●デザイン年賀状工房

2011年10月24日 (月)

年賀状の裏側を移転します

このブログを、デザイン年賀状公式ブログに移転する事にしました。理由は新しいブログの方に書いています。

このブログを停止するか、時折書くかは決めていませんが、公式ブログの方は年内はほぼ毎日更新します。裏側から表側になった訳です。変わらずよろしくお願い致します。

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2011年10月14日 (金)

2012年年賀状ムック本戦国時代の様相

この2週間で60冊近いムック本が出版されている。異様に多い冊数だ。いったいこれだけの出版をして元が取れるのだろうか…みんな一体何冊買うのだろうか…と心配になるくらいだ。

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2011年10月 8日 (土)

日本一早い、年賀状ムック本レビュー

この季節になると年賀状のムック本が書店に所狭しとならべられます。そこで、年賀状ムック本のレビューを行ってみました。日本で一番早い年賀状ムック本のレビューです。

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2011年10月 1日 (土)

年賀状レトロ美術館「辰年特設展示」オープン

年賀状博士の協力と監修を経て、辰年だけで切り取った年賀状レトロ美術館特設展示を公開することができました。100年を超える年賀状文化を辰年の視点から俯瞰する2012年版特設展示場です。どーですか?凄いと思いませんか?楽しいと思いませんか?

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2011年9月 8日 (木)

8割完成と今後の予定

9月8日時点で40点が完成。昨年の9月21日スタートと比較すれば、どれだけ早いかが分かる。今は早く50点を完成させて終わらせたい気持ちが大きい。質的は大きな不満が残るが、どうせ満足出来ない事を考えれば、70点で良しとしなければならない。

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2011年9月 6日 (火)

2年以内に12月に400万のアクセスを集める目標を立てた

Photo 9月もまだ始まったばかりというのに、既にゴールが見えてきた。あと2週間もあれば完成するんじゃないだろうか。あまり人もがいない状態でゴールのテープを切る寂しさと喜びとが混ざっている。目標を持つことにしたからそれほど苦しい訳じゃない。タイトル通りの目標だ。

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2011年8月19日 (金)

年賀状に関する旬な情報や話題を提供する年賀状ニュース

年賀状情報局というコーナーを新設し、年賀状に関して旬の話題を提供する年賀状ニュースなるコンテンツを作成しました。これは徹底的に年賀状にこだわったニュースを逐次提供しようというもので、単なるプレスリリースを丸写しして転載するものではありません。一応、人間の手で調べて、見て、書くという作業を経て掲載の予定です。年賀状の季節以外でも更新の予定で、まだ色々と未完成なところがありますが、徹底して調査の上、他にはないような話題も順次取り上げていくつもりです。情報のたれ込みも大歓迎です。

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2012年年賀状作成の途中経過報告

Nenga1 何だかんだと言いつつも、一気に4点をアップし、これで26点になった。今までの自分から思えば信じられない速度だ。昨年は最初にアップしたのはいつだろうか…と思ったら、何と9月21日。今年は業務用を80点作成しての話なので異例中の異例。このまま行くと10月を待たずに完成するかもしれない。


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2011年5月19日 (木)

年賀状工房

Nenga
デザイン年賀状が、年賀状工房としてリニューアルしました。これまでとは一新して新しいコンテンツを投入し、単なるデザイン素材の提供にとどまらない、名の通り銀行のように年賀状に関する事を扱うサイトとして運営していく予定です。ふゆきデザイン年賀状はこれまで通り、その中のひとつのコンテンツとして頑張ります。

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2011年4月15日 (金)

年賀状データを全て無料-2012年辰年ロゴマーク-上昇気龍

Sample
例年より早く、来年の年賀状のロゴマークを制作しました。タイトルは上昇気龍です。東日本大震災で誰しも気持ちが落ち込む中、元気を出さないと復興もままらない事はみんな分かっています。頭で分かっていてもどうする事も出来ないのが、また人間の弱さでしょう。せめてタイトルぐらい元気でないといけない。東北が上向くように、日本が上昇気流にのっていけるように…そんな気持ちを込めてつけました。

災い転じて福と成す、雨降って地固まる、そんな転機にしなければ、被災した人が浮かばれません。

辰年から、年賀状を全て無料にする事にしました。画像はこれまでも無料でしたが、Illustratorデータも無料といたします。以前に戻る事になる訳ですが、業務用年賀状「賀王」が充実して来た事もあり、デザイン年賀状で有料にする意味合いが薄れました。ただ、今年は東日本大震災の事もあるため、どういうカタチにするかは分かりませんが、任意で一部義援金として送るための寄付金を募る年賀状にしようとは考えています。

収益は全て義援金として日本赤十字社に送る予定ですが、問題は、集めた寄付金をちゃんと寄付する行為の信頼性をどう担保するか…と考えています。あいつ義援金を餌に儲けているんじゃないか…と思われてはかないません。出来るだけリアルタイムに寄付金額をお知らせする方法が必要だろうと思います。

詳細が決定次第、サイトとこのブログでご報告します。

(ふゆき)

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2011年4月 2日 (土)

復興支援についての宣言

復興支援についての宣言

地震が起きて3週間。東日本大震災に関しては、何か出来ないか…何かしなければと、誰しもが思って、胸を痛めている事と思います。会社として個人として義援金を送る事は勿論、他に何か出来ないかと考え、自分にしか出来ない事、自分だからこそ出来る事を模索していました。知名度のある有名人ならば、募金箱を持って街頭に立つだけで、人の役に立つでしょう。しかし、無名な私たちには他にもっと有効な方法がある筈です。街頭に立つ事を否定するつもりは毛頭無く、尊い事だと思いますが、自分が立ったところで何の役にも立ちはしません。それならポケットマネーを少しでも多く義援金として寄付する方が余程役に立つでしょう。

今、感情的に何かをしないといけないと行動を起こす事は良いけれど、戦いは長期戦。今だけ動いても長い期間に亘って支援活動をしなければ意味がありません。その中で自分が出来る事は何だろうか…と自問自答して、結果として年賀状にたどり着きました。中越地震の時は一回だけに終わりましたが、デザイン年賀状では今年と言わずに、長期に亘り、復興支援年賀状を作成し、その販売を通じて収益を全て赤十字に寄付するつもりです。年賀状はこういう時だから自粛しよう。喪に服そうと考えていたら、復興どころの騒ぎではありません。逆にこういう時だからこそ年賀状を出して復興に協力しよう…と思わなければ、消費も復興もますます後退していくでしょう。

幸いにして自分には年賀状を通して活動する道が残されています。その中で、自分として年賀状を通して出来る事としての復興支援年賀状です。長い期間続けたいと思います。

株式会社アイデア工房としては勿論の事、私、個人としても、今後、出来る限り年賀状を通して復興支援活動をする事を宣言します。

(ふゆき)

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2010年12月10日 (金)

最終書をしたためる-e10

E10書道

ラストとなった。筆で文字をしたためるの図。私に書道の心得は全くない。この文字を書いたのは別の人だ。昔はマンガを描いていたので、ペンを使う事はあった。サジペンとかGペンとか、ガラスペンだとかを墨汁でケント紙に描くのだが、筆は、べた塗りと言って黒い部分を塗りつぶす時にしか使った事はない。勿論、硯で墨をするなんて中学校の時しかした事がない。

デザインの道に踏み込んでから、書道やっておけば良かったなあと思ったが、時既に遅し。日々の忙しさに追われてそれどころではなかった。このデザインのような文字ではなく、店のロゴなんかに使われる商業書道の文字を見ると、良いなあ…と思う。自分の思い通りにああいう風に書けたら気持ちいいだろうな…誰もが思う感想だ。もしもピアノが弾けたらなら…の心境だ。

最後なのにあまり良いデザインとはいえない。これで終わりにするのが若干心残りだ。途中は苦しい事もあったが、終わってしまうと、悔いを残してしまうのは毎度の事だ。

さて、来年は辰年だ。どう考えてもしんどい干支だ。簡略化の手もうちにくい。だけど本気で取り組むならこんなに楽しい干支もないのかもしれない。12番目の干支、1周する事になるが、やり始めた頃は、まさかここまで来るとは思ってもいなかった。これまでの惰性を排し、辰年は原点に戻り、誰もがやっていない、斬新な事をする。そして元気が出るものを作る。モチベーションを最大限に上げてそのテーマに向かって走ってみようかと思う。誰もが驚く、唖然としてそこまでするのか…。そんな年賀状デザインで、最後の干支を締めくくりたい。

「最後に」
2000年の巳年から使っていただいて本当に感謝いたします。卯年は、皆様良い年になりますように。年賀状で僅かでもその一助となれば、この上ない喜びです。 see you next!

(ふゆき)

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2010年12月 9日 (木)

格子模様と扇子-e09

E09 扇子

和の代表としての扇子。今扇子を頻繁にみるのは、和服を着た落語家、将棋の棋士などだろうか。洋服では決して似合わない。この左右対称型をシンメトリーという。勿論色は非対称である。ひとつひとつ色を変えていくと目の錯覚で折れて立体的に見える。背景の色はよくよく考えた結果、和の強調としてやはり黒と紅赤のツートンカラーの格子模様にした。色は難しい。サイト全体の統一感の為に、ある特定の色に振れている。色なんて好みの問題なので、不正解はあっても正解なんてどこにもない。本人が良いと思う色が一番良い色なのだ。

色に限らない、万人が良いと言っても、本人がイヤなら、それは不正解だ。誰にも迷惑をかけない好みは周りがとやかく言う事ではないだろう。これが周囲を巻き込むと自分が良いから俺様の勝手だとはいかない。梅図かずおさんの、自分の服はともかく、しましまの家がその例かもしれない。

人の好みは本当に多種多様だと思う。この年賀状サイトだって、自分が良いと思うモノが人気が無くて、ちょっと雑だったかなと思うモノが人気があったりするから分からない。大多数は有る程度集約されるから、もしかしたらそこから外れる自分の好みがマイナーなのかもしれない。

何はともあれ、やっとラストに近づいた。毎度の事ながらほっとする。

(ふゆき)

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2010年12月 8日 (水)

サイクルスポーツ-d10

D10 自転車に乗って


どんどん簡単にできないかと考えると、こういう形になる。自転車に見えればいいのだ。乗っているのが、ウサギだろうなあ…と思えたらそれで良いのである。こういうのは入れすぎてはいけない。欲は禁物である。言わば禁欲主義とでも言おうか(違う違う)

自転車は会社で移動用に買おうかと思ってまだ買ってない。モバイキーという自転車だ。今は寒いので、来年暖かくなったら買おうかと思っている。自転車はどうしても場所を取る。ビルの5階なので、エレベーターに乗せて上に持っていくのも辛い。オモテに置いたら盗まれるか、処分されるがオチだ。そうすると折りたためる事が条件となってくる。だからこのフランス製の自転車が気に入った。これ、良いでしょ?

その昔、(随分昔の事だ)学校へ行くのに自転車で通学していた。学校まで家から8キロ。田舎なので学校まで信号が2つしかない。毎日ポケットに手を入れて手放しで自転車に乗っていた。これが結構意地になる。学校の近くの信号が赤になりかかったので、手前で速度を緩めながらゆっくり漕ぎながら青になるのを待った。なかなか青にならない。そうこうするうちに自転車が止まりそうになった。足を地面につけばそれで良いが、ここまで来て手放しを止める事が出来るものか…と、禁欲主義が顔をもたげた(意味が違うと思う)

そして…

自転車ごと道路に倒れた。

倒れるまで手を使わなかったのを褒めてやって欲しい。自転車と言えばそんな禁欲の思い出がある。しかし、自転車で禁欲な分だけ、普通は禁欲とはかけ離れた生活をしているのであった(嘘である)

(ふゆき)

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卓球はメジャースポーツか-d09

D09 卓球

ウルトラマンの出来損ないかと思うほど随分と気持ちの悪いうさぎだ。妙にどこかで見たような可愛い兎より、こっちの方が良いと思う私はゲテモノ好きなのだろうか…。さらにラケットがなければ卓球とは思えない単調な図柄だ。楽したかったからだろうって…?ピンポ〜ン!
今はしらないが、昔は卓球の事をそう呼んでいた。

卓球といえば、福原愛がニュースとしてメジャーにした。だけど、野球やサッカーやバレーのように大会がテレビで放映されるかといえば、あまりない。中学や高校ならば必ずある部活動だが、大会としての認知度は低い。さらに卓球で食えるかというと、あまり聞いた事はない。これはスポーツ人口が多い少ないよりも、テレビ映えしない事の方が影響しているのかもしれない。バドミントンだってマイナーと言えばマイナーだが、オグシオで有名になったように、結局テレビの影響から脱出できない。

だけど、私は卓球は嫌いじゃない。見るのがじゃなくて、卓球をやる事についてだ。昔、会社の独身寮にいた頃は毎日のように卓球をしていた。汗をかいて興じるのに場所もとらないしお手軽で、実に楽しい。だけど、卓球台のある場所は少ない。家でも出来るとはいえども、台を置いて遊ぶほど広い家は日本には少ない。

かくして卓球はマイナーなスポーツとなっている。だけど、やっぱり卓球で稼げない事が理由の一番だろう。

(ふゆき)

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2010年12月 7日 (火)

君は豊島将之を知っているか-c10

C10 豊島将之

将棋の駒で文字を表現した単純な図柄だ。大小をつけるとどことなく勢いを感じる。さて、豊島将之、この名前を知っているだろうか?将棋ファンはともかく一般の方には馴染みのない名前だろう。先日、王将戦のタイトル挑戦権を獲得した20才の若者だ。羽生を含む、並みいるA級棋士を連破した上で史上最年少のチャレンジャーとなった。詳しくはウィキペディア、豊島将之 にて。

私の高校生になった次男も小学生5年頃までは将棋をやっていて、アマの三段で研修会にいた。奨励会というプロの予備軍には行かなかったが、当時のライバル達の多くは奨励会に所属している。なので将棋は興味を持ってみている。よく関西将棋会館に連れて行った。将棋だけは年令のハンデがない無差別級の戦いだ。60才、70才の方も9才や10才の子供も関係なく戦う。勝った方が強いという過酷なゲームだ。しかし、子供はその圧倒的な恐るべき上達速度に驚く。一気に階段を駆け上がっていく。思えばゴルフの石川遼やテニスの錦織も同じく少年時代からその道に邁進している。

彼らは19や20の若者だ。年令に惑わされるが、実はその道、十数年の圧倒的なキャリアを持つプロでもある。しかも若いから吸収力が違う。伸びしろをまだ持っている、可能性のあるプロだと言い換える事が出来る。

その時期を無為に過ごしてしまった我々が今できる事は何なのだろう…。挑戦者として出来る事は何なのだろう。今それを強く思うのだ。

(ふゆき)

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2010年12月 6日 (月)

熨斗袋-c09

C09 熨斗袋

おめでたい時に出てくる熨斗。金色のうさぎのとのハーモニーだが、これは何度か使ったパターンだ。水引をうさぎの耳に見立てる方法もなくはないが、分かりにくいと思うのでやめた。オーソドックスにしたが、お暇な方は実験してみるといいだろう。ポップな文字は全て、私の筆跡による手書きになる。…と言っても別に鉛筆や筆で書いたのではなく、Illustratorを使って手書き風にみせただけだ。暇な時に色々書きためてやろうか…と思うのだが、なかなか出来ない。気がついたら年賀状の季節になってしまう。この展開が何度も続いている。

時間の管理は非常に難しい。年賀状だけに特化して時間を使えれば、それなりに良いモノが出来る筈だが、残念ながら、それがなかなか出来ない。あまった時間を使ってやるには、難しい作業かもしれない。デザイン的な脳になっている時はどんどん浮かぶが、論理的な思考になっていると、これが全く浮かばない。最近ではデザインの現場から全く離れてしまったので、進化が停止してしまったようだ。

年令が問題とは思わない。ただ、習作を重ねて地力を付け、どんどん新しいモノを生み出すエネルギーやモチベーションは若さにはかなわない。自分が若い時は確かに未熟だったが、頭の中は良いデザインを作ろうとの意識で溢れていた気がする。ある程度、地力がつくと飽きてしまったり、努力を怠ってしまうのは人間の常。自分もご多分に漏れない。

頭の中がずっとひとつの事で占め続ける事が出来る。きっとそれもひとつの才能なのだろう。

(ふゆき)

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折り紙付き-b10

B10 折り紙付き

折り紙でうさぎを作るとこうなるんじゃないか…という完成形。しかし、あくまで絵として描いただけで、実際の折り紙を作って検証も実験もしていない。折り紙付きとは、本来目録のようなもので、品質保証の意味が込められている。年賀状のプリント品質は折り紙付きなので、是非お試しあれ。

一般用の年賀状に関しては、オーソドックスなレイアウトを踏襲しているが、業務用と比較してテイストに若干冒険が多い。業務用は印刷して使用する目的が多い為、あまり冒険をすると使えなくなる。使いたい人と、年賀状の品質がミスマッチを起こすからだ。5枚や10枚を印刷依頼する事は考えにくい。年賀状を出す相手が親戚であったり、上司、仕事先であったりするからだ。どちらかと言えばくだけた相手ではない場合が多い。人はどうしても安定感を求める。

プリンタで刷って出す相手は、身近な人の割合が多い。この場合、多少の冒険は許される。自己主張はしたい人は、どこかに普通とは違うものを求める。安定感と冒険のギリギリの範囲で作成する事になる。ちょっと変わってるなあ…位で止めておかないといけない。最近は年賀状のCDや素材が多いので、変わった年賀状には事欠かない。

だけど、数だけは多いのに使えるものが少ないと思っている人は少なくないに違いない。それは品質云々よりも、ターゲットが絞り込まれていないからだろう。ターゲットには2種類ある。年賀状を受け取る人と、出す人の2種類だ。これを10年前からやってきたと自負しているが、人の好みもあまりに多様になったので、今のビジネス用、家族用、友人知人用等のパターンは若干古くなったかもしれない。そろそろ、もう少し絞り込んだ法が良いかもしれない。

(ふゆき)

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2010年12月 4日 (土)

黄金のひび-b09

B09 黄金色のうさぎ

円形だけで作ったうさぎだ。これなら絵心が無くても誰でも作れるパターンだ。我ながら完成度が低すぎる。誤魔化したように正月らしい色合いと、贅沢な金色もどきの色を配してある。錯覚で金色に見える色だが、実際には3色が使われている。実際に金色を使おうものなら、手間とお金が掛かる。そこで金色に見えたら何となく豪華に見えるじゃないか…って事だ。これを金色と言うのは、ひびの入った陶磁器をこれは模様だと言い張るようなもので、サギに近い。

印刷の色はCMYKと言われる。C=シアン(青)、M=マゼンダ(赤)、Y=イエロー(黄)、K=クロ(黒)のインクだ。CMYが英語で、最後のKだけが何故日本語なのか分からない。本来ならブラックと思うのだが、Bではブルーと紛らわしいせいだろうか?理由は分からないが、ともかくCMYKと称する。

最近のプリンタだと6色インクとかが使われているが、印刷の基本は4色だ。(色を重ねて表現するので専門用語では加色法という)この4色を混ぜ合わせて色を指定することになる。ここで我々はどの色とどの色をマゼンダろうとシアンしてクロうする訳だ。これが配色の醍醐味とイエロー。

(ふゆき)

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2010年12月 3日 (金)

色の白さは背景に依存する-a10

A10屏風と切り絵

切り絵風の左右対称型デザインだ。しかし色合いは非対称となっている。この微妙な色の差で立体感が出る。例えば同じ色でも白い背景と暗い背景では錯覚で濃度が違って見えるのはよく知られた事実である。赤い屏風はかなり濃い色の赤だが、背景が黒なので、それなりに明るく見える。色に限らず全ては相対的なものだという話しだ。

