたいからだ。見る人によって取り方が変わる。その方が後で文字を入れてどういう風にもアレンジが効く。

さて、虎の虎たる所以はあのふてぶてしさにある。全身から醸し出すあの畏怖感、緊張感のかたまりのような表情。そんな虎に笑顔のにこやかな媚びた態度はどう考えても似合わない。デザイン的には丸で統一しているので、当然口も丸にした方が統一感はある。しかし、笑顔の虎も悪くはないが、俺はイヤだ。孤高を保つイメージに虎ほど相応しい動物はいない。仕事だから、笑顔でないといけない等とほざく奴は誰だ。俺は俺だ!という主張を込めて、ここはキリリと口を真一文字にした。個人的な趣味だろうって?そうかもしれない。しかし、ビジネスだって媚びた態度は軽蔑される。例え仕事を貰う立場であっても、買っていただく立場であったとしても、誰もが常に対等でありたい筈だ。

皆が皆、同じ方向を向いているのは俯瞰すると、あまり気持ちの良い光景とはいえない。逆に反対方向を向いている方が目立つ。天の邪鬼と呼ばれる事はビジネスにおいては最大級のほめ言葉だ。人と違う主張を持っている事は武器である。それこそが虎の最大の魅力ではないだろうか。…とは言ってもこのご時世である。俺は俺だとばかり主張して仕事を失っては元も子もないと考える人だって少なくないだろう。だけど、それでも尊敬されて最後に生き残るのは、自らのポリシーを持っている者だと信じたい。

この年賀状はよろしくお願いしますでも(お仕事ください…や、当店の商品を買ってね…)には当然似合わない。そう思うでしょ?同じよろしくお願いしますであっても(互いに厳しいご時世ではあるが、共に堪え忍んで共に生き延びようではないか…もし己だけ生き延びよう等という魂胆ならば、承知しないぞ!ガオー!)くらいの意気込みがあるのである。軟弱ではない、実に硬派な年賀状なのだ。但し、それで仕事を失っても責任は持てないので、そこんとこは、例年通り、本年もどうぞよろしく!

年賀状は硬派でも、作っている俺は軟派なのであった(ガオー!)

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2009年8月 8日 (土)

年賀状2010年寅年リニューアル

Rogo昨日、8月7日にデザイン年賀状2010年寅年のリニューアルを終えた。例年より早い出だしかもしれない。今年は寅年という事で、色々と考えたが、虎の巻しか浮かばず、サブキャッチはウル虎の巻。年賀状作成に困っている人の為の奥の手になろうという訳だ。まだ絵は1点も入っていない。来週明けにも定番ものを1点作成してアップしようと考えている。それにしても、まだお盆前で暑中見舞いの季節といっても良い位なのに、何で年賀状なのだろう。(ここはダイワハウスのイントネーションで読む)

メールマガジンが非常にしんどい作業なので、ブログで公開に切り替えた。あまりブログは乗り気ではなかったが、メールマガジンだとリンクだけなので絵が表示出来ない為に、ブログしか選択肢がなかったのが実際のところだ。本来の目的は、負荷低減の為に年賀状のヨコにあったコメント書きの移行にあり、サイト→メルマガ→ブログという変遷を辿った事になる。なので、年賀状以外の事を書くことはない。

本格稼働は9月に入ってからとなる予定。ブログに移行した事はまだ触れていないので、1点目をアップと同時にメルマガ閉鎖とブログ移行を伝えます。

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