最初は背景が白だった。しかしどうにも立体感が出ないために色々試した挙げ句に黒にする事にした。さらに追加で映り込みを入れ、写真のように見せる事にした。右のウサギと左のウサギはかなり色が違うのだが、背景の色のせいでそれほど濁ってみえない。これが白い背景だと色の濃度を変える必要がある。

これを現実の世界に応用するとどうなるだろうか。例えば自分より美人とは一緒に歩かない女性は、これを分かっているとも言える。人よりもよく思われようと思うならば、悪い奴で周囲を固めてみよう。どれほど貴方が善人に見えるだろうか。言わば灰色を黒で囲えば、白く見えてくる効果である。

但し、すぐに黒に染まって悪人になる事は避けられないだろう。

では周囲を白で固めれば、良いじゃないかと思うに違いない。その代わりあいつは悪い奴だと思われる事は避けられないだろう。そしてそのうちに評判に耐えきれず、腐ってますます黒くなっていくに違いない。実は私がそうだ。(何でやねん)

(ふゆき)

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「いち」をきいて自由を知る-a09

A09全てを描く必要はない

簡略化、デフォルメ、誇張、何でも良いけれど、全てを写実的に表現する事が良いとは限らない。例えば、文字通り写実的な写真にしても、一瞬の断片を切り取った誇張に過ぎない。優れたデフォルメは特徴や本質を誇張し、全体を想像させてくれる。勿論間違った全体像を想像させる事だってあり得るのだが、木を見て森を見ずはなく、木を見せて森を知らしめるが、デフォルメの真骨頂だ。

…とはいっても、自分がその技を駆使しているとは言えない。当然、モチベーション不足、力不足、時間不足もあって、本当に良いデフォルメが出来ているとは言い難い。しかし、簡略化は全体を見通す力がいるので、はまった時は楽しいものだ。どちらが優れているという話しではなく、写実は観察眼や根気を要求され、デフォルメは本質を見抜く力が要求されるって事だろう。

写実に自由度は低い。嘘をついてはいけないからだ。しかし、デフォルメはその点において自由だ。一で十を知らせる。その為にはどんな手法も許される。目的が絵を描く事ではなく、物事の本質を知らせる事にあるからだ。分かりやすい事が生命線と言える。例えばテレビは写実的だが、ラジオは声だけを誇張した媒体である。この想像に訴える力は大きい。そこから浮かぶ人間像はまさに自由だ。頭の中のキャンバスに人の数だけ、像が描かれる。

そして、その空想から、実際の現実の人物を見たときの落胆はきっと計り知れないだろう。(あかんやろ)

(ふゆき)

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2010年12月 2日 (木)

赤い色は心を燃やす

E08古色蒼然

全くもって言い訳すら出来ない、古すぎてカビが生えたような年賀状だ。過去の使い回しだし、数合わせといっても良い。考えても何も浮かんでこない時は、緊急避難として仕方ないと思うのだ。でしょ?でしょ?それにしても、こんなインターネットの時代になっても年賀状と言えば、門松で、日の出があって鶴が飛ぶ。こんな光景、今では日本のどこに行っても見る事は出来そうにない。

それでも正月の代名詞のように、この図柄は出てくる。それだけ日本的な風景だったのだろう。先般も書いたスエンソンの「江戸幕末滞在記」の中に、当時の横浜の風景描写が出てくる。その中で門松やしめ飾りがどこの家にも飾ってあって、ゆでた海老の赤い色が至るところで際だっていると書いている。色彩には民族色があって、日本人は赤に反応をするとどこかの本で読んだ事がある。正月は赤が確かに際だっている。

私のサイト、デザイン年賀状でも、紅色から赤色までを微妙に変化させているが、いわゆる赤を大量に使用している。それは気持ちが高ぶり、全体が正月色に染まるからだ。キレイだとか、カッコイイとかの前に、安定感、安心感を得る為には赤はどうしても欠かせない色だ。

(ふゆき)

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2010年12月 1日 (水)

故きを温ね新しきを知る-e07

E07温故知新

レイアウトと色彩は古いが、中のうさぎは今風(…ともいえないが)の新古折衷案年賀状である。それほど奇を衒ったものでもなく、普通やろ…と言われそうだ。そう、普通だ。ありふれている。そうそう斬新なものは出てこない。だって考えている脳みそが古いから仕方ない。最近痛切に思うようになったのだ。本来は天の邪鬼で人と同じ事をしたくないタイプの人間だった。人が右向いたら左を向いていた。しかし、悲しいかなそれを許す日本の文化じゃあなかった訳で、あんなに尖っていた筈の自分が丸くなっていくのが分かる。

世の中のせいにしている訳じゃない。その年令になって分かる事も山ほどある。過去から学べる事は多い。長い年月を経てきたものは、残るだけの必然性があったのだろう。それはロゴやマークが要らないものをそぎ落として対象物を簡略化していく経過に似ている。時の経過に耐えたものは、まるでザルですくって残った砂金のように輝いている。(そんな砂金を見た事はないが)そんな過去から学べる事は多い筈だ。

色、カタチ、風合い、機能、全てがそぎ落とされた日本文化の香りだろう。そこから新しいものを生み出していく作業こそが、本当の創造なのだ。でも力不足なので、新しく見えるものと混ぜてしまった。えらいすんません。

(ふゆき)

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2010年11月30日 (火)

君も錦織を目指せ-d08

D08君も錦織を目指せ

…と、大きくでてみた。スポーツ界では石川遼と並ぶ若手のホープだ。良いな〜。若いって事は大きな武器だ。それに気がつかず無為に時をやり過ごすと私のような人間になってしまうのだ。(かなり謙遜している)人はその時自分がどの位置にいるか分からない事がある。後になって悔いる事のないように努力をしないといけないが、迷いが出るのも若さの特権みたいなもんだ。しかし、何も考えず無心に打ち込める事はひとつの才能と言えるかもしれない。

思い返すと、あの時に、この時に…と悔いを残している人は多いことだろう。私だってそのひとりだ。時間の流れは各駅停車からどんどん急行になり、特急になっていく。振り返ったら過去は見えないくらい遠い。このサイトに来てる人にとっては、思いを子供に託すしかないのかもしれない。

今、「江戸幕末滞在記」という、エドゥアルド・スエンソンというデンマークの若き海軍士官の見た日本を読んでいるが、これがなかなかに面白い。観察眼がめちゃめちゃ鋭い。アーネストサトウの「一外交官の見た明治維新」は有名だが、このエドゥアルド・スエンソンという無名の24才の若者は、明治維新ではなくやたら人の暮らしぶりを観察している。24才であの当時、果てとも言える日本まで来ていた欧米の若者は、やはり進取の気概に富んでいたのだろうか。未だに島国日本の閉鎖性を痛感する。

だから錦織が世界の中で戦う姿に人は自らを投影するのかもしれない。しかし、その影には名も知れぬ大勢の若者がいる事も忘れてはいけない。そういう若者がいとおしいと思う年代になってしまったんだ…とあらためて思う。今の若い世代に、例え倒れても良いから錦織を目指せと言いたい。それが戦わずに倒れてしまった自分の唯一のアドバイスだ。

(ふゆき)

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2010年11月29日 (月)

スノーボード-d07

D07スノーボード

何の工夫もないし、取り柄もない。説明のしようがない。お詫びといっては何だが、横型と縦型の二種類を作った。こんなパターンだったらひとつの絵で何個でも作れる。しないのは、後は作る人が自分の手で出来る余地を残すためだ(面倒だからだろうって…その通り)

スノーボードって、私は雪国出身だがやった事はない。スキーだってほとんどした事がない。勿論子供の頃はやっていた。でもそれは巷で言うスキーとはほど遠いものだった。家の近くの坂道を下って、川を飛び越えジャンプして頭から雪に突っ込む…というようなアバンギャルドな遊びだったのだ。



D07y

高校になって、スキー場に行った時、スキー出来るのか…と問われて、山をスイスイ、坂をとんだ経験がある私は、なめたらいかんぜよ!(高知弁を話す筈はないが)とばかりにスキーを履いて滑ろうと思ったら、全く思い通りにいかず滑る事が出来ず、それ以来、スキーなんて嫌いだー…と、すっかりトラウマになってしまった。子供の頃にはいたスキーとスキー場ではいた板とは長さも全く違うし、身長だって変わってしまったのだから、当然なのだが…。

雪国だからスキーがうまいと思ったら大間違いだ!わかったか!(…って自慢する事じゃあない)

(ふゆき)

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2010年11月28日 (日)

ダルマ-c08

C08ダルマ

何の補足も必要ないダルマシリーズだ。かなり苦しい。これ以上やりようがないとも言える。他にやろうとしてもダルマにウサギの帽子をかぶせるぐらいだ。手も足もでないとはこの事だ。じゃあやらなければ良いってなもんだが、この程度の意地がないと続けるモチベーションを上げる事は難しい。

ダルマと言えば縁起物。縁起をかつぐのは人の常だ。つまりは何かにすがりたい、自分の力とは別にプラスアルファを求めている。努力をせずに縁起だけで何とかなると思っている人は別にして、悪い事だとは思えない。いくら努力しても報われない努力も世の中にはある。成功した人と、していない人の差は何だろうか…と言えば、実力を除けば、ほんの些細な事だったりする。それを掴む人と掴めない人の差を論理的に説明する事は難しい。運といってしまえば身も蓋もない。

そこには、きっと人智を超えた何かが働いているのだ…と考えて、その何かを得る為に縁起に走るとしても誰が責められようか…。普段私は、全くと言って良いほど、ゲンをかつがないし、神様も信じていないバチ当たりだと断言しても良い。だけど、そんな私でも本当に苦しい時は、何かに祈る気持ちになる。

1年の最初に、気分の悪い事よりも、少しでも良いことがありますように…と思うのはごく自然な事なのだろう。

(ふゆき)

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2010年11月27日 (土)

シルエットくりぬき-c07

C07くりぬきだまし絵

昨日に続いて、またまた絵文字に近い。だまし絵とは本来隠れている絵で、オモテに見える絵を反転すると、絵が浮かび上がるようなものの事を言う。錯覚を利用したものだ。それなら、見た瞬間分かるからこの絵はだまし絵じゃないだろ!と誰もが思うはずだ。そう、だまし絵と思って騙された、それを私はだまし絵と称した。つまりはサギみたいなもんだ。だまされた方が悪いのはこの世界の掟だ。(どんな世界やねん)

パターンを考えると連続で一緒に浮かぶ。見ての通り、うの文字ではなく反対側を使っている。発想にもパターンがある。引き出しと言っても良い。反転する、押し出す、凹ます、白抜きにする、つぶす、囲むと、パターン化を実践し、使えるものを探す。結果、「う」で2つ出てきた。

騙す騙されるは何も絵だけの話しではない。男と女もだまし、だまされる。見た目は良いが性格悪かったり、性格は良さそうで、頭が悪かったり、見た目も性格も良さそうに見えたのに、浪費家だったり、見た目と実際が一致する例なんてあまりないだろう。サギだ!と叫びたい女の人も男もいるに違いない。しかし、だまされた方が悪いのはこの世界の掟だ。(これもどんな世界やっちゅうねん)

菅原道真は、どうせ私を騙すならだまし続けて欲しかったと言った…(違うやろ!)しかし、騙せば報いはいつかやってくる。人を騙すより騙される方が幸せな事だってあるのです。(しみじみ…)

(ふゆき)

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2010年11月26日 (金)

絵文字うさぎ跳び-b08

B08絵文字うさぎ跳び

またまた絵文字の登場だ。苦しくなると絵文字が増える。何故かというと、簡単だからだ。作るのに時間が掛からない。だけど、考えるのには時間がかかるじゃないか…と思うだろう。当然そうだ。元来横着者なので、出来るだけ時間が掛からないものを作るにはどうしたら良いか…という1点において、やたら知恵が回るのが私の特徴だ。問題は労力を避ける為に思案の労力をふんだんに浪費してしまう事だ。「う」で考えたり、「卯」で考えたり、ウサギの簡単な絵を見て、何かに見えないか必死で考えたりする。気がつくと時間が異様に過ぎたりする。しかし、思いついたら、後は楽だ。すぐ出来る。

…という訳で、あまり時間がかかっていないようでいて、ウラでやたら脳みそがウサギ跳びをして時間が掛かった絵文字が出来上がった訳である。これは単純だけど大好きだ。…と言って欲しい。ついでに作った田中冬木はもっと好きだと言ってくれると、なお嬉しい。(なんじゃそれ)
まあ、同じような事を考える人はゴマンといる。発想としては色々な人とかぶるかもしれない。

楕円を角度をつけたのは「さぎ」の文字と「う」の文字が単純だけど奥行きがあるようにしたかったからだ。ちょっとだけ渋めの色にしてみた。この色と緑色のくすんだ色、この辺りの色はどちらかと言えば和風の色だ。この図案には合わない色だと思う。でも敢えて使ってみた。近くに小判のデザインがあるので、角度的にどうも小判とかぶるから、赤系統を使いたくなかったのが大きな理由だ。そんな理由で色をつけるのか!と言われれば、そうだと答えるしかない。

(ふゆき)

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2010年11月25日 (木)

プリント良質ウッド-b07

B07 プリント良質ウッド

良質は(いいしつ)と読んで欲しい。古い方ならダーティーハリーを思いだし、若い人なら父親たちの星条旗や硫黄島からの手紙を連想するだろうか。ダジャレじゃないかって?そう、ダジャレだ。木で出来たウサギの親子。この木の質が良いと言ってる訳では決してない。プリントして初めて分かる印刷品質の事である。

何度も書いているが、このサイトの年賀状はIllustratorで作成している。どんなに拡大しても変わらない品質でプリント出来るのが特徴だ。Illustratorを持っていない方の為にjpg画像も用意しているが、本当の色あいの良さや、品質はIllustratorでプリントしないとわからない。印刷用に特化した配色なので、画面では分かりにくいと思う。逆に画面でキレイだと思えるものは、印刷すると悲惨な結果になる。

レイアウトには必ず仮想の枠が存在する。仮想グリッドとも言う、言わば見えない方眼とでも表現したら良いだろうか。迎春の赤い丸と年号、羽根、挨拶文の右上部を線で結ぶと四角になる。これが仮想の枠となる。右下は羽根でなくても何でも良い。手書きのサインでも所定の位置に何かあればこの枠は完成する。基本中の基本なので、自分でやって何だかおかしいな〜と思ったら、まず仮想の四角い枠が取れていない事を疑ってみよう。但し、そこから崩して微妙なバランスを保つのはプロの仕事になる。

このサイトでは塗り足しは使っていない。(アマチュアの方ならフチナシと言った方がわかるだろうか)背景全面に色をつけると、上記で説明した四角い仮想の枠がハガキそのものになるので、レイアウト的には楽になり、冒険もしやすい。デザイン的にはごまかしが利く。但し、塗り足しは最近のプリンターだけならともかく、通常印刷の事を考えると避けたいので、しない事にしている。

説明が若干専門的すぎただろうか。

だけど、こんな事をふまえて作っているという事を説明したかったのでございます。

(ふゆき)

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2010年11月24日 (水)

人と違うのは武器である-a08

A08 シンプルロゴマーク風

手詰まり感を打破するためにマーク風に仕上げてみた。しかし、どうしても似たようなものになってしまう。クセなのか力量不足なのか…。今ではIllustratorで仕上げるので簡単だが、昔は、こうはいかなかった…なんて話しを書き出すと過去回帰の思い出話しになるので書かない。

これは個人的な好みになるが、あまりゴテゴテと飾り立てるのが嫌いである。年賀状と言えば、ついつい何でも入れて色も華やかにとなるのだが、元々が華やかなものばかりなので、単独で見たら良いと思うものでも、配られた年賀状の中で目立とうと思ったら、相対的になる。常に人の逆を行く必要がある。ビジネス用途となったら、当然の事ながら目立ってなんぼなのだ。

広告だってそうだし、新聞の中に入る折り込みチラシも然り、或いは今話題の就職難の件だって、就活する学生は、他と違う事でアピールしないと面接官には届かない。常に自分のライバルに目を配る必要がある。ビジネスならば他が使うであろう年賀状を自分も使ってはいけないのだ。なんだこれ!と思ってもらって、目をとめさせ記憶に止めなければならない。小ぎれいなだけの年賀状では人の心を奪えないと私は思う。

ビジネスをしている人ならば分かり切った事である。自分の商品は必死に他との違いを出す事に腐心する。人と違うって事は武器である。年賀状だって同じ事だろう。

しかし、人の事は簡単に言えるのだが、こと自分のことになると、よく見えなくなる。これがなかなか難しい。

(ふゆき)

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2010年11月22日 (月)

サインはV-a07

A07サインはV

むかーし、岡田可愛という女優が演じたドラマのタイトルだ。バレーボールの少女漫画だったらしい。VはVictoryの略。勝利を勝ち取るって意味だ。ビジネスにはぴったりだ。倒産目指して頑張る奴はいない。みんな勝利を得る為に努力する。スポーツも勉強も変わらないだろう。そこで卯年に相応しい勝利のポーズを絵にした。こんな発想は誰もが思いつくので、ちょっとだけひねってみた。(ここで首をひねらないように)

会社やお店が年賀状を出すのは、お客さんか、得意先になる。どちらにしても目立ってなんぼの世界だ。ここは何かやってくれる。ここは他と違うぞ!そう思われなければならない。人と一緒で勝利をつかみ取る事は出来ないからだ。ビジネスにおいては人と違うのは誇りであり、名誉だ。それこそが主張であるからだ。主張のない商品や会社なんて、誰が贔屓にしてくれるのだろうか。人と違う事をする。全てはそこから始まる筈だ。しかし、いつのまにか人は初心を忘れ、埋没する。

思いを込めて、手をかざそう。力を込めて手をかざそう。そう、勝利を目指すVサインを。

(ふゆき)

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2010年11月20日 (土)

インクを大量に使う盃-e06

E06和風盃

かなり焦っている。年末進行で若干年賀状制作が遅れ気味になっているからだ。あと20点残っているので、これから毎日1点づつ作ってはアップしなければならない。考える時間もいるだろうし、アクセルを踏む必要が出てきたからだ。

毎年の事なので準備すれば良いのだが、なかなか思うとおりにならないのが世の常。毎年のパターン化で取り敢えずしのぐしか方法がない。このやたらインクを消費する年賀状はキレイだが、高くつく。しかし酒飲みがインクが高いと嘆いていては酒代はどうなるっちゅう話しだ。飲み過ぎて吐く酒や酒の肴の代金で、インク代は充分お釣りが出る。

毎年同じ事をしていると、作る方はマンネリになる。使う人も同じに違いない。年賀状を作る事に執念と根性を見せる人は、もっと新しいモノを欲するだろう。十年一日の如くに変わらない、同じモノを自分の主張として出す人は、シリーズが変わると困ると言う。儀礼だと割り切って何でもいいやと思う方は、当たり障りのないものを好み、こんな面倒な儀式は無くなってしまえと思っている人は、そもそもここに来ない。

どんな人が使っているのだろうか…と思いつつ、自分の中で使う人を想定して作るしかない。

おそらくは、この色合いとこのテイストが好きなんだ…と思っている人は、同世代である事は間違いがないだろう。上に10年、下に10年がメインかもしれない。同じ雑誌や同じテレビ、広告を目にし、同じ文化のシャワーを浴びてきた人たち。そんな方達が使っているに違いない。デザインに点数なんてつけられない。良いか悪いかなんて誰にも分からない。あるのは単に受け入れられるかどうかだけだ。だから中高生にとっては10点なのに、50代には70点となる場合がある。

だけど、例えどんなに根性出したとしても決して100点はとれない。

こう言い切ってしまうのも悲しいものがあるのだが…。

(ふゆき)

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2010年11月19日 (金)

日の丸-e05

E05日の丸

単純明快、何も知恵を使っていないのが見え見えだ。尖閣列島問題以来、色々と揺れているようだ。特にこの問題に関して意見を述べる事はないが、意見は振り子のように振れる。行ったり来たりする。普段あまり考えた事もないもない事が浮き彫りになる。

突然、問題が浮上するのは別に領土問題に限った話しではない。夫婦、恋人、友人の間でも考えた事もなかった問題が、利害が絡んだ瞬間、意識として突然浮かんでくる事はよくある事だ。遺産、保険、貸し借り、日本人同士、親兄弟でももめる位だから、人種や国境が違えばなおさらの事だ。話し合いで解決すれば良いが、そうは簡単にいかない。

ここは、日の丸のように、まーるく納めようじゃないですか…。

な〜〜んてことを言うと優柔不断、事なかれ主義と言われてしまうのだろう。実に難しい世の中だ。

(ふゆき)


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2010年11月13日 (土)

サッカー年賀状-d06

D06サッカーシュート年賀状

ワールドカップが終わり、出てきたザックジャパン。コアなファンは年中熱いので関係ないだろうが、にわかファンは一息ついたサッカー熱。私自身はコアなファンではない。絵はあいも変わらず線画での表現だ。サッカーはドリブルやフェイントはどうにも絵にしにくい。どうしてもシュートになる。顔にヒゲをつけると、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男に見えてくるのでやめた。

サッカーが面白くなったのは、ドーハの悲劇をテレビで生放送で見て以来だ。衝撃的な結末だった。本来は野球ファンだが、サッカーを見ていると、スピード感が違う事がやけに気になる。プロ野球の展開の遅い事にイライラしてくる。都会と田舎で時間の速度感が違うように、現代人はどんどんせっかちになってくる。時間の観念もどんどん速くなる。平安の時代は、話しをするのも動きも、もの凄くゆっくりだったらしい。速く話しをする必要性もなかったのだろう。情報の伝達速度も当然遅かった。中世の人が現代人を見たら、あまりのテンポに驚くに違いない。

良い悪いはともかく時計の早回しのように、何もかもが回転していく時代だ。ビジネスだって遅れる事は死を意味するほど、スピード競争になっている。誰しも時にはゆっくり考えたい事もあるだろう。そういう時は、時計の止まったような環境に身を置いて、自らを振り返る事も必要なのかもしれない。だけど、体験的に独断で言えば、忙しい時、時間のない時こそ、人の頭脳はフル回転し、新しい発想の種も生まれてくる。

量は必ず質に転換する。思考もまた量をこなさないと質に転換しないのかもしれない。

(ふゆき)

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2010年11月10日 (水)

バックアタック-d05

D05バックアタック年賀状

バレーボールと言えば、回転レシーブや東洋の魔女という方は、東京オリンピック世代だろう。団塊の世代には懐かしいに違いない。しかし絵にするとレシーブは描きにくい。さらに年賀状にはどうも受け身が相応しいとは思えない。やはり攻撃は最大の防御。絵になる。でもこのアタックが、正面から描くと力不足で絵にならない。さらに干支はうさぎだ。もう横から描くしかない。差出人のスペース確保のため文字は故意にかぶらせた。じゃまだという方は→文字のない年賀状はここ

アタックは昔は前列だったが、いつの間にか後ろからジャンプして打つバックアタックが登場した。正面から打つと見せかけて、するすると後ろから忍び寄り、虚をついて打つ!実に姑息な…いや違う、頭脳的なプレーである。バレーボールはあまり詳しくないが、語呂も良いし、何だかちょっとカッコイイ。普通のアタックの絵とバックアタックの絵はどこが違うって?し、知らない。少なくとも私の中で区別はない…。

タイトルは安直にバックアタック。普通、タイトルは検索エンジンから来るようにつける。勿論SEOを知らない訳じゃない。人が来るようにタイトルをつけるのは決して難しくはない。だけどこのブログについてはデザイン年賀状の説明なので、まるで意識していない。はっきり言ってSEOを無視している。ほおっておいても年賀状の方に来るので、意識する必要性を感じないからだ。

さあ、この年賀状で、こいつからは年賀状は来ないぞと思わせながら、するすると後ろから忍び寄って、どうだ!とばかりに虚をついてバックアタック年賀状を出す。そんな年賀状にピッタリかもしれません。(…ってそれはないやろ!)

(ふゆき)

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2010年11月 4日 (木)

クラフトもどき-c06

C06クラフトもどき年賀状

取り敢えずネタは小休止である。何も浮かんで来なかった。クラフト紙で作ったように見せかけたイラストだが、色合いがシンプルな分、あまりクラフトに見えない。はっきり言って耳がなければ雪だるまかテルテル坊主か分からない。

IllustratorCSを使えば簡単な事も、Illustrator8だと難しい事が多々ある。それでも未だに印刷業界ではデファクトスタンダードの地位を占めているデータ形式なので、広く使える、誰でも使える事を念頭に置くと、新しいフォーマットにはしずらいのが現状だ。

新しいソフトは機能がてんこ盛り、何も考えずともプロもどきの表現が可能なツールが揃っている。しかし、もどきである事に変わりない。決してプロ並みとは行かない。一見カッコイイ表現に見えても誰でも使える表現だと、たいした事はないのだ。例えば、大工さんのように木をカット出来る電動のこぎりを持っていても、当たり前の事だが何をどのように切るかまでは教えてくれない。最初からツールありきだと、ツールで出来る事しか出来なくなる。手間を別にすれば、結果としては電動であろうが、手であろうが、出来映えとは全く関係がないのである。

プロとは本来は何がしたい、これがしたい、こう表現したいと考えて、出来る方法を模索する。決してツールだとこれが出来る…という発想からはスタートしない。便利なツールは自由な発想を奪っていると言っても過言ではない。今は出来ない事を探す方が難しい。何でも実現可能になっている。だけど、自由な発想をするツールはない。逆に言えば、それこそがプロとアマの大きな境界線であると断言できる。

今後、どんな業種、どんな職人技も大部分がコンピュータやソフトに取って代わられる事は間違いがない。だけど、絶対にコンピュータでは出来ない事。それこそが人間の人間たる生命線だろう。

(ふゆき)


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2010年11月 1日 (月)

脅迫年賀状-c05

C05脅迫年賀状

月が変わったので、今回はパターンを外し、全く新しい発想で勝負してみた。一見、手抜きのように見えて、実は意外に細かく手を入れた。紙が折れ曲がりや、紫外線の色あせも再現してみた。セロハンテープで留めた紙も同様だ。年賀状が送るのも貰うのも嫌いな人、うっとしい人、嫌な友人がいる人も使える斬新な年賀状である。どーだ参ったか!

この年賀状を貰ったら、若干恐怖感を感じるに違いない。何でこんな不気味な年賀状を送ってくるねん、こいつは…と思うこと必定である。もう年賀状を送ってくるな〜と表現できる。友人を失うのに最適な年賀状だ(何でやねん)
毎年送っているのに返事をくれない奴に送ったら、ええ加減にせいよ!と主張できる。この年賀状を選択した時点で、普通ではないと思われる。切れる奴と思われるに違いない。

これほど自己主張の激しい年賀状がかつてあっただろうか。猫かぶって結婚した友人には、あけましての「あ」を「ば」に代えてみよう。先に結婚されてしまって、やられた!と思ったら「あ」を「ま」に代えてみよう。色々と嫌われる材料が揃っている。
今年は、ちょっとだけ脅迫してみる正月ってのもあると思います。(ないない!)

(ふゆき)

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2010年10月30日 (土)

鈴と兎と日の出-b06

B06鈴と兎と日の出

子年や寅年と何が違うねんと言われれば、耳の長さが違うだろう…と答えるしかない。使い回しのデザインのくせに、紐の部分の影をつけるのに無駄に時間の掛かるのが難点だ。今年のうさぎは、比較的楽だろうというのは衆目の一致するところだ。だからイマイチ乗らないとも言える。来年は龍だ。最初の時点で、辰年だったので、あまりに面倒だったのでサイトを作るのを回避して、ヘビ年から始めたといういわくつきの干支である。

辰年はアマとプロの差がはっきり出る干支だと言えるし、卯年はでにくい干支だと言える。何と言ってもうさぎの絵は腐るほどある。素人でもそれなりに描けるし、さらに特徴的で見る人の思いやりが期待出来る干支だ。戌、亥、子、丑、寅と楽な干支が続いている。もしも年賀状で食っている人がいるならば、不幸な年が続いていると言えるだろう。

例えば写真をトレースしたような絵なら、写真で良いじゃないかと誰でも思う。絵が存在感を持つのは、絵でなければ表現出来ない場合だ。龍は空想の産物で写真はない。うさぎは転がっている。この差は大きい。こうなると勝負出来るところが少ない。だからこそ…

発想が全てにおいて優先する。これが持論である。

(ふゆき)


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2010年10月29日 (金)

竹人形-b05

B05竹細工の兎

竹人形シリーズだ。何回目か忘れた。シリーズ化するなら先に作っておけってなもんだろう。ひとつづつ小出しにするなと言われるかもしれない。最初から作ってあるんじゃないかと思う人もいるかもしれない。しかし、実は先の事は何も考えていない。残りの絵もどんなデザインや絵にするのかまったくもって白紙なのである。追い込まれて慌てて考え、時間がないから妥協する。妥協した事に対して腹が立つ。その繰り返しだ。

いい加減この連鎖を断ち切って楽をしたいと思うが、如何せん人間は土壇場にならないと力が出ないものらしい。しかも作ってからが、結構大変だったりする。サンプルの画像を作る。プレビューの画像を作る。高解像度の画像を作る。ダウンロード用の圧縮ファイルを作り、販売用の登録をし、年賀状用のページを更新し、さらにこのブログ用の文章を書いてアップする。こっちの方がデザイン作るよりも時間が掛かったりする。

しかも書いても書いても反応はない。観客のいない一人芝居のようなものである。年賀状で儲けていると思うかもしれないが、年賀状関連の収入は実はほとんど全てサイトの運営費とコンテストの運営費及び賞品に還元して使っている。本業は別にあるので、年賀状は、ビジネスではなくて自己満足のためと言って良いかもしれない。でも悲しい事に少しも満足感がないのだ。

この先に何か良いことあると良いんだけどなあ…。

(ふゆき)


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2010年10月28日 (木)

頑張れ日本-a06

A06ゾロ目のサイコロ

1と1のぞろ目。丁半賭博ならピンゾロの丁という。しかも2011年だから1が4つ並ぶ事になる。双六ならがっかりする数字だが、縁起が良い感じがある。しかも日の丸が2つもある。不景気だ、デフレだと言われて一向に良いニュースが流れない昨今。製造業は中国に押されて意気消沈。このままで良いのかニッポン!

ビジネスは論理的だが、どこかギャンブル的な要素も秘めている。負けっ放しではいられない。捲土重来を期する気合いがいるのである。守りだけではいつしか気持ちも萎えて、縮小する事は明らかだ。意を決してルビコン川を渡らなければいけないのである。意味は違うがサイを投げなければいけないのだ。

いつしか自信をなくした日本。立ち上がれ日本(どっかの政党みたいだが…)そんな意味を後付してみた。(いい加減だ)

勝敗のキスウはグウの音も出ないほどの勝利で終わらなければならない…とダジャレで締めてみた。

(ふゆき)

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2010年10月27日 (水)

兎に小判-a05

A05兎に小判

猫に小判は、よく宝の持ち腐れの意味に使われる。その割に招き猫は小判を首にぶら下げている。では兎に小判だとどうなるのか考えてみた。当然ウサギ跳びで財産が増えていく、或いはウサギ跳びでビジネスが伸びていくという意味だ。勝手に意味づけをしてみた。どうだ。縁起が良いことこの上ないだろう。

誰だって売上は右肩上がりに伸びて欲しい。給与だって右肩上がりで伸びて欲しいに違いない。世の中どうも暗い。先行きが怪しいから、希望がもてないのだろう。そこで兎さんの登場となる。ぴょんぴょん跳ねる。ビジネスが楽しくて仕方ない。社員もやる気が出て、モチベーションもウサギ跳びである。資金も潤沢になる。得意先に菓子折持って、営業掛けて、菓子折の中にある袖の下を見て、相手の担当者も思わず呟くに違いない。

おぬしもワルよのお〜!

何故か時代劇では小判を渡すのは、いつも越前屋と越後屋の役目だ。越前出身の私としては、イマイチ釈然としない。事の善悪はともかく袖の下も出ないのが今の世の中だろう。そんな会社に元気を出してもらう為の小判年賀状。本物は出せないが、せめて年賀状で小判を送ろう。そして兎の如く、元気に飛び跳ねるのだ。

まあ、イソップの物語では油断してそのうち寝てしまって亀に抜かれるのだが…。(ああ、いかんいかん、縁起でもない。忘れてください)

(ふゆき)


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2010年10月26日 (火)

日本の伝統文化と縄-e04

E04日本の伝統文化と縄

しめ縄をモチーフにしたうさぎだ。これも何度かテーマにしている。自分の中では好きなテーマだ。縄は農耕民族の日本にとって切っても切れないものである。稲のワラから作った縄がどれほど日本の文化に浸透してきた事だろう。子供の頃は当たり前にあった。プラスチック素材にとって変わられた今でも、その存在感にかげりはない。

無くなっていくものは、残すだけの価値がないから消えていくのだろうが、どんなに利便性との交換条件でも無くならないものには、それだけの価値がある。それは利便性とは別の時の経過を経てきた別の価値観があるからだ。年賀状にはそれほどの値打ちがあるかどうか分からない。いずれ消えゆく運命にあるのかもしれない。通信手段としての手紙やハガキは、(電子)メールに押しやられ、ほぼ絶滅の危機に瀕している。

現在、一人年賀状だけが残っているのは、ハガキとしての役割より、正月の風物詩という側面が強いからだろう。年賀状がないと正月を迎えた気がしない。無いと寂しい、そんな人の心理が年賀状を残している。勿論、多くの企業からみれば年賀状はビッグビジネスなので、あらゆる手段を講じて、年賀状の魅力を付加させている事も理由としてあるに違いないが、決して消える事のない堅牢な価値を築くには、200年や300年の時間が必要なのかもしれない。

まさに継続は力。昔の人は真理を分かっていたのでしょうね。

(ふゆき)

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2010年10月22日 (金)

アナログvsデジタル-e03

E03スタンパー年賀状

はんこシリーズである。アナログの動作をデジタルで表現するがモチーフになっている。同じテーマを使うならば版画年賀状とか、マジック手書き年賀状とか、墨絵年賀状とか、さらにいくつか使えそうだ。しかし、スタンパー自体が、いわゆるアナログ式複製補助ツールみたいなもので、手書きとは若干遠い。

アナログに関して、良く味があるとか、アナログならでは…とか言われる。私の仕事のDTP(デスクトップパブリッシング…という。ほぼ死語になりつつある。)でも、デジタルは味がないと言われていた。新しいものに対する反感からか、それともこれまでの技術に対する懐古的愛情なのか分からないが、必ずといって良いほど、こういう議論が生まれる。最近だと電子書籍がその良い例だ。技術は単に便利とか何だとか以前に、思い出や時代の共有感も含んでいる。ひと時代を過ごした者にとって、表現としては味があるからと言うが、無くなる事は寂しいのだ。

勿論、書籍がすぐになくなる事はない。しかし、時代の変化は、感情も味も寂しさもあっという間に過去に葬り去ってしまう。これはどうする事も出来ない。土石流に、たったひとりで塀を築いても押し流されるからだ。印刷業界も味がないと言った人はどこかに行ってしまった。

デジタルが何もかも素晴らしいとは思えないが、この流れは誰にもせき止められない。年賀状だって全員手書きにすればどうだ…と提案したところで誰も首をタテに振らないだろう。アナログvsデジタルの勝負はついている。でもアナログが全てなくなる訳ではないのも事実だ。何といっても人間はアナログの塊みたいなもんですからね。

(ふゆき)

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2010年10月21日 (木)

バニーゴルフ年賀状-d04

D04バニーガールゴルフ

ゴルフの年賀状は根強い。それだけゴルフ人口が多いからだろうか。うさぎがテーマだと、どうにも軽い年賀状になってしまった。顔や手足を肌色にしたい衝動を、ぐっとこらえた。シューズも履かさず、ウサギの足のままで何とか頑張った。しかし、服をきているので、何の意味があるのだろうかと思うが、ひとつ許すととことん堕落するので、せめてこの程度の縛りが必要だ。これが職人気質とか呼ばれるものだろうか(職人ほど丁寧に作っている訳ではないが…)

昨日、知り合いのイラストレーターの方と飲んだ。(ちなみに私はイラストレーターではない)。その中で職人気質が邪魔をする話しになった。必要なもの、求められるものをつくるのが最善なのだが、どうしても作り手の論理が勝つと、ろくな事はないって話題だ。職人気質があるからこそ良いものが作れるのは確かだ。しかし、良いモノが売れたり、支持される訳では決してない。使い勝手が良いから支持されるのである。

品質なんて、量をこなせば必ずついてくる。量は質に転換する。量をこなすだけの場数は非常に大切だ。絵だけではなく例えば今は未熟でも数年後には腕の良い技術を持っている可能性は高い。石川遼だって、数年前は今ほど腕が良かった訳ではない。しかし、絶え間ない努力の末にうさぎ跳びで、今では日本を代表するゴルファーになっている。まさに遼が質に転換したって事だろう。

人に支持される仕事をする。それは実に生き甲斐のある仕事に違いない。自分にとって、それは何なのだろうか…。五十何年も生きているのに、まだ回答を見つけ出せていない…。

(ふゆき)

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2010年10月20日 (水)

柔道空手仁王立ち-d03

D03柔道空手仁王立ち

例によって、例の如く、武道に使える年賀状である。動作を描くと空手か柔道か、テコンドーか、簡単にばれてしまうので、ここは仁王立ちだけに止める。武道にハローキティのような図柄は当然似合わない。少し不気味な位が丁度良い。(偏見か?)よって、目玉をあまり下に置かず、離れた目にする。目が少し丸いのは愛嬌だ。細くして目をつり上げればかなり威嚇した顔になるだろう。

通常の場合、目を顔の中間地点より下げ、大きくすればするほど幼児的な顔になる。さらに顔もタテが短くなるほど赤ちゃん顔になっていく。その逆を描けば、大人びた不気味な顔になる。

しかし、この可愛いの表現も時代とともに変化していく。中高生が、大の大人をつかまえてかわいい!とのたまった時代も少し前の話で、昨今はどこが可愛いのかわからんものも可愛いと称する時代だ。それはペットにも現れている。犬や猫はまだ分かるが、昆虫や亀や、さらにハ虫類となると、もう分からない。多様化の時代と言えばそうかもしれないが、可愛いの範疇があまりに広がっている。そのヘビが可愛いとのたまう女の子が、ヘビ顔の男を好むならまだ首尾一貫している。ところが、顔はキムタクや嵐の誰かさん似でないとイヤだとなると、もう分からない。亀が好きな女の子が、やっぱり男も亀が好きとのたまうなら首尾一貫しているともいえるが…(以下自粛)

時の流れは様々な価値観を棺桶に入れてしまう。この間までセーフだったものが、どんどんアウトになっていく。その逆もまた然り。しかもその速度に加速度がついているのが恐ろしい。

自分の若い頃はそんな事はなかった…近頃の若い奴は…と嘆く奴が、20〜30代だったりするのだ。

そんな言葉を聞いた上の世代は、一体どうしたらいいんでしょうかね〜。

(ふゆき)


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2010年10月18日 (月)

耳とうさぎ-c04

C04耳とウサギ

タイトルが何もうかばなかった。で、耳とうさぎって、そのままで何のひねりも聞いていない。恥ずかしくないのか!って、恥ずかしいけど、仕方ない。これでうさぎってかなり無理がある。分かっているけど仕方ない。めちゃくちゃ雑のようでいて、ギリギリ思いやりをもってみれば兎に見えないことはないかもしれない…気がする…という程度の図案である。

耳をデフォルメするのは誰でも考えるからいやだったのだが、不調になると背に腹は代えられない。この頭が真っ白になるって不調は定期的にやってくる。いわゆるスランプという奴だ。本来スランプとはいつも平均点以上をとれる人間が言ってこそ、サマになる言葉だ。駄作ばかり作っていると毎日がスランプだろう…と言われるのを承知で敢えて言うならば、

悪いか!

好きでスランプやってるんちゃう。ドーパミンが出ればそれなりに良いアイデアも浮かぶっちゅうねん。けど、どーにもテンションが上がって来ない。理由をつらつらと考えてみた。一人で作って一人でぼやいてアップして、誰も突っ込んでくれへんから、自分でつっこんでいて、こんなんでテンションなんてあがる?ほぼ、観客のいない一人芝居で、これでハイテンションにやったら、そんな奴は絶対におかしい。

俺って、結構普通やし。

まだ16枚しか作ってない。あと34枚かあ…。ウサギの耳も長いが、完成への道のりもそうとう長い。

(ふゆき)

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2010年10月14日 (木)

シンプル白ウサギ-c03

C03シンプル白抜きウサギ

手抜きやないか…と言われたら、否定はしない。耳はひとつでも良いかもしれない。それなりに考えた結果ですよね?と言われても否定しない。そもそも時間が掛かったからエライってもんじゃない。時間掛ければ良いモノが出来る保証もない。ただ、時間を掛けて努力すれば天から時折、恵みが来る事は確かだ。

今ではしなくなったが、労力を対価に代えていたデザイナー時代は大変だった。何しろ、請け負った価格で出来が良くなるとか悪くなるとかは無かったからだ。高い価格で引き受けると妙に責任感が生じる。価格に見合う仕事をしなければ…と焦る。しかし、いくら考えても良い案が浮かばない事があるから困る。これが安い価格だと、こんなもんだろう…、贅沢を言うんじゃないって勝手に、価格と出来を自分で調整出来る。ところが高いとそれは通用しない。異様に高い価格だと、さらに焦る。少々良いものが出来てもこんなんじゃあかん、もっと手をいれないと…と、どんどん手を入れ、出来が悪化する事も少なくないからだ。責任感が強すぎた私ならではの事だったかもしれない(嘘付け!)

こうなると安い価格の仕事10個の方が楽だったりする。満足できない出来映えのまま、納期を迎え、相手に渡す時などは、もう針のむしろである。頭の中で出来が良くなかった言い訳をいっぱい考える。言い訳を思いつくときだけ天の恵みが来たりするから始末が悪い。こうして無くした仕事がいくつあっただろうか…(あかんやん)

ただ、今回は全く時間を掛けていないので天から恵みが来なかった事だけは確かだ。

(ふゆき)

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2010年10月13日 (水)

エコタイプの白ウサギ-b04

B04エコタイプ白ウサギ年賀状

白ウサギの白は白で塗る訳にはいかない。例えば、写真の白でも必ず色はついている。白いハンカチ然り、Tシャツ然り、絵だから白を塗ったら良いってもんじゃない。背景が白だったら、カメレオンのようになる。白に塗って良いのは背景の色が濃い時だけである。よって、この年賀状はインクの減りが圧倒的に少ない年賀状である。今、はやりのエコって奴だ。プリンタメーカーにとっては、少しも嬉しくないだろう。

プリンタは安くてキレイだけど、インクはちっとも安くはない。これはサプライ品で稼ぐ典型的なビジネスモデルだ。その昔、ジレットがカミソリの刃を売るために、カミソリをタダ同然で配ったビジネスモデルが走りだと言われている。今、流行の(クリスアンダーソンの)フリーの概念もこの延長線上にあるのだろう。

よくよく考えれば江戸時代だって、船場の商人は「ソンして得取れ」とのたまった。ジレットより先んじてあきんどもライフバリューとやらを計算していたって事だ。おかげで覚醒剤を売るやくざ屋さんまでが、最初はタダで配って、はまった後から欲しかったら金払わんかい!とのたまう。(あくまで伝聞だ)エコ、エコ、エコ、と言われると、そのうちどっかにウラがあるんじゃないか…と思えてしまうのは、あまりに天の邪鬼な考え方なのだろう。

振り返って、自分はソンしてソンを得、骨を折ってくたびれを儲けている。

お願いです。誰か褒めてください。

(ふゆき)

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2010年10月12日 (火)

影は雄弁に語る-b03

B03影は雄弁に語る

奥行きを出すには影はなくてはならない存在である。影があるから立体感が出る。影があるから本体が活きる。二次元的な話しではあるが、影のあり方は実体との距離感を表現する手段である。薄い影でボケ足の多い影は距離がある事を示し、濃い影でくっきりした影は距離が近い事を示している。

昨今、アプリケーションの進化で猫も杓子もドロップシャドウを文字や絵に使う。カッコイイからというのがその理由だ。カッコイイのは立体的に見えるからである。しかし、標準的なドロップシャドウをそのまま使うので、カッコ悪い事この上ない。どの程度浮き上がって、どの程度の距離を保っているかを計算し、影を落とすのかが、本来のプロの仕事である。

これは何も絵に限った話しではない。多次元的に言えば、影のある人間はどこか魅力的だ。目に見える人間がウラもオモテもない場合(目鼻が後ろにもついている訳ではない)誠実という褒め言葉との交換条件に、奥行きがなくなる。見た目は強く男らしい勇猛果敢な奴に見えて、実はあまり見せない顔に、実に弱い部分を秘めていると、この落差が魅力となるようなものだ。つまりは俺のような奴だ(冗談でも自分で書いていて恥ずかしい)

影は実体の引き立て役である。例えば時折異様に優しいやくざ。例えば時折正義感に燃える悪い奴。逆に言えば、引き下げてしまう事もある。例えば、時折怒る、普段は誠実で真面目で異様に優しい男。つまりは俺のような奴だ(自分で書いていてあまりに悲しい…)

(ふゆき)


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2010年10月 7日 (木)

新時代のビジネスの道しるべ-a04

A04道しるべ

道路標識シリーズだ。毎年平面的だったので、少しだけ傾けて奥行きをつけた。昨年は奥行きをつけて失敗して元に戻したのだが、今年は何とかやってみた。新しいビジネスへの道しるべという意味である。勿論困難が待ち受けている。新しい会社の5年生存率は5%程度だと何かで読んだ。本当なのだろうか…。起業しても5年経てば20件に1件しか残らない事になる。私の会社は法人化して3年経ったので、後2年だ…と思って頑張っている。まあ、個人事業主だった頃を加算すると結構長いが、逆に長いのにまだこの程度?と自嘲気味に感じてしまうのも事実だ。

みんな希望を持って起業する。つぶれる事を考えて会社を興す奴などいないだろう。確かに割合は少なくても冒険者達の死屍累々とした屍の上に大きく成功する人はいるのだろう。彼我の差は何だろうか…と問えば、孫正義によれば、志の高さの違いだとの事だ。あれだけまっしぐらに走る人にそう言われたら反論でけへんなあ。(当たり前だが、直接言われた訳ではない)

道のない場所を走るのが開拓者だ。勿論、そんな世界に標識もない。今の世の中はそんな時代だ。過去の例があまり役に立たない。タイトルでは新しい新時代の道しるべと書いたが、実はそんなものはないのである。ニュービジネスは、きっと誰も走った事のない道を探して通り抜けたものだけが手にするのだろう。

そんな道を走りたいと思いませんか?

(ふゆき)

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2010年10月 6日 (水)

一発逆転起死回生のリーチ-a03

A03起死回生のリーチ

何年か前にもテーマとして使った麻雀牌だ。我ながらかなり無理がある。点棒が耳である事は卯年だから通用するきわどさで、どこがうさぎやねんと言われたら、そこはあなたの思いやりの問題ですとしか言いようがない。つまりは見る人の優しさが試されているのだ。無理があるから、当然このリーチもかなり無理があるリーチに違いないと想像がつく。メンタンピンの三面待ちなどといった余裕のリーチではない。あと1牌しか残されていない、一発逆転、起死回生の役満を狙ったリーチだ。しかし決して運を天に任せている訳ではない。強引であっても自らが強運を呼び込む為の、攻撃的、能動的な仕掛けである。

先日、同級生と会って飲む機会を得た。何だか楽しい。実にテンションが上がる。その時、私の高校のクラスメートの経営するお店に菅直人総理が遊説の途中に立ち寄ったとの話しを聞いた。店を新築して8年。総理がやってくるまでになった事が誇らしい。候補に選ばれるだけでも凄い事だ。彼には良い意味で刺激を受けている。俺も頑張らなくちゃ…と思う。

同じクラスメートのもう一人の友人は、40を過ぎて公務員を辞めて独立した。会社を興し、建物を建て、会社の中で定期的に少年少女とその両親を招待してコンサートを開いている。自分の趣味とミュージシャンの為にもなっている。実に良いお金の使い方してるなあ…とやっぱり刺激を受けた。

勝ち組負け組という言葉が世の中を跋扈する。相対的な価値観だ。あまり良い言葉だとは思わない。しかし、20年前、30年前の自分から見た今の自分は、確実に負け組である。この場合は主観だが、本当はもっと違う自分になっていた筈なのに実現していないのだ。ここで、俺はこんなもんさ、この程度の人間さと諦める事は簡単だ。だけど、それでは本当に負け犬になってしまう。

ここは一番、最後の最後に役満をツモって、逆転するくらいの気合いでリーチをかけてやる。そんな気持ちを決して失ってはいけないと、つくづく思うのだ。勝ち負けは最後しか分からない。人生一度きり、バクチではなく、どこかで勝負をかけてやるぞとの意気込みだけは忘れないようにしていただきたい。特に同世代の50代以降の方には強くそう思う。

(ふゆき)


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2010年10月 2日 (土)

うさぎのマーク-e02

E02うさぎのマーク

予定より二日遅れの1段目(10枚)制覇である。タイトルはうさぎのマーク君ではない。マーク風のうさぎの意味だ。(どっちでも良い)うさぎをシンボルマークにしているならこんなマークはどうだ!という提案型の年賀状である。色を使いたいのをぐっとこらえて、シンプルに徹する事にした。卯年生まれだからウサギがシンボルとは限らない。顔が似ている人、うさぎのようなおとなしい人、耳が長い人、ニンジンが好きな人も使える。(かなり無理がある)

デフォルメは普通は見えないか見えるかギリギリのところで勝負する。ところがウサギと来たら、昔から馴染みの深い動物であり、ある意味デフォルメさえも使い古されて手垢がついている。こうなると手垢がついたデフォルメをさらにデフォルメするという2段階の誇張になる。物真似でも良くあるパターンだ。物真似がいつしか一人歩きし、いつしか本物とかけ離れる。物真似の亜流が跋扈し、本物とは似てもにつかないものになっても、誰か分かってしまうようなものだ。

この誇張は、目を細めて対象物の特徴を把握する事から始まる。細部は飛ばすのだ。本質に迫らないといけない。要らないものをひとつづつ外していく。そして最後に残ったものが形状の本質とも言える。

ふと、形状ではなく人間そのものを自分をデフォルメしていくとどうなるか…考えてみる。要らないと思われるものをひとつづつ外して残ったものが本当の自分だとしたら…。

しかし、何も残らなかったら悲しいので、考えるのをやめた。

(ふゆき)

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2010年10月 1日 (金)

盆と正月-e01

E01盆と正月

盆と正月と言えば、幸運が重なる事の例えとしてよく使われる。まさにぴったりではないか…。お盆シリーズは、お盆を干支に見立てたもので、このパターンはかれこれ8回目になる。来年は辰年なので、無い可能性が高いシリーズだ。シリーズは無くても盆と正月が一緒に来たような良い事があると、次はないんじゃないか…と思うのは人の常。運の埋蔵量には限りがあると考えるからだ。しかし、物事をマイナスに捉えるとろくな事はない。二度ある事は三度あるから、あと2回は盆と正月がある筈だと考えるのが正しい考え方である。

マイナス思考は、人の判断を狂わせる。チャンスをチャンスと認識しない可能性があるからだ。躊躇すると女神は去っていく。私も何度か後から考えると何であんなチャンスを逃がしたのだろう…と思う事が多々あった。お盆にのせられた据え膳は絶対食すべきなのである。もし、それでひどい目にあったらどうするんだ!って言われそうだが、その時は、実に良い勉強になった…と捉えるのが、これまた正しい考え方である。

盆と正月が一緒に来たような忙しさから、これを吉事と考えた言葉だろう。何となく商売人の発想だ。昔はお盆と正月に支払うので、集金する方から考えたらこんなにお金が入ってくる事はない。でも支払う側から考えたら、金が出て行って仕方ない。どっちやねんと言われそうだ。

そんなもんどっちでもええやん…これが正しい考え方だ。

(ふゆき)

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2010年9月30日 (木)

太陽に向かって吠えろ-d02

D02太陽に向かって吠えろ

太陽に向かって吠えろ…とは、石原裕次郎の刑事ドラマで、マカロニ刑事にジーパン刑事…、え、知ってる。何で太陽に吠えろのタイトルなのかって?それは野球が、月に向かって打てだったので、次は太陽しかないと思ってつけただけで、年賀状との整合性は全くない。だいたいウサギは吠えない。イマイチ炎の情熱を燃やす動物とはイメージがほど遠い。ならそんなタイトルをつけるなって?語呂を合わせたかったんだからしょうがないやん(…って、誰も反応してくれないので、こうして独り言のように自分でするしかないのが悲しいところだ。)

本当はゴルフにと思ったのだが、どうも構図が面白くないので、取り敢えず簡単なバスケットボールにした。絵は出来るだけ人間に顔を乗せるだけの擬人化は避けようと思っていた。これまでも可能な限り、干支の姿形を活かしたまま作ってきた。今回はウサギを忠実に描くとどうもバスケットにならない。シュートを打つ絵にしようと思うと、どうも腕が長くなってしまう、腕が短いと顔とボールがかぶってしまうなどの弊害があるので、仕方なくドリブルにした。いっそ顔をボールにしてやろうか…との考えが頭の中をよぎったが、すぐに捨てた。

擬人化には、人間の顔だけを動物にすげかえた擬人化(これが一番安直で楽だが、工夫がない)と、動物そのものを人間の動作をさせる事による擬人化(犬に衣服を着せるのがほぼそれにあたる)がある。今回はその中間にあたる。胴体が完全に人間になってしまうと実につまらないので、足だけ大きくして、ウサギの足の雰囲気だけを残した。関節をそのままウサギ風にすると絵としては辛いからである。

このままではみな同じようなウサギになってしまうのは避けられないので、ここから少し工夫をする必要があるだろう。何も考えていないようでいて、実は少しくらいは考えているのであった。分かってもらえますか?

(ふゆき)

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2010年9月29日 (水)

月に向かって打て-d01

D01月に向かって打て

タイトルはうさぎだから月という事ではない。月に向かって打て…とは、プロ野球名球会の故大杉勝男氏のエピソードで有名だ。コーチがあの月に向かって打てと指導し、打撃開眼した伝説的な逸話である。実にカッコイイセリフとは思いませんか?月に向かって打ったけど、キャッチャーフライだった。月がキャッチャーの上に来ていたからだ…って人は、この場合ツキがないと言う。(そんな真上に向かって打つ奴はいない)

人によっては運がない、ツキがないと嘆く方もいるかもしれない。しかし努力する人には必ずチャンスが巡ってくる。問題はその運をつかみ取る事が出来るかどうか…。それを運だと思えるかどうかだろう。努力したから成功するとは限らない。だけど努力しないで成功はあり得ない。あのツキに向かって…と言いたいものだ。

例によって、このスポーツ年賀状のコーナーは線画となる。描くのはほんの少しだけ時間が掛かるが、その分何も考えなくて良い、めちゃめちゃ楽なテーマである。Illustratorのブラシツールだけで描いている。ブラシも、丸い円をブラシにしただけのシンプルなブラシだ。(Illustrator使いじゃない方は申し訳ない、意味が分からないと思う)Illustrator使いだして17年以上。もうすっかり手のように馴染んでしまった。

もう鉛筆を使って絵を描く事が殆どなくなってしまった昨今だ。

(ふゆき)


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2010年9月27日 (月)

人は都合良く解釈する-c02

C02人は都合良く解釈する

こんなものがウサギに見えるか〜〜!という無かれ。うさぎ座なんてある筈もないが、星座だって、どこが牡牛座でどこがサソリ座やねんって思う。そんなこじつけがまかり通るならば、何でも通るやんけ!と言いたいほど、自分勝手な解釈なのが星座だ。月でうさぎが餅つきだって似たようなもんだ。同じ空の雲を見上げても、一郎君は雲が麗奈さんに見えるのに、麗奈さんは拓也君に見えたりする。そりゃあまりにも一郎君が横恋慕で可哀想過ぎるだろうって話しではない。人とはそういうものだ。

プラス思考で物事を考える事は大事である。しかし、このご都合主義解釈が、度が過ぎるとろくな事にならない。あの娘は俺がこんなに思っているので、それが分からない筈はないとか、これだけ頑張ったのにそれが分からないのは判らない奴が悪いのだ…とか、今世を騒がせている尖閣列島は清の時代はうちのものだった…とか。責任転嫁になる恐れがある。

日本人は阿吽の呼吸で以心伝心、相手に伝わると言われていた。これも相手の好意によるところが大きい。こうに違いないと空気を読んで類推して行動を起こしてくれ、それを享受しているだけなのだが、カタチを変えた都合の良い解釈である。昨今では段々通用しなくなっている。思いやりがないと言うべきか、間違えたら逆ギレされるのをおそれて遠慮していると言うべきか…。日本人も少しづつ変わってきている。変わらざるをえない。それは仕方のない事だろう。

だけど、空の星はいつまでもたっても変わらないのであった。変わるのは見上げている人の心だけなのだという教訓だ。

(ふゆき)

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2010年9月25日 (土)

苦しいのは君だけじゃない-c01

C01苦しい時のシルエット

苦しい時に塗りつぶしに頼るのは私だけではないだろう。しかし、その苦しい時ってのが、最後の最後、煮詰まった時ならば分かるが、始まったばかりで言うのは情けないとの声もあるに違いない。しかし、物事は最初が一番苦しいものである。助走期間はエネルギーの消費も多いし、燃費が悪いのが世の常だ。最後が苦しいと勘違いするのは、もう終わりと思って手を緩めるからに他ならない。内職をしている貴方も、仕事に追われている貴方も、エンジン掛かった頃になんぼでも持って来い!と思ったら、もう終わっていたって経験がある筈だ。なんだまだ出来るのに…と余力を残してしまう。世の中は、そうそう都合良くいかない。

うさぎは簡単なんだが、逆に手垢がついている。耳さえ長くすればうさぎだ。誰でも描けるが、どこでも見た事のある似たようなものになる危険性をはらんでいる。リアルだったら良いのか、可愛かったら良いのか、生来の天の邪鬼が顔をもたげる。誰でも出来るものは、どうにも力が入らない。

年賀状を提供するサイトは、いつの間にか死ぬほど増えた。掃いて捨てるほどある。それがさらに自分の気持ちを萎えさせる。もう頑張らなくても他にあるから良いんじゃないか?自分が作り続ける意義がどこにあるのだろうか…。そんな考えが頭の中をよぎる。少し惰性になっているのかもしれない。

しかし、同世代の多くは苦境のまっただ中にいる。リストラされたり、或いは仕事が減ったり、定年の事や、定年後の事を考えると希望に満ちているとは言い難い昨今。何より時代からリストラされるのが一番こたえるだろう。弱音を吐かず、そんな同世代に応援歌を捧げる。それが唯一の力の源だと言っても良い。もう終わりと思って手を緩めるのは止めましょう。苦しい時を乗り越えるとエンジン掛かって勢いで力を余しながら、ゴールを目指す事が出来る筈ですよと、自戒を込めて言いたいのでございます。
(ふゆき)

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2010年9月24日 (金)

ガッツポーズ-b02

B02ガッツだぜ

お決まりとしか言いようのない年賀状。お約束で一応入れた。昨年までと違い○がひとつしか使えない。11の部分をウサギの耳にするのは、よくある話しなので止めた。何だかんだいっても作り手としての矜持みたいなものはかすかに残っている。誰もが考えつくあまりにありふれたパターンだけは避けたいところだ。何故かガッツポーズの年賀状はその心意気のせいか、良く使われる。過去に貰った年賀状でも、やたら多かった気がする。

毎年使うので、これが自分の年賀状だ!ってなところだろう。声として今までに止めないでと言われたのが多かったので、今年も入れる事にした。思えば、年賀状のタイトルに2000年のヘビ年からずっと、このガッツポーズを使っている。これが11回目のガッツポーズである。ガッツ石松が始めたと言われるこのポーズ。確かに元気が出る。よっしゃー!と思った時は必ず人は拳を握りしめるものだ。パーやチョキを出すポーズは見た事がない。(そんな奴おれへん)

しょーもない事は忘れて、前しか向かない、プラス思考がガッツポーズの命である。昔の事を思い出して、涙を流しながら感傷にふけり、ガッツポーズを繰り出す奴など見たことがない。(そんな奴おれへん)

その昔、あまりに嬉しい事があって、よっしゃーと思って拳を握りしめて飛び上がった時に、鴨居に頭をぶつけ、さらに同時に敷居に足の爪をぶつけて、頭から血が出て、爪が剥がれ、痛い目にあった記憶がある。元気には実に血がよく似合う(何でやねん)

しかし、今から思い出しても血を吹き出すキッカケになった事はすっかり忘れて、頭と足の爪の痛さしか覚えていない。やっぱりガッツポーズには過去を切り捨てる潔い記憶喪失がよく似合うのだ(何でやねん)
(ふゆき)

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2010年9月23日 (木)

だまし文字絵-b01

B01だまし文字絵は突然にやって来る

絵文字だが、絵を文字にしたというよりも文字を絵にしたと表現する方が近い。鉛筆で適当に書いていて、何となくウサギに見えないか試行錯誤していたら、偶然出来たってのが正解だ。常に試行錯誤の果てには偶然がやってくる。この偶然は一見幸運のように見えてそうではない。あれこれ試している行動から生まれる必然といっても良い。結果は偶然だが、何らかの偶然は必ずやってくる。

果報は寝て待てというが、何もしないで寝ていたら、突然幸運が舞い降りるような話しは実際にはない。何かあるかもしれないと思ってあちこち探す行動の果てに、家宝は見つかったとしても、寝ていては絶対に小判も掛け軸も出てこないからだ(意味が違う?)努力した者(試行錯誤した者)だけが、つかめる偶然と言って良い。必ず偶然がある保証はないが、努力なしでは、偶然が出てくる必然もまた、決してないからである。

そんな事を言うお前はどれほど努力しているのかと問われると辛い。さほどしているとは言えない。だけど年賀状を考えるのは、時間ではなく回数において、人の何倍もやっているのは確かだ。もし、このサイトを運営していなければ、絶対にこんなに作ってはいないだろう。

今年は何回、こういう偶然に恵まれるだろうか…。自分で少し気に入った一品だ。
(ふゆき)

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2010年9月22日 (水)

赤いウサギ-a02

A02赤いウサギ

かなり焦っている。あまりに油断して放置しすぎた。ちょっと馬力をかけて追い込んでいかないといけない。業務用を作ったら、終わった気になってしまったのが原因だ。これまでも仕事で何度も同じ目にあった。必死で頑張ってゴールが見えた瞬間、アクセルをゆるめる。しかし、実はほぼ出来たなと思ってからが、長いのだった。誰しも同じ経験があるに違いない。だけど、一旦ゆるめたものは、簡単にもう一度張り詰める事は出来ない。

1年も経つと、すっかり忘れてしまっている。何もかもが分からない。サイトの更新から、手順、アイデアを出すパターンも全部初期化され、イチから仕切り直しだ。元々が日々少しづつ精進して積み上げていく事が苦手な性分のようだ。追い詰められて、焦って、火事場の馬鹿力を出すタイプである。土壇場や逆境に強い。逆に順境に弱い。ぬるま湯につかると、とことん怠けてしまう、実に人間らしい人間である。きっと似たような経験をした、人ごととは思えない人もいる事だろう。そう、そこのあなた、あなたの事である!

この年賀状、焦って顔が紅潮しているのがよく分かるに違いない。(…って、別にそういう意味ではないが)赤に黒はよく似合う。特に何の工夫もない図柄だが、くっきり赤と黒で、ぱっと見に目立つだけが取り柄の年賀状だ。それにしてもまだ2枚目、先は長いなあ…。

(ふゆき)

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2010年9月21日 (火)

ウサギのご挨拶-a01

A01a01-ウサギのご挨拶

ずいぶん遅れてしまった。調べてみたら昨年に比べて一周遅れだ。昨年同時期、一段目が全部埋まっていた事に気がついて愕然とした。ここから追い上げて並ぶ事が出来るのかどうか分からない。ウサギは特徴的だからと半分なめていた所もある。しかし、今年は業務用で60点も作成しているので、殆どネタが尽きている。頭が真っ白で何も浮かばない。

仕方ないのでまずは昨年と同様にシリーズ物として、挨拶から始めたい。勿論、自分の挨拶と言う意味ではない。使い回しになるが、安直に平べったいウサギである。ウサギは耳を長くして、耳の中をピンクにしたら、顔はどんなに不細工でもウサギに見える。人の思い込みや刷り込みによるウサギのイメージがそうなっているからだ。

ウサギといえば可愛いという印象が多い。だが、人と違う事が生き甲斐の自分にとって可愛いウサギを描くなんて、どうにも性に合わない。今年の年賀状は可愛いものは出来るだけ避けたい。単に描けないだけだろう…と思うかもしれない。実はそのとおりだ。まずは最初の一歩。調子にのってくるには時間がかかると思う。デザイン年賀状の名に恥じない、デザイン的なウサギを作って行きたい。

どうか気長におつきあいを。

(ふゆき)

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2009年12月16日 (水)

e10-ラスト年賀状

E10●ラスト年賀状

最後の1枚は文字のみだ。筆文字のようだが、Illustratorでブラシを使って作ったもので、実際の筆を使ったものではない。干支は入っていない。全部で95枚。今年は干支的に楽だったから多少とも早くできたのかもしれない。終わってみればあっという間だが、全力とは言い難く、毎年少しは進化しているというものの、全く満足出来ていないのが本音だ。

自らの年賀状を振り返ってみると、モノクロでペンで描いた手書きの年賀状から始まり、やがて印刷に回すようになり、プリンタへと変遷していったのは世の流れと同じだが、そこにかける情熱は少しづつ醒めていった感じがある。出来は当然どんどん良くなっていくけれど、自戒を込めて言えば中味が薄い普通の年賀状に成り下がってきているといっても良いかもしれない。

それは年令と共に変化していくもので、ある程度仕方がない事だろう。10代、20代は自分の存在を主張する年賀状。30代は近況を報告する年賀状。40代になると義理も混じり、50代から60代以降になると旧交を温める年賀状になるのだろうか…。世代に応じて年賀状の特性は変わらざるを得ない。それは年賀状というよりも、人生そのものと換言出来る。人は年令と共に変化をしていくものだからだ。

人と人のコミュニケーションの方法も年令と共に変化をせざるを得ない。今、自分の為ではなくて、人の為の年賀状を作っているからこそ痛切に感じる。何の為に年賀状を出すのか、どういう年賀状なら人は嬉しいのか。結果、自分が貰って嬉しい年賀状が、みんな貰って嬉しい年賀状である事に帰結する。嬉しいのは、やはり大量生産とは違う、ひとことだ。店に入って機械が話す感謝の言葉に、感動する人はいない。だけど、人が話すありがとうは気持ちがよい。生身を感じさせる年賀状が一番嬉しい。

自分に出来る事は、何か一言添えたくなるような年賀状。書かずにはいられないデザインやレイアウトになるのだろうか。我ながら、そんな高尚なデザインやレイアウトや発想をしているとはとても思えない。カテゴリの目的別や図案化した年賀状やインパクトのある元気の出る年賀状を作るだけで手一杯だからだ。

だけど、年賀状の目的は一括りには出来ない。義理の年賀状だってあるだろうし、止むに止まれず出す年賀状だってある。全ての人に手書きのコメントを強いるのは傲慢とも言える。年賀状を出さない事だって立派な自己主張とも言える。つらつらとそんな事を考えだすと堂々巡りになる。

それでも、来年は今年よりもずっと進化したものにしたいと思う気持ちは変わらない。

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2009年12月15日 (火)

e09-二つ折り

E09●二つ折り

文字を二つに折っていた絵柄を、虎の絵に変更した。文字でないとあかんやろ…と思っていた方には大変申し訳ないが、ここは絵にしたかった。このパターンは毎度の事だが、寅の文字があまりに左右対称で角張っていてつまらなかったからである。四角四面は安定感があるが面白みはまるでない。漢字だって自分の名字も田中なので、書いていてつまらないのだ。角張った名字や名前をお持ちの方は良く分かると思う。

なだらかな曲線で微妙にバランスを取ったものは見ていて楽しい筈だ。もし女性のヌードが四角四面ならば、誰が楽しいと思って見るだろうか。もし乳房が四角だったら、魅力を感じるだろうか…(かなり飛躍している)

コンピュータでデザインするようになってその曲線が簡単になった。昔は考えついた瞬間に頭から消し去っていたものだ。作る労力を考えたら現実的ではなかったからである。柔らかな曲線は人を和ませる効果がある気がする。手で描いたフリーハンドの絵も同じ効果があるのだろう。この二つ折りの紙の中の絵はそれほど曲線は使っていない。どちらかと言えば角張った絵だ。だが、非対称の奥行き感で安定感を壊してみた。

人は調和を求める人もいれば、不安定なバランスを楽しむ人もいる。何が良いと思うかは使う人次第で変わってくるので、作り手としてこれが良い、あれが良いとは言えない。おすすめさえ出来ない。千差万別な好みの中で何をチョイスしてくれるのだろう…という楽しみと、結果としての驚きがいつもある。

今年は皆どれを選ぶのだろうか…と思いつ、来年の参考にしたいと思っている。
使って頂いている方にあらためて感謝。

毎年来てくれて、使ってくれてありがとう。

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2009年12月14日 (月)

d10-卓球年賀状

D10
卓球年賀状

昨年に続き、再び卓球の登場だ。レシーブはあまり絵にならないので、どうしてもスマッシュになる。正直言ってあまり気に入らない。虎は十二支の中で楽な事は楽なのだが、黄色と黒の模様以外の特徴が自分の中でうまく消化出来ていない。力量不足を痛感する。結果としてスポーツはコミックタッチばかりになってしまった。

今年は出来るだけリアルな虎は描かないように気をつけた。…というより例年心がけている事だ。写真のように描く…これは自分のプライドがずたずたになる。時間さえ掛けたら誰でも出来るからだ。如何に特徴を捉えて、如何にデフォルメするか…。これがなかったら、デザイン年賀状(この呼称も皆使い出したので、自分のサイトを表す称号にならなくなった)の意義がなくなるからだ。少なくとも、指名でサイトに来て使ってくれる方は、トータルの傾向で選んでくれていると思っている。その期待を裏切ってはいけないと思っている。

今年その期待に応える事が出来たか…と言えば、出来ていないかもしれない。自分自身が満足出来たとは言い難いからだ。毎年の事に流されている自分がいる事も事実だ。これは実に不幸だ。毎年作り終わった後にもの凄い悔いを残す。何故この程度なのだろう…という悔いだ。逆に自分はもう現場から離れつつあるのだから、いつまでも年賀状に時間を注ぐ訳にはいかない…との思いもあるが、悔いの方がその思いをはるかに超えている。

決して満足感が得られないのは分かっている。それでも全力を尽くしたかと問われれば…答えはNO!である。色々な声を頂き、色々考えさせられた。声はとてもありがたい。進化させる手がかりをもらえるからだ。

せめて昨日よりも明日が素晴らしい、昨年よりも今年が素晴らしいと思える進化を遂げて行きたいと考えている。

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d09-栄光のトライ

D09●栄光のトライ

タイトルは進学塾の宣伝ではない。しかし、ラグビーは、申し訳ないけどあまり良く分かっていない。それでも栄光に向かって走るさまは非常にカッコ良い。世の中に出てしまうと、身体を使って栄光を勝ち取る仕事はプロでもない限り、なかなか少ない。若いから走る事が出来る。若さとは損得を超越した所で必死になれる部分がある。

世間は、良きにつけ悪しきにつけ損得の経済で動いているのは一面的な事実だ。だけど栄光と金儲けはイコールではない。栄光を掴むと結果としてお金が入かもしれない。それでもお金儲けの為に目指すものではない筈だ。少なくとも私はそう思う。栄光とは人によって違うだろう。

あなたにとっての栄光とは何でしょうか?課長になること?専務になること?社長になること?それもいいでしょう。或いは尊敬される事、一番になる事、何だって良い。光輝く事が出来たら、それまでの苦労が報われる。そう、栄光とは、その過程で苦しむ必要がある。一発逆転、サヨナラ満塁ホームランみたいなもんでしょうか。最後まで諦めないから逆転のチャンスは生まれる。

そうなると50代も60代も70代も一発逆転のチャンスはまだある筈だ。決して諦める事無くチャレンジして頂きたいと願う。私も簡単には諦めるつもりはない。とことん目的に向かって走り続けたいと思っている。

みんな一緒に目指しましょう。日本の栄光もその先にあるかもしれません。

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2009年12月12日 (土)

c10-虎神

C10●虎神

俵屋宗達に対抗して作った虎神。現代の俵屋宗達(本気にしないように)、この私が作った雷神の子供のイメージである。虎の神様。題して雷神ingサン。日はまた昇る。どこが?単なる大黒様の出来損ないじゃないかって?だぁ〜〜!言うな!言うな!それを言っちゃあおしまいよ。じゃあ、こうしよう。題してタイガージェット神。一部マニアにしか受けないような事を言うなってか…。神様の重みがないってか…。そ、それを自覚しているのは自分自身だ。雷神ingサンとタイガージェット神、年賀状のコメントにつけて受けを狙ってくれ。お、オヤジギャグ過ぎるってか…。(やや落ち込む)

確かにあまりにちゃちな神様ではある。しかも本人は神様を信じていないと来ている。だって、神様って見たことないんだも〜〜ん。でもホトケ様は見たことはあるぞ〜!(そういう問題ではない)
神様は実在していないが、常に人の心の中に宿っているのである。

受験生に、或いは何かを目指している人に向かって、運を掴めとばかりに送るのはどうだろうか。

順序がさかさまになったが、この年賀状はそれほど時間がかかるタイプではない。丸三角四角を主に使ってパパっと作るからだ。左右対称の場合はひとつだけ作れば良いのでさらに楽だ。だけど面白みに欠けてしまうきらいがある。立体感も出にくい。謹賀新年が絵に被さっているのは、平べったい絵に少しでも奥行き感を出す為だ。よく見ると大黒様というよりも、赤ちゃんがガラガラを持って微笑んでいるの図にみえない事もない。だけど、それは気がつかなかった事にしよう。


正直いってもっと手を入れたい所だが、時間が足りない。昨日から若干腰が痛い。イスに座っている時間がどうしても限られている。ウルトラマンみたいに危険信号がなるのであった。だから今日はこの辺りでご勘弁を。

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2009年12月10日 (木)

c09-ご祝儀

C09●ご祝儀

おめでとうございますに、ぴったりの熨斗袋、祝儀袋である。祝儀袋の中には、互いの信頼や友情が詰まっている…なんていうのは、ちょっと臭くて今風じゃなくカッコ悪いかもしれない。ま、結婚した友人、結婚を間近に控えた知人に送るのも良いだろう。結婚する人に全員がおめでとうと言ってるかどうか不明だ。自分を置いていきやがって…と思う人あり、あんなイケメンを、美人をつかまえて…と思う人あり、それでも、おめでとうの意志を伝達するために祝儀袋を使う。例えそれがかりそめの気持ちであっても、祝儀袋はおめでとうを表現した袋なのである。

これまでに何度も触れている事だが、デザインは触媒である。素材をどう扱うか、情報伝達のお手伝いの意味がある。如何に分かりやすく情報を区画整理して増幅して伝えるかに意義がある。アートとは本来区別するべきだと考えている。(アート的なデザインがある事を否定している訳ではない。)1丁目、2丁目、3丁目と整理する。平たく言えば、賀詞は1丁目、絵は2丁目という具合に決め、混乱しないように配置をするのだ。優れた原稿は、原稿の時点で1丁目、2丁目がはっきりしている。デザイナーは、区画整理に時間を割かずに、本来の効果を増幅させる部分に集中できる事になる。

印刷の原稿なんて様々だ。手で殴り書きした原稿から、きちんと割り振りをした原稿、素人がそこまでするな!と言いたいようなレイアウトまでしてしまった原稿。タチの悪いのは、レイアウトするのに邪魔な要素のある最後の原稿である。タイトルを枠で囲まれたりしたら、担当者がそうしたいのか、たまたま囲ってしまったのか、逡巡する事になる。当然、情報が区画整理されていないので、一旦レイアウト原稿から生の原稿を作り直して、もう一度考え直すのだが、どうにもこうにも最初のレイアウトが頭から離れない。結果ろくな出来映えにならない。そこで大きくうなづいた貴方は、きっと同様の経験があるに違いない。意志の伝達とは本当に難しいものだと痛感する。

このデザイン年賀状は、いわゆる原稿がない。私自身が勝手に原稿を作って、勝手にレイアウトしている。年賀状の意志はどこにあるのかと問われれば、元々のコンセプトである元気の出る年賀状だ。それだけを頭に置いて作っている。残りは使う人が選択して、自分流にアレンジしてメッセージを添えれば良いようになっている。作ったのは私だが、差し出す時点で、使う人の年賀状になっているのが理想だ。このデザインは俺の為のデザインだ、私の為のデザインだ…と思って貰えばとっても嬉しい。

そして、あなたの意志を年賀状に載せて、友人知人に伝達してあげてください。

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2009年12月 9日 (水)

b10-赤い房

B10●赤い房

紐を寅に見立てた年賀状だ。業務用でも独楽の紐を一筆書きの寅に見立てた年賀状があるが、テイストや処理の仕方が違うだけで、発想としては親戚のようなものだ。家族は赤い房で繋がっている…って訳だ。赤い糸じゃないか…と思うかもしれないが、赤い房でいい。何故かと言えば、絵が房だからだ。(物事は自己中心的に考えるに限る)

日々色々な事を考えていると右と左の使い分けが難しい。何も憲法改正と、護憲の立場を使い分けているって事ではない。左脳と右脳のキャッチボールがうまく行かなくなるのだ。右の脳を使っている時と左を使っている時が良く分かる。最近は左を使う事が多いが、途端にデザインが難しくなる。どうも引き出しが違うようだ。絵を描くのはさらに、もの凄くおっくうになる。バランス良く使うのが一番良いのだろうけど、これが簡単にいかない。

発想はパズルのようなものだと思う。これまでに仕入れた部品を組み合わせて行く作業だ。その部品はどうも右よりな気がしている。勿論、論理的に積み上げていくのだが、最後の最後に閃く瞬間は、論理では説明が付かない。パズルのピースが一気に組み上がる感じに似ている。天から降って沸いたように一気に完成形が浮かぶ。文章はどちらかと言えば左よりだ。だから両方を同時進行するのがとても辛い。引き出しを閉じては開き、開いては閉じる感覚がある。せっかく組み始めたパズルを途中で壊し、またイチから始めるのに似ている。とことん効率が悪い。何かを考えている時は、必要な部品や情報のパズルが頭の中で散乱している感じで、その完成形が少しづつ見えてくるからだ。

昔読んだ、渡部昇一の「知的生活の方法」に、頭の中のエンジンを一気に加速させる時は、終わりそうな仕事は必ず90%で止める…というノウハウがあった。これは次の日に残り10%を仕上げる時に、一気に90%まで仕上がった状態にトリップ出来るからで、自分の体験と酷似している。引き出しが一気に開いた状態にもって行ける。脳の仕組ってこうだったのか…と実感出来る瞬間だ。

み〜〜んな、今日の仕事は今日中に…と思ってません?頭の中をリセットしまっては元も子もない。昨日と今日の断層を連綿と赤い房で繋ぐことこそが、大事なのである。(出来てない奴が言ってもあまり説得力はないが…)

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2009年12月 5日 (土)

b09-格子曰く

B09●格子曰く

碁盤目に虎の家族を入れた。少子化で2人の子供は減っているので、平均的とは言えないかもしれない。格子模様は和の代表のような模様だ。正月によく似合う。動きや面白みには欠けるが、四角で囲う為にバランスを取りやすく、安定感がある。古くから今でも残り続けるには残るだけの理由があるのだろう。伝統的なものは全て残されたのではなく、淘汰から勝ち残って来たのだ。その勝ち残って来た理由を考える。それが、故きを温(たず)ねて新しきを知る、温故知新だ。古典、伝統から得るものは大きい。学びは全て温故知新と言っても過言ではない。

格子模様で孔子は安直すぎるが、小さい子供の頃は意味も分からず「しぃ〜のたまわくぅ〜」というフレーズを何度も聞いた覚えがあり、それが論語と知ったのは随分後になっての事だった。論語も何千年もの時を経て現代に語り継がれるには、やはりそれなりの理由があるのだろう。人間の本質は何千年たっても変わらない証左と言える。

しかし、インターネットで加速度的に人の交わりが多くなり、知識の共有が進むと、変わらなかった人間そのものも変化を強いられてくるのかもしれない。特に物心ついた時に携帯やネットが当たり前の世代にとっては、子曰く…も通用しないのだろうか。

子曰く(こぉ〜のたまわくぅ〜…と読む)、ママ〜菓子買って〜。
子曰く、ゲーム買って〜。携帯買って〜!

孔子もあの世で嘆いているのでございましょうか…。
ま、人様の事は言えませんが。

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2009年12月 4日 (金)

a10-つながる年賀状

A10●つながる年賀状

例年、作っている省略形の年賀状だ。例年作っているとは言ってもテーマが同じなだけで、干支が違うので、これはこれで結構頭を使う。見えない部分を見ている人に補ってもらうのを目的としている。以前にも書いた事があるが、慣性の法則というやつだ。線が途切れていても、見る人が頭の中でつないで見てくれる。

全てを書きすぎるよりも、時として想像にまかせた方が良い場合がある。例えばラジオは、声だけなので想像をかきたてる。声から顔やその人となりまでを頭の中で組み立ててしまう。後からテレビで実物を見たときに、何でテレビに映ったんだ〜〜!と怒りに震えた経験のある方もいるに違いない。(俺だけか?)時として虚像は実像を超えてしまうものだ。逆に言えば、表現方法としてはその方が優れている事になる。

長年会っていない友人と会ったりすると、それが10年であっても20年であっても、久しぶりだなあ…と言いつつ、まるで時間が経っていないいないかのように経過を埋めてくれる。一緒に過ごした時代背景や共有感が繋がっているからだろう。年賀状は、その最たるものだ。1年刻みのパラパラマンガのように人と人を結びつける。クラス会だって同じ法則が働く。今年の夏、中学校のクラス会があった。40年近く経っても、やっぱり時間が埋まった。この先、会うかどうかも分からない。それでも疎遠になっていた人とコミュニケーションがとれた時の嬉しさは格別のものがある。

記憶は何から何まで全て覚えていたら脳がパンクする。だから適当に忘れて、細切れになって残った大事な情報をかき集めて繋いでくれているのだろう。人は一生の間にどの位の人と会ってどの位覚えているのだろうか…。年賀状の枚数の多さが全てとは思わないが、やはり記憶の鍵となって、過ぎ去った時と今を結んでくれるのかもしれない。

思えば、年賀状はこれまであまり多くは出してなかった。今年は少し出してみようかな…と思う。しっかりとペンを取って賀状にあれこれ書いてみるのも良いのかもしれない。

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2009年11月30日 (月)

a09-iPhone年賀状

A09●iPhone年賀状

モバイルの革命児、iPhone風年賀状。今では珍しくもなく最近は電車の中でもチラホラと見かけるようになった。今更ながら何が凄いといって、あの発想力だ。当たり前に存在するものを否定して新しく創り出す事の難しさはイヤと言うほど分かるだけに、3年前の発表時には衝撃を受けた。こういうものが生み出せる土壌が素晴らしい。以降、似たような携帯が出てきている。だけど1番最初がやっぱり凄い事に変わりはない。

私も通勤電車の中で使っている。昨年も書いたが仕事が一変した。会社に来るメールをGmalにも転送し、iPhoneで閲覧する。どこにいても何のメールが来たかが即座に分かる。ノートパソコンを手のひらに入れた感覚だ。iPhoneを使用しているビジネスパーソンは珍しくないだろう。普通の携帯電話を忘れても焦らないが、iPhoneを忘れるとかなり焦る。若干依存症気味かもしれない。

コミュニケーションツールとして携帯電話に依存している人は少なくない。通勤電車の中を見ていて、これでもかというほど携帯を見つめている人が多い。これまでのコミュニケーションのあり方を変えてしまった。手紙のような通信手段は既に終わり、即時通信に変わった。加速度的に人と人との交わりが早くなっている。そんな中で旧態依然とした年賀状が存在している事が奇跡のようにも思える。郵便事業会社は、年賀状は贈り物だとキャッチコピーを流している。だけど本当にそうなのか?私は違うと思う。

年賀状はやっぱりコミュニケーションのツールなのだと確信している。今風の携帯電話を以てしても代替出来ない、人と人をつなぐ希有なツールなのだ。あのハガキ1枚から様々な情報を読み取る事が可能だ。1年1年の移り変わりでその変化を読み取る事が出来る。住所変遷や、子供の年令、写真や、メッセージから友人知人の近況を知る事は可能だ。年賀状と携帯は映像と写真との関係にも似ている。一瞬一瞬を切り取った写真は今でも廃れる事はない。年賀状もまるで1年の一瞬を切り取った写真のようだ。

年賀状が来ない事すらが、近況だとも言える。何もかもがカーレースのように進んでいく昨今、1年に一度のやりとりで人をつなぐものが他にあるだろうか…。ある種同窓会と似たような役割を果たしている。同窓会を贈り物だと言う人はいないだろう。年賀状レトロ美術館を今年作ったが、その100年前の年賀状を見ていると、100年前が甦ってくるような気になる。100年間生き続けている。きっと、あと100年経っても廃れないに違いない。そして、日本だけでこれほど発達している事を考えると、これは日本文化そのものだとも思える。

もしかしたら100年後、200年後、何気ない貴方の年賀状が時代を反映する年賀状としてどこかに陳列されているかもしれませんね。

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2009年11月28日 (土)

e08-盃風お盆年賀状

E08●和風お盆

全体の並んだ状態を見て、この辺りに黒い色で締まった年賀状が欲しいと思ったので、昨年も使ったが、このリッチブラック(黒に青が混ざった、黒々とした色を業界ではリッチブラックと呼ぶ事がある)を使った年賀状を入れてみた。色合いとしてどこかに緑がワンポイントとして入れたいところで、あまりに取ってつけたようになってしまったが、葉っぱを添えた。お盆の中央には金色の虎を配している。盃と言った方が良いかもしれない。どっちでも良い。ここは受取り手の都合にまかせたい。

この年賀状は使うのに勇気がいる。何と言ってもインクを大量に消費する。黒に見えて、黒と青が入っている。赤にも黄色が混ざり、緑があるので黄色と青が使われている。これでもかという程、インクがいる。このご時世、大きな声では言えないがうちの会社は儲かっていてボーナスが多かったので、インクなんてセコイ事は考えた事もない…って人にピッタリの年賀状だ。今風のエコとは実にほど遠い。リッチ(ブラック)な人向けかもしれない。画像でみるよりも、プリントして初めて分かる色合いと美しさだ。お暇な方は1枚だけプリントしてみては如何?。

途中でインクが切れたらどうするんだ。俺様が切れる!って方は決して使ってはいけない。また、近くに家電量販がない、インクを売ってるところがないって人も避けた方が懸命だ。条件を選ぶ贅沢なデザインだ。インクは家から歩いてすぐの所に売ってるぞ、というリッチ条件な人向けかもしれない。(大げさだ)

それにしても、デフレだ、不況だとかびすましい。言えば言うほどに落ち込むような気にさえなる。国全体が自己催眠にかかるようだ。もっと明るい話題はないもんでしょうかね〜。ほんま。

あと10枚になりましたが、頑張って一気に作ります。

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2009年11月27日 (金)

e07-ロゴマーク風

E07●ロゴマーク風

虎を出来るだけ簡略化出来ないかと考えて、一旦描いた虎をさらにシンプルにしていった。あくまでマーク風なので、ロゴマークとしては当然ながら完成度は低い。今回は黄色は使いたくなかったので、ワンポイントに口だけ赤にした。丸が基本なので、本来は中央に据えてバランスを取るのが簡単なのだが、面白みに欠ける為、敢えて中央から外して、迎春の文字と挨拶文でバランスを取った。挨拶文を十文字にするなど、邪道の極みだが、ここはデザイン年賀状の名前通り、ぱっと見の印象を優先。

ざっと説明としてはこんなものだが、自分として何だか満足度が低い。気に入ったものは掛かった時間に比例しない。どんなに時間をかけようが、時間が短ろうが、満足度とは何の関係もない。独創的で斬新で誰もが使うであろうものが出来た時が一番嬉しい。そう考えると、独創性に乏しいのが気に入らない原因かもしれない。その意味では虎のリアリティのあるイラストなんて描いたなら、一番満足度が低いかもしれない。但し、これは一般的な評価ではなく、自己評価なので世間の目とは、ずれているだろう。

次から次へと泉のようにアイデアが湧き出たらきっと嬉しいに違いない。だけど残念ながら、そんなネタが止めどなく浮かんで来る貯水池を持ち合わせていない。これは今までの不勉強の賜で仕方ない。自分には到底出来ない発想をする人を見ると、本当に感心する。一体どうしたらこんな考えが出てくるのだ…と思うからだ。素晴らしい知恵と発想が評価を得る世の中であって欲しいと願っている。決して金儲けが評価の基準であって欲しくないからだ。

これは何もデザインなんていう小さなカテゴリの話しではなくて、ビジネスでも、アートでも全ての世界で共通であって欲しい。今の時代はともかくとして、せめて次世代はそうあって欲しいと思う。

…と、こんな真面目な事を書く予定ではなかったが、皆さんそうは思いませんか?

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2009年11月26日 (木)

d08-テニスフォアハンド

D08●テニスフォアハンド

毎回、テニスラケットでお茶を濁していたので、今回はきちんと動きのある絵にした。フォアハンドでレシーブするの図だ。このポーズのモデルは、なんとロジャーフェデラーである。(全く似てもにつかない)あまり気にする必要がないかもしれないが、同じようなタッチの絵が異様に気になる。これはどうも性分のようだ。干支で縛り、余白を取る縛りを入れ、年賀状という縛りだと、パターンというのはそうそうあるものではない。あるかもしれないが浮かばない。どうやって違うように見せるのかの話しになる。

良くあるCD素材などで何千点とうたったパターンは、同じ絵で色だけが違っていたり、同じレイアウトで位置だけが違っていたり、そんなものを数に入れて良いのか!…って怒りたくなるものもある。いくらレイアウトを変えても同じ絵は同じ絵なので、印象は絶対に変わらない。同じ絵でも一部を切り取るとか、反転させるとか、工夫をして欲しいものだ。点数の多さアピールすれば中味はともかく売れるに違いないと勘違いした、売り手からの都合なのだろう。しかも中味が見えないので実際売れていたりする。

CDを買っても本当に使えるのは何点も無かったりする。それなら使えるものだけ10点、20点の方がまだましだ。数が多い分、使えるものを探すのに時間が掛かって、余計に役に立たない。サギに近いやろこれ!と思う。嫌になるほどそんな経験をしてきた。最初から自分で描いた方が早い位だった。それでも仕事で使って来たので、時間が無くて、100枚や200枚できかないほど素材CDを買ってきた。

だから余計に同じパターンを続けるのが嫌で、どうにか変えてしまいたいと思うのかもしれない。

毎年作った年賀状を後から見ると、消してしまいたい衝動に駆られるものが多い。(ちなみにこのテニスの年賀状もあまり気に入っていない)いくつか自分でも良く出来たと思うものもある。だけど残念な事に、自分が良くできたと思ったものは人気がなかったりする。

何だか難しいもんですね。

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2009年11月25日 (水)

d07-アタックナンバーワン!

D07●アタックナンバーワン!

どうもデザインというよりも線画のコミックタッチが増えているので若干申し訳ないなあ…と恐縮しながらも、反省は全くしていない。(だって、な〜〜んにも浮かばないんだモン、涙が出ちゃう)ってのはアタックナンバーワンのセリフで中年男が言うと気持ちが悪い。その代わりと言って何だが、出来るだけ動きを出している。空に向かってジャンプするあり得ないトラだ。Illustrator使いの為に説明すると、ほぼペンツールで描いて、ブラシを適用している。しかもそのブラしたるや円を描いて、登録しただけの何も考えていないシンプルなブラシである。意外にこのブラシが重宝する。

アタックナンバーワンは、少女マンガなので、勿論思い入れはないし、見てもいなかったが、テレビアニメのセリフだけは良く覚えている。スポーツ根性モノが流行った時代だ。当時は物語も大抵単純だった。ドロにまみれた主人公が汗と涙と努力の末、栄光を掴む。見ている方も単純だった。マンガに限らず、いつの頃からか、複雑な物語が登場してきた。複雑な生い立ち、複雑なストーリー、リアリティを追求したストーリー運び。臨場感が求められる時代になったのだろう。四捨五入された物語だと、そんな事あるかい!てな突っ込みが入るのだろうか。

時代と共に技術は常に進化していく。その昔は知らないが、子供はのらくろ三等兵みたいな単純なマンガでも狂喜乱舞したのだろう。年賀状だって進化していくのは誰にも止める事は出来ない。その進化についていきながらも、良い部分をどのように残して活かすのか。少しぐらい貢献できるだろうか…。そんな事を考える。

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2009年11月20日 (金)

c08-トラになるんだ!

C08
●トラになるんだ!

なんていうか、ちょっと間をあけたら敷居が高いというか何というか…。とても作る気になれないんだよな。これが。こういう時は昔描いたものを焼き直して調子を上げる。これに限る。トラだトラだは、タイガーマスクの中の言葉だが、どちらかと言えば、鬼になる、って意味に使われるような感じだ。極めるといっても良いかもしれない。人間から昇華して、鬼になるんだ!って訳だ。受験の鬼、仕事の鬼、何だってよいだろう。ガンバレ!或いは頑張るの意思表示にどうだろうか。まあ、逆に鬼から人間になりたい!ってマンガもあったが…。

デザイナーなんてその最たるもんだと思う。仕事仕事で夜も昼もない。毎日締め切りに追われ、夜と昼の境目が分からない。何度、人間になりたい〜と叫んだ事だろう。仲間と一緒に、俺達ちゃ〜業界〜〜人間なのさ〜と叫んだ事が、ついこの間の事のようだ。そして、最近ようやく人間の仲間入りを果たしたところだ。人間になったらなったで、物理的な若さがなくなっていたのがとっても残念だ。

でも、いっとくが精神は若い。確かに脳みそは衰えてきている。ど忘れがあったりしてとっても悲しい。しかし、しかしだ。いっとくが気持ちは若いのだ!誰にも負けないくらい若いつもりだ。それでも見た目は年相応になっていって衰えているのは確かだ。脳みそも衰えてきている。だが、だが、これだけは強調しておきたい。気力が若いのだ。絶対に若いのだ。それでも確かに体力は完全に落ちている。下り坂を転げるように無くなってるのは間違いがない。脳みそも衰えてきている。だが、だが、それでも、な、なんというか…え〜〜と、な、何を言おうとしてたんだっけ…。

わ、忘れた…。

う〜〜ん。こうなったら、仕方がない。忘れ去る事の鬼になろう。

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2009年11月16日 (月)

c07-ダルマ

C07
●ダルマ
ダルマシリーズはかなり困難を極めるシリーズだ。毎年頭を悩ませる。ダルマの特徴が強烈だからである。ダルマに干支を絡ませる手法については色々と考えた。顔の部分だけで勝負する。ダルマのカタチ全体を顔に見立てる。干支の特徴的な部分をダルマの顔の部分に埋め込む。それでも駄目なら文字で誤魔化す。この順番に考えていく。

過去のダルマシリーズで自分自身が一番気に入っているのはブルドックをダルマに見立てた戌年のダルマだ。今年は顔の部分だけで勝負した。他に手法が思いつかなかった。手段としては自分の中では若干姑息な部類に入る。しかし、虎の怒ったような顔はダルマの顔と似ている。共通点がここしか見いだせなかった為、マンガチックになってしまったが、とりあえず及第点としておこう…と、自分にささやいた。

ダルマは選挙で必ず出てくる。今年民主の風で落っこちた議員さんにぴったりではないだろうか。再選を期して頑張るぞという訳だ。そもそも縁起物のダルマは起き上がり小法師が起源とされているようだ。七転八起。まるで落選された方にはぴったりだ。何度転んでも起き上がる。捲土重来。諦めず挑戦する。そのイメージにぴったりだ。議員さんだけでなく、諦めず成し遂げる意気込みを持った人には是非、アイデア工房特製のトラ印ダルマを使ってやってください。これは縁起物です。そうすればきっと私のように…

七転八倒することでしょう…って(縁起でもないな)

とにかく諦めないで挑戦し続けるこの姿勢について、日刊スポーツの野茂英雄のメッセージが秀逸だ。読んでいて感動する。インタビュー形式だが、そこに出てくる野茂の言葉が凄くイイ。現役時代から大好きな選手だったが、こうしてメッセージを読んでさらに好きなった。人に勇気や元気をくれる。そんな存在だと思える。

見習いたいものですね。

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2009年11月13日 (金)

b07-木細工

B07
●木細工

木目の虎にしてみた。ぶさいくとは読まないで欲しい。だけど確かに不細工かもしれない。家族だからふたつ並べるという発想は安直だが、少しでも奥行き感を出したかったので斜めの構図になっている。影を僅かでも入れると、俄然変わる。いつもとあまり変わらない構図とテイストだ。だけどこれの手の年賀状を好んで使う人がいる事もまた事実だ。

逃げに聞こえてしまう可能性もあるが、年賀状では食べてなくて、本職は別にあると、過去に何度も書いた。自分がいなくても誰も困らないだろうし、何も変わらない。誰かに貢献している意識もあまりない。それでも使ってもらっているのだから、使っている人の期待にはどうしても応えたい。期待に応えなければならない。(グラフィックデザインの)プロとは期待に応える事だと思っている。

そのひとつが、出来るだけ同じシリーズで使っている人に同じ印象の年賀状を提供する事だ。一旦プリントして住所をいれて作った時点で、自分の手を離れ、使っている人のものだ。これは私の年賀状だ、俺の年賀状だと思ってもらえたらとても嬉しい。だから、毎年私の年賀状、俺の年賀状を作らなければならない。例え、それが自分としては気に入っていなくても、作るのが期待に応える事なのだと思う。

本心は苦しいというより、紛れもなく喜びだ。年賀状なんていう小さな枠ではなく、作ったものを使ってもらえる喜びは誰にも等しくある筈だ。毎日食事を作って家族に食べてもらって、美味しいと言われた喜びと変わらない。頑張って働いて給与を稼いで、ありがとうと言われた喜びに等しい。喜べる事を喜ばないといけないとつくづく感じる。

振り返ると、家に帰ってご飯を食べて、あまり美味しいと言わない自分がいる。いけませんよね〜、これ。これこそ不細工な行動と言われても仕方ない。よし、今日は、それを言うことにしよう。

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2009年11月11日 (水)

a07-ビジネス虎の巻

A07●ベンチャービジネス虎の巻

起業家の方に是非使ってもらいたいと思って作った年賀状だ。ビジネスの一歩は新しいノートの始まりと同じ。ひとつひとつノウハウを書き込んで行って虎の巻が出来た時に大きな会社に育つ。そんな1ページを共に書き込んでいくパートナーシップを図る相手にぴったりだろう。今の時代は1社だけでどうにかなるものでない。グローバルな展開を考えれば、信頼感のあるパートナーがあって初めて成立するものだ。え、思わない?下請はいじめられるものだって言いますか?

別に企業に拘らなくても良いかもしれない。一緒に作り上げていくのは何も会社だけとは限らない。ではこうしましょう。友人や恋人に一緒に作り上げていく関係になろうよっちゅうのはどうですか?交換日記でもなんでも良いじゃないか(古すぎるか)。その割にはノートが無骨過ぎる?かわいさが足りない?今の世代はお互いを尊重して相手に深入りしないものだ?う〜〜ん、そうかもしれない。

ではこうしましょう。この際、不倫でも良いじゃないですか、愛人でも、若いつばめでも何でも良い、一緒に歩めば何でもありにしましょう。え、不倫相手がいない?作り方が分からないって、そりゃあ俺も同じだ。誰か教えてくれ〜〜。こうなったらもう何だっていいじゃないか。新しい一歩を踏み出す人なら、ノートの始まりと一緒にしよう。それがいい。決まり!

しかし、新しいノートって、いつも思うのだが、最後まで使った試しがないんだよなあ…これが。

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2009年11月10日 (火)

e06-蛇腹金屏風

E06

●蛇腹金屏風

寅の文字を使った。絵ばかりではトドメもなく同じパターンになってしまうからだ。黄色ばかりになる事を避ける為に、緑が欲しくて中央に門松を置いた。まあ料理で言えば、パセリを置くようなものだ。さらに寂しいので赤が欲しくて、迎春の文字に赤が入っている。これもショウガか福神漬けのようなものだろう。どうしても奥行きが欲しかったので、文字を蛇腹にして立体感を出した。…とまあ説明すれば、たったこれだけの事だ。

この年賀状で業務用から数えると75枚目になる。ネタもいい加減尽きようかっちゅうもんだ。いや、とっくに尽きているといっても良い。残っているのは応用だけかもしれない。天才でもないので次から次へと新しいモノが浮かぶ訳ではない。何の為にやっているのだろう…と疑問に思いつつ作っている。一番最初は人が大勢くるだけで満足できた。しかし長続きしない。もう、金銭でもなければ、作る喜びでもない。心の奥底を突き動かす何かがないと出来ないものだ。いつの間にか、ここまで続けたのだから勿体ないから…という消極的理由になっている。

世の中きれい事だけではなかなか進まない事だってある。若い頃は夢と希望だけで出来た事が出来なくなる。30代、40代、50代とそれぞれの世代に、モチベーションの維持の仕方がある。その差はきっと残り時間によるのだろう。締め切りが近づくと、壮大な計画は縮小して、出来ることだけやるのと似ているかもしれない。残りの時間を考えると自分としてはちょっとだけ悲しい。

今言える事は、同世代の人に元気を出してもらいたいって事だろうか。もし、こうして作り続けている事が、同じ世代の方に共感を得て、なにがしかの力になっているならば、頑張る勇気も出てくる。年賀状だけではなく、色々な事で人の力を増幅させる事が可能ならば、楽しいに違いない…と思う自分がいる。そして、俺も負けていられないぞと思ってもらえる何かが出来たらと考えている。頭の中にその片鱗があるのだが、なかなか実行ができないのが歯がゆい。1年後か2年後にでも、実現できれば良いんですけどね〜〜。一体何をするのかって?

それは…秘密です。

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2009年11月 9日 (月)

e05-簡略化

E05
●簡略化

簡略化というにはあまりに違和感がある。良いタイトルが浮かばなかった。本来のデフォルメはこれでもかという位に徹底的に無駄を省き、何じゃこれ…という位、シンプルにしなければならない。それでも良く見れば確かにトラだってのが理想だ。この図案ではあまりに線が多いので苦しい。だいたい構図も真正面だし、面白みも何ともない。それでもこうしてアップするのは勇気と言うほかない。ほめてくれ。(単に勿体なくてセコイだけだという意見もある)

毎度の事ながら簡略化には相手の思いやりも必要になる。或いは説明しなくても見る人の思いこみが大きく左右する。今年は寅年なので、寅だというのが大きな思いこみの例のひとつだ。おそらくドラネコ描いても虎と受け取ってしまうのが年賀状の干支の特徴だ。セクハラも似たようなもので、相手に思い込みがあれば恋愛で、なかったらアウトになる。日本人の得意なあうんの呼吸ってやつも、言わばコミュニケーションの簡略化とも言えるだろう。つまりは手続きの簡略化だ。いちいち説明しなくても分かる筈だ…という双方の思いこみによって成立する。

欧米人だって片目をつむれば求愛の印だ。例え、目にゴミが入っても、好意を持っていると思われても仕方ない。略称も同様だ。キムタクと言えば木村拓哉だ。決して韓国のキム・タクさんじゃない事になっている。簡略化は便利だが、誤解を生む事も事実だ。そのギリギリの線で仕上げるのが面白いし、或いは誤解を受ける事が別の意味で面白いのだろう。

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2009年11月 8日 (日)

d06-トラ帯

●柔道空手トラ帯

武道全般に使えるように、動きはやめた。動きを入れると柔道や空手など特定の色に縛られるからである。年賀状の構図としては面白くなくなるが、大勢に使えるようにする事と面白さのどちらを選択するかで、前者をとった。迷うところだが、ここはやむを得ない。帯をトラの帯にした。誰でも考えつく安直な発想だが、これも黒帯だと使用者が限定されるので、帯の色にこだわらずにすむので、使いやすいと踏んだ。

使いやすさばかり考えると、発送も貧困になり、構図やデザインで制限を受ける。難しいところだが、もともとデザインなんて制限だらけの中で処理するものだと思う。何の制限もない仕事なんて世の中にそうそう多くはない。制限を受けつつ、思案する事で技術は磨かれるものだ。その割にお前は代わり映えしない…と言われると、返す言葉がない。

それにしてもここのところ34才の結婚詐欺の女がテレビを賑わしたと思ったら、今度は35才の女。お、女は怖い…。しかも騙されて殺されるのは、疑う事を知らない同世代の男である。何だかなあ…。テレビではぼかしが入ってるが、週刊誌や夕刊紙では顔は隠されずどかんと掲載されている。見るに、結婚詐欺をはたらけそうな顔には見えない。しかし、うちの社員によると、美人だと警戒されるから、ほどよい位が丁度良いのだそうだ。確かにそうかもしれない。身の丈にあった相手なら警戒心がなくなるって事だろうか…。ほどよいと思った同世代の方に同情を禁じ得ない。

実に人間の心理をついている。予定調和に人は安心感を覚える。この紋所が目に入らぬか!と、いつものワンパターンのシーンが出るのを分かって見ている人の心理だ。これが突然ご老公が切られて死んだりしたら困る。年賀状だって似たようなものだろう。毎年の儀式のように迎えるから人は安心する。正月の風情を感じる訳だ。

こうして作っている自分にも言えるのかもしれない。しんどいしんどいとぼやきつつ、現実逃避を図る部分がないとは言えない。考えさせられるのであった…。

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2009年11月 7日 (土)

d05-全裸でスノボ

D05
●全裸でスノボ

スポーツ年賀状は今回スノーボードとなった。毎年スキーかスノボは描いている。タイトルは若干週刊誌的だ。例年とは少し構図をかえて後ろ向きのポーズである。だけど笑顔で考え方は前向きである事を付け加えたい。他のものと同じく出来るだけ人間の胴体に顔をくっつけるのではなく、トラのカタチを活かしつつ、動きを出した。な、な、なんと、服も着ていない全裸のトラだ。(それを言えばゴルフの年賀状も全裸やっちゅうねん)全裸で雪の中をスノボでジャンプするという、倒れたらしもやけになりそうな画期的なトラである。(どこがや)

よく体育会系とか文化系とかの分け方をするが、自分はどっちだっただろう…と言えば、おそらくは体育会系とは言えなかった。スポーツはあまり縁がなかった。それでも20代の頃は独身寮に住んでいて草野球程度ならやった。嫌いではなかったが、得意とまではいかなかった。スポーツ好きといっても、汗をかくスポーツ好き。観戦するスポーツファン。本やテレビで見るファン。数字に拘るスポーツファン等々、種類がある。自分は汗をかかない方のスポーツ好きなのだ。

鉄道マニアの事を俗にテッチャンというが、このテッチャンにも種類があって、乗るテッチャン、写真を撮るテッチャン、時刻表を眺めるテッチャン、模型を作って楽しむテッチャンの4種に分かれるそうだ。マニアの領域も実に奥深い。そう考えると全裸ファンの中にも(…って、そんな奴いるのか)乗って楽しむファンと、触って楽しむファンと、見て楽しむファンと、見せて楽しむファンがいそうな気がしてきた。(あ、あかん、どんどん品位を失っていく)

今回の後ろ向きの全裸のトラはどのタイプかって…?う〜〜ん、う〜〜ん、難しいなあ。どのタイプにしても書いたらあかんやろ。八方ふさがりって奴だ。こういう状況を昔の人はことわざでこう言いましたね。

前門のオオカミに肛門のトラ。

う〜〜む。オチをつけるつもりが、堕ちるところまで堕ちてしまった。し、しかしだ、書くことは実に下品だが、書いてる本人は至極上品で品位のかたまりである事を最後に付け加えておきたい。

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2009年11月 6日 (金)

c06-21世紀新年

C06●21世紀新年

大阪吹田市にお住まいの皆さんこんにちは〜!50代の皆さんこんにちは〜〜!こんにっちは〜、こんにっちは〜、世界の国から〜〜ってな訳で、友人知人用の年賀状、友人と言えばともだち、友達と言えばジャジャ〜〜ン、あのマークボランのTレックスの20thセンチュリーボーイズのテーマソングが聞こえてくるのは私だけではない筈だ。(お前だけだって?)いいえ、そんな事はない。

マンガや映画で子供受けしているが、50代以降の人間にとっては人類の進歩と調和の万博は忘れがたい一大イベントだった。私も中学の時に学校で見物にいって、帰りの電車の中で爪にとげが刺さって、爪を3枚抜くことになった忘れがたい記憶があるのだ。今となっては万博と言えば、痛かった事しか覚えていない。人間とはそういうものだ。それがどーしたって?どうもしません。すんません。

岡本太郎先生は、これを見ても決してあの世から著作権侵害で訴える事がないと信じて作った。色を黄色にしてあるだけだろうって思うかもしれない。最後に苦し紛れにこんなもん作るか〜〜という言葉にお答えしましょう。た、確かに苦し紛れだ。しかし、中央のマークを見れば、小さな字で「とら」と書いてある事に気がつく筈だ。それがどーしたって?どうもしません。すんません。(何で何回もあやまらなあかんねん)顔はどうして虎にしなかったかって?難しいから虎にするのを断念したんだろうって?

そう断念。(大阪弁で読んでください)

しかし、吹田市だけでなく、三波春男ファン、20世紀少年のファン、岡本太郎ファン、万博世代、み〜〜んな使えるオールマイティな年賀状でございます。(嘘付け!)

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2009年10月29日 (木)

b06-スフィンクス風

B06●スフィンクス風

虎といえば何故か座って和んでいるの図をよく見る。じっと見ていたらスフィンクスみたいだな…と思ったので、若干軟弱な虎の絵をスフィンクスに見立ててみた。う〜ん、何だか自分らしくないので、違和感があるなあ…。実は丸いイラストはとっても苦手なのだ。個人的には本来シャープな方が絵もデザインも大好きなのである。だけど、リアルに描くとスフィンクスには見えない。

スフィンクスと言えば、エジプト。エジプトと言えば何となくツタンカーメンのあの金色と黒のツートンカラーを思い出して、これも虎のパターンとして使えるんじゃないか…とも一瞬思った。しかし、テーマとしては似たようなものだし、同じテーマをまた描くのも情けないので、とりあえず頭の中から捨てた。(また後で拾うかもしれない)

良いも悪いも含めて、昔ほどネタがないか必死で考える事がなくなった。良く言えば手慣れて、過去のパターンを踏襲出来る引き出しが増えたって事で、悪く言えば、オリジナリティを求める根性がなくなったって事だろうか。前なら干支に使えるものはないか、何でも干支に見立てた。出来映えが良いか悪いかは別の問題で、新しい何かを必死で探ったような気がする。勿論、見栄えだけを良くするならばいくらでも出来る。難しいのは万人の平均値を探り、絵だけを使ったり、或いは手を入れる
余地を残す事だ。

完成品は何も出来ない。どんなに見栄えが良く、カッコ良くても、その絵なり、デザインなりが完結してしまうと、それをそのまま使う以外の方法を提供できないからだ。例えばドロップシャドウを入れたり、背景に馴染ませたりすると、もう何も出来なくなる。余白があるのは、余白はあなたの手で埋めて完成させてくださいというメッセージでもある。無論手を入れる事で見栄えが悪くなる事もあるだろう。だけど、自分で手を入れたら自らの作品となる。その喜びはきっと、全てが借りモノでは味わえないものがある筈だ。

有る程度の見栄えを維持しつつ、完成させないスペースと余韻を残す。な、何という高等技術だろうか。(自分で言うな!)

こうして手抜きを言葉で誤魔化す年賀状。な、何という高等技術だろうか。(自分で言ったらおしまいや)でもこれは一種の照れという奴なので本気にしないでください。

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2009年10月27日 (火)

b05-干支親子寅

B05
●親子寅

二週間、頑張って連続でアップして、ひと休みしたら脳も休憩から目覚めない。脳の機能というのは、車のエンジンと同じで一旦立ち止まったら次の一歩が出ない。もう一度エンジンをかけて暖機運転が必要になる。如何に継続する事が大切かを思い知る。タイトルも何も浮かばない。絵も苦し紛れに近くて、もう何か埋めなくてはと義理のように作ったようなもので、非常に情けない気持ちになる。新しい斬新なものが出来てこない。一人でやっていれば仕方がないのだろうか…。量は質に転換すると言うが、本当に質に転換するのか、疑問に思えてくる。駄目な時はこんなものかもしれない。

最近でこそ、時間に追われてひたすら身体と頭をフル回転する事は少なくなった。デザイン業という名の体力勝負、肉体労働産業だった。頭の回らない時は全く駄目で、何をどうしても良い知恵が浮かばない。そんな時に締め切りが来たりすると地獄が待っていた。これがラフだの、たたき台を作る程度ならまだ良い。一気に作ってそのまま納品という状態だと、七転八倒、前に使ったもので使えるものはないか…と過去への捜査にのめりこむ。過去の出来の良い作品に触れたら、出来の良い真実の理由が分からないまま、自己嫌悪に陥り、俺はもうだめだ…と自信喪失になる。土壇場で一体何度、迷宮入り寸前の難事件を解決した事だろうか…。

どうやって解決したかは、後になると全く分からない。いきなり真犯人が現れて、解決となるのだ。デザインやっている人間なら、きっと何度も経験した事があるに違いない。先日、お隣のビルにある同業のデザイン事務所の人と飲んだ。そんな話しになって盛り上がった。地獄のフチを彷徨った人間だけが分かる会話が成立する。(こんな事が一体自慢になるのか)ひとつひとつの言葉がしみいるように互いに分かるのである。

デザインだけではないと思う。おそらく納期に追われる人は、多かれ少なかれ似たような事を経験する筈だ。常に時間と己との戦いになる。孫子の兵法を紐解くまでもなく、天の利、地の利、人の利を得て勝負は決する。敵を知り己を知れば百戦危うからず、つまりは戦わずして勝つ事を考えなくてはならないのだろう。

しかし、最近はその戦いに戦わずして負けている自分であった。

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2009年10月21日 (水)

a05-明日に吠える

A05●明日に吠える

本当は今日は違うものをアップしようと試みたが、頭の中で考えた事と、実際とはやはり違う。うまく作れなかった。なので、方向転換した。それが、この日の出をバックに一部に光を当てたシルエットだ。この手はとにかくカタチが分かりにくい場合にどうしても一部に光を当てざるを得ない。特徴的な部分を強調する必要があるからである。虎と言えば模様が一番に浮かぶ。どうしても模様は外せない。吠えるの図なので、明日に吠えると書いた。ビジネス年賀状なので、通常の年賀状の常識におさめる必要はないだろう。企業にとって、特に中小の企業にとっては、目立つ事が最大の眼目だ。

さらに言えば、会社の理念を体現するものが望ましい。当然、元気のなくなるようなものは御法度だろう。年賀状は新しい年を迎えて、気分一新で迎える。そんな出だしに陰気な年賀状なんて誰も欲しくない。未来に吠える虎だと、プラス思考で、どんどん大きくなるイメージがある。そんな明日を睨んだ会社に使ってもらえれば非常に嬉しいと思う。

ビジネス年賀状はどちらかと言えば砕けたものが多い。本当にみんな使っているのだろうか…と時折思う。そこで、もしも今は大企業になってしまったので使わないが、昔は使った事があるって会社があれば是非教えてください。これは当然ながら御利益があるって事になります。

だけど、もしも昔使った事があるけど、今は倒産して使ってない会社がありましたら、お願いです、是非是非黙っていてください。(どんなんや)

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2009年10月20日 (火)

e04-ニューフェース

E04
●ニューフェース

これの一体どこが新しいねんと思うだろう。確かにそうだ。この年賀状のタイトルのニューフェースにあまり意味はない。この手の線画は調理方法によっていくらでも変化が可能だ。後ろに色を入れていないので、例えば全面ベタにして線の黒の部分を白抜きにしたり、トラの黄色の部分を敢えてずらしたり、或いはリアルに見せたりと多面的な使い方が出来る。今回の処理は非常にオーソドックスな処理だ。これは一般用という事もあって、極端な処理を避けた。

人も多面的だ。一方で誠実そうで真面目そうな人も、ある特定の部分で大胆かつ革新的だったりする。表面からは決して見えない部分だ。しかし、人は物事を判断するのに、視点を固定してしまうクセがある。いわゆる偏見という奴だ。片方からしかものを見ない。だから裏側が見えない。最近面接を何人もしたが、決してその人の本質までは分かる筈がない。そんな眼力を自分が持っているとは到底思えない。

今日から新しい人がうちの会社にやってきた。(ニューフェースとはこの事だ)。名をSさんとしておこう。Sさんの特徴は明るさだ。ぱっと辺りが明るくなる天性のものを持っている。人によっては負のオーラをまき散らす人もいる。(うん、うんとうなづいた人事の方もいるに違いない)決してその方が悪い訳ではない。仕事の内容によっては負をまき散らすくらいの人の方が向いている職種だってあるからだ。だが、仕事をする上ではやはり明るさにかなわない。第一印象でほぼ決まるといって良いかもしれない。スキルなんて二の次三の次だ。(そんなものほっておいてもアップする)

この不況である。面接を受ける人も明るく振る舞う事が難しいかもしれない。でも、する立場から言えば、気さくで明るい人は、それだけで価値がある。これから面接を受ける方には是非ともその事をアドバイスしたい。真面目だ、努力家だなんていうのは当たり前の事であって、取り柄にはならない。周囲を巻き込む位に明るい礼儀正しい人は、ひっぱりだこの筈だ。自分にはそんな部分はないと思う人も、必ず違う面に新しい部分があると思う。それこそがニューフェースだと思うのだ。

違う自分をアピールしてみよう。相手に眼力があると思ってはいけない。眼力がないなら裏側を、新しい面を見せてみるのも手だと思うのだ。きっと新しい世界が開けるに違いない。

…と、今日はひどく真面目に書いてみた。

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2009年10月19日 (月)

e03-虎箱

E03
●虎箱

トラ箱と言えば、普通は留置場の事を言う。酔っぱらって暴れて、警察に捕まってお仕置きされるのがトラ箱である。酔っぱらってそんな経験のある方、或いは捕まえてはトラ箱に送り続けている警察官の方に最適な年賀状がこれだ!ワン・トゥ〜・スリー!…って、そんな訳がない。段ボール箱をモチーフにした年賀状だ。今年は冬が越せないとお嘆きの貴方に温かい段ボールはどうだろうか…って(これが冗談ではなくなりつつある世の中が恐ろしい)

これは引越や荷物がテーマだ。トラのカタチをした段ボール箱。1年の思い出がいっぱい詰まった箱。それが年賀状のトラ箱だ。どうだ。え、嫌な思い出がいっぱいあってそこから逃れならない?それはトラウマでしょうが…。でもそんな嫌な事もこのトラ箱に詰めてしまおう。(不健康な生活で長生きできそうにない自分が言うのもおかしいが)良いことだけ考えて生きるのが長生きのコツである。

ノルアドレナリンを排除して、ドーパミンを出して生きよう。年賀状なんていちいち作っていられるか!面倒で仕方ない。ストレスだ〜〜とお嘆きの貴兄。それならば私の年賀状使ってやってください。名前を入れれば、ハイ終わり。考えなくても大丈夫。年賀状に苦しむ人のストレスを僅かでも解消するのが私の役目でございます。(実に嘘っぽい)世の中に何らかの役割を果たせば生きている価値もある。ましてや人のストレスを和らげる事が出来るならば、やりがいもあると言うものだ。

しかし、しかしである。人の為になるのは良いが、ネタが浮かばず苦しんでのたうちまわって、自分自身がストレスをためるのはどうにかならないだろうか。

だ、だれか、私に癒しをください。

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2009年10月16日 (金)

d04-バスケット

D04●バスケット年賀状

サッカーと似たようなテイストになってしまった。テーマはバスケットだ。パスを模索しながらドリブルをするの図である。とにかく動きを出してみた。スポーツの場合はどうしてもデザインというよりもイラストの要素が多くなる。デザイナーとしては、こういうコミック的表現ばかりになる事に忸怩たるものがある。ワンパターンを少しでも避けるために、今回は虎の色を淡い色から若干ビビッドなカラーにしてみた。

この構図だと、等身を短くすれば、ドリブルなのかボールを抱えて走っているのかよく分からなくなる。下手するとネコが球でじゃれている絵に見える。ギリギリの線でこのイラストだ。私の職業はイラストレーターではないので、この辺りで妥協してもらうしかない。バスケットファンの方、バスケット部の方、使ってやってください。

毎年の事だが、どうしても残り枚数を考えてしまう。あと何枚、あと何枚と数え、週に何枚作ったら終わるだろうと計算する。そして、ノルマがどんどん増えてくる。ネタが出てこないと苦しい。しかも最近では実戦から離れ、仕事ではあまりデザインをしなくなっている。新しい引き出しを増やしていないので、錆び付くばかりだ。もし、自分が普通のサラリーマンとして転職しようとしたら、きっと行くところがないに違いないと思ったりする。

最近、求人をした。明らかに同年代と思われる方の応募が多数あった。社会は50代を受け入れる素地がなくなっているのだろうか。かくいう自分の会社も残念ながらやはり受け入れる余力がない。悲しいな〜。

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2009年10月15日 (木)

d03-サッカーリフティング

D03
●サッカー年賀状

取りあえず、野球に続きサッカーは外せないだろうって事で、リフティングする虎をアップした。擬人化に関しては何度も書いているが、顔だけ動物で胴体は人間という擬人化は安直なので避けている。コミックタッチでないと難しいので、やむを得ずマンガ的なイラストになっている。虎そのままのカタチでサッカーにしたのはせめてのも抵抗だ。サッカーボールは毎年使い回しになるが、これはご容赦。

出来るだけ動きのある絵にしたいと思い、家でノートに鉛筆でざっくりと下描きしてみた。かなりいい加減な絵を2〜3枚書いたところで、この絵に決めた。後ろにある「S」をもじった筆書きは、動きを増幅させる為にほぼ思いつきで最後に入れたのだが、自分で入れて気に入った。要らないという人は自分で外してください。

サッカーと言えば、私が卒業した高校は、高校サッカー選手権の常連だ。だが、私が高校の時は部員が11人いなかった。数人程度だった覚えがある。部員だったクラスメートが他の部に応援を頼んで無理矢理11人にしていた。それがいつのまにかJリーガーも出てくる高校になった。隔世の感がある。もう時効になっているが、当時サッカー部のコーチだった教師は5才年上で、私の兄の同級生。殆ど教師とは思えず、ばれたら首だから、絶対に言うなよ…と念を押されながら、一緒に酒を飲み、タバコを吸った。今思えばとんでもない事だ。でもそれが許される空気があった。(…と勝手に解釈している)実に牧歌的な時代だった。

高校時代は自分にとってかけがえのない時代だった。そんな時代も既に三十数年前の事になっている。時の流れはあまりに残酷ですね〜。ほんと。

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2009年10月14日 (水)

c04-ファイティングポーズ


●ファイティングポーズ

ファイティングポーズは、本来前屈みになって首を前に出す。この年賀状ではカッターシャツが熨斗袋で、ネクタイが水引なのが特徴の為、前傾姿勢をとれない。前屈みになるとカッターシャツの襟が隠れ、熨斗袋かどうかもわからなくなるからである。お陰様で、下手をすれば招き猫になってしまうリスクを背負った。その分顔がいかついと思う。挑戦者が笑っていては洒落にならない。ここは歯を食いしばって前に向かって進むイメージが欲しいところだ。

正月になると必ず誰しもが誓いを立てる。その誓いを中央の余白に書き込むのはどうだろう。私は○○します。○○を成し遂げます。宣言すれば、実行せざるを得なくなる。告知効果が出る。後に引けない。ひいたら嘘つきになる。三日坊主のあなたに最適の年賀状である。出来るだけ多くの人に出そう。背水の陣をひかないと人は本気になれない。

三日坊主になってしまうのは、誓いを破ってもたいした恥をかかないからだ。大好きな人から軽蔑されると分かったら人は真剣になれる。どうしても出来なかった事が実現してしまう。自分の思いだけで実現出来る自己管理能力の高い人にはそもそも誓いすら必要がない。出来ない人は環境を整備する事が重要なのだ。私はその事を身をもって知っている。

お前の結果はどうだったってか?
お答えします。私は…

単なる嘘つきのままで結構です。(あかんやん)

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2009年10月13日 (火)

c03-吠える虎

C03
●吠える虎

何とも芸のないタイトルだ。虎は吠えるに決まっている。鳴くでもなければ、さえずるでもない。怒りや恐れ、挑戦や突進のイメージが支配している。トラだ、トラだ、トラになるんだ〜〜…と一世を風靡したタイガーマスクも、同様だ。笑うや微笑むは全く似合わない。そもそも笑うトラなんて気持ちが悪い。あなたの回りにもそういう人がいるに違いない。笑うのが似合わない人の事だ。常に厳しい顔つきで吠えている為、いつもいつも怒ってばかりいやがって、たまには笑えと言われ続け、ごくごくたまに、にっこり笑うと、ウラだ、ウラだ、何かウラがあるに違いないんだ〜〜!と思われてしまう。全く損な人だ。

しかし、ここではトラの持つその挑戦的なところを誇張しようではないか。つまりは激励の意味を込めた図案として使う訳だ。ガンバレ、お前には才能がある。そうだ、いつまでも下にいないで上に上がれ、空だ、ソラだ、ソラになるんだ〜〜〜!という年賀状に使おう。(死んで天に昇れって意味ではない)

う〜む。縁起でもないので、少し視点を変えてみよう。トラは孤高のシンボルだ。決して群れない。一人で道を切り拓くイメージが強い。ここはそのイメージを誇張しようではないか。つまりは人に頼るな、己の腕で道を拓け、例え、孤独をおそれるな、ひとりぼっちになっても初心を忘れず堪え忍べ、そうだ、お前はノラだ、ノラだノラになるんだ〜〜って、何か飢えたネコが行く当てもなく行き倒れになってしまいそうだ。う〜〜む、どうも語呂が良くない。

では、こうしよう。
よ〜〜く見るとトラが笑っているように見えなくもない。笑顔でおめでと〜〜と言ってるの図ってのはどうだ。え、笑ったら気持ち悪いと言ったって?そんな事言いましたっけ。人間ってね、さっき言った事と正反対の事を言うのはよくある話しですわ。過ちてはあらたむるにはばかる事なかれって孔子先生もおっしゃっておりまする。そうしましょう。そうしましょう。笑顔のトラ、これで決まり。

それにしても笑うトラなんて気持ちが悪いな。

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2009年10月12日 (月)

b04-虎の首に鈴をつける

B04
●虎の首に鈴をつける

過去に使用したことがある鈴をモチーフにしたパターンだ。背景のパターンとレイアウトが違うので、別物に見えるかもしれない。苦しんだときは、常に過去を振り返る。そのまま使える事もあれば、全く違うテイストにする事もある。たまたま紅白の紐が、虎の模様に使えそうな気がしたので、使ってみた。まずは出来るだけ新しい発想で今までにないものを作っていきたいが、なかなか難しい。

首に鈴はネコだろう…って、その通り。誰も損な役割はやりたくないけど、誰かがやらないといけない。色々な事が縁の下の力持ちによって成り立っている。駄目な事は駄目だよと敢えて言わないといけない事もある。だがネコなら良いが虎の首には簡単に鈴はつけられない。困った方はどこにでもいる。そんな人にあんた、それあかんやないの!と言える人は少ない。言ったが為にひどい目に遭う人がいるのも事実だ。電車の中で携帯で話す人然り、公共の場で騒ぐ人然り、そんな時に鈴をつける事が出来るだろうか。なかなか言えない。

だが、そういう時にこの年賀状はどうだろう。お前、迷惑なんだよな!っちゅう訳だ。嫌いな上司、言う事を聞かない部下、回りの迷惑を考えない奴にそれとなく教えてあげるのにぴったりだとは思いませんか(到底思えん)。気がつかない奴には90度回転してやれば、縛り首の刑だ(縁起でもない)。
一見何の変哲もない年賀状だが、このように深〜〜い意味が込められた作品である(嘘だ)

こんな事書いてると、気がついたら自分の首に鈴をつけられそうな気がする…。

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2009年10月 3日 (土)

b03-竹人形

B03●竹人形

定番ものの竹人形だ。定番と言えば聞こえは良いが、手抜きともいえなくない。それでも僅かに残ったプライドが、全く同じにする事を許さなかったのでございます。虎と言えば竹、竹と言えば虎という位によくあるパターンだが、あくまで独立した存在であって、虎が竹になっている…となると、話しは別だろう。その苦労を察してやってください。今年はフォント著作権の問題もあって、タイポグラフィーに走れないのが、ちょっとだけ辛い。ごまかしが利かない。文字だけで見せようとすると、その文字を作る方が時間がかかってしまう訳で、とっても不自由だ。

しかし、不自由の中にこそ自由があるのだ!と禅問答のように答える自分がどこかにおるのでございます。そんな自由に何でも作って良いなどというおおらかな仕事はこの世にはなかなか存在しない。誰しも不自由の中で制限を加えられつつもがいている。どんな産業にも、予算に制限がある。納期に制限がある。形式に制限がある。あれを使うな、これも使うな、それでいて、誰も考えないような良いモノを…と、果てしなく要求は厳しくなっていく。例えば、自動車産業だって、快適に、クリーンに、安く、かっこよくて、安全なものを求められている。何やっても許されていた牧歌的な時代は終わったのだ。

そして時折、思う。まさにその牧歌的な時代を謳歌したのは自分達の世代である。その自分たちの時代も終わりを告げ、そろそろ退場を迫られているのではないか…と。同世代の方、そうは思いませんか?その程度めくじら立てるなよ…と思う事が許されない。それはアカンやろ…と思う事が、今ではオッケーになっていたりする。世の中の価値観は否応なく変遷していく。それについて行けるかどうか。

う〜〜ん。栄枯盛衰、盛者必衰の理を説いた平家物語、常に最後は滅びるのでございますが、竹を割ったようにスパっと何もかもを割り切る事は出来ません。往生際が悪いと言われようが何と言われようが、まだまだ退場したくないんですわ。這ってでも頑張るつもりです。だって、まだ私は誇れるほど栄えた事がないもんで、弱者必衰はあまりに悲しいじゃあありませんか。

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2009年10月 2日 (金)

a04-マーク風

A04●マーク風

マークかぜではありません。マークふうと読みます。(当たり前か)。若干ゴテゴテしてます。線を減らすと虎に見えず、増やすとマークらしくならず、ドラネコに近いと言えば近い。こうして世の中のデザイナーは、二律背反に悩むのでありましょう。デザインに限らず、あっちを立てるとこっちが立たず、こちらを立てるとあちらが立たないという事は、良くある事です。古くは嫁と姑の問題、新しくは嫁と愛人の問題。(どこが新しいねん)しかも後者の場合は、片方が立たないという困った問題も発生します。う〜ん。話しが若干アカデミックになってしまったようで、元に戻しましょう。

マークは企業の印象を決める顔です。イメージマスコット、イメージキャラクター、氾濫しすぎる位次から次へと出てきます。特に動物は引越屋さんに顕著で、パンダ、ペリカン、クロネコ、アリ、ゾウ…何故か動物ばかり採用する。覚えてもらいやすいからでしょうか。人間の記憶は何か別の要因とくっつけると、飛躍的に高まります。意味のない数字の羅列を語呂あわせするのも同じ事です。書籍も背表紙や表紙のレイアウトと一緒に脳にしまい込む為、背表紙を見ると中味を思い出す事に気がつきます。記憶因子を一緒に埋め込む役目を背負っていると言えます。さらに、人間だと不祥事などのリスクが生じるが、動物にはそれがない。しかし、なんと言っても最大のメリットはキャラクター使用料が要らない事に尽きるでしょう。

考えてみりゃあ、年賀状は12種類のキャラクターを背負っていることなります。毎年変わる動物。これは強い筈です。12年サイクルで人に記憶を埋め込む、まるで記憶の時限爆弾のような存在ともいえる訳で、み〜〜んな12年後に、12年前の事を思い出したりするのです。貴方が12年後に虎を見て思い出すのは一体何でしょう。間違えて、年賀状を全部刷り直して、ぶち切れた事かもしれないし、もしかしたら、株で大損した事かもしれないし、或いは何かを盗まれた事かもしれないし…って、例えとはいえ、縁起でもない悪い事ばかり書いてますが、思い出しても気持ちがいい、本当に良い事だけを虎と一緒に頭の中のスクラップブックの中にしまい込みたいものです。

だけど、不思議な事に人間って、悪いことしか覚えてなかったりするんですよね〜これが。(あかんがな)

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2009年9月16日 (水)

e02-判子と情報の伝達

E02●はんこ(スタンパー年賀)

これも毎年、定番のように入れている判子型年賀状だが、今年は少しだけカタチをかえた。例年は四角い判子だったのだが、今回は丸にした。意味はない。あと、出来るだけシンプルにしている。少しづつ手を入れている度にゴテゴテとして飾りが多くなった気がしたからだ。思い切り省いてスタンプ強調型となっている。本来スタンパーのかすれも表現したい所だが、リアリティを追求したら、写真にはかなわない。分かりやすくする為には常にどこかを省略する必要もある。


もともと判子やスタンプは、省略の見本みたいな存在である。線が細いとかすれる、太いと潰れる。過酷な条件の下で有る程度の太さで構成されたマークみたいなものだ。スタンパーや朱肉で押された印には有無を言わせぬ大きな力がある。しかも簡単な絵や文字でも伝わる情報量が意外に大きい。日本では各種証明書は、未だにハンを押したように、ハンを押せと言う(実に妙な表現だ)。判子の値打ちが廃れない。同じものを複製する目的にも関わらず、二度と同じものが出来ない。押す度に表情が変わる。力強く押された印、かすれた印、そこにはまるで押した人の意志までが再現されているような気がする。


意志や情報の伝達は、中間が介在する度に歪む。デジタルなら同じものを複製しても全く同じだが、アナログは歪むからアナログなのだ。デジタルデータを作る側が言うのもおかしいが、そこにデジタルとは違う味わいを感じる。出来るならば、そのまま使うのも良いが、年賀状のどこかにアナログな印を残して欲しいと思う。それが例え、手で添えた文字であっても、マーカーでなぞった線でも、指紋を押そうが、口紅塗ってキスマークつけても良い。何だって良いのだ。印刷された年賀状は同じ表情のクローンだが、ちょっとだけアナログにするだけで、味わい深い年賀状に変身する。

そもそも郵便ハガキは、電子メールが発達する前は、アナログの情報伝達の王様だった筈だ。その王様がデジタル一辺倒になるのは何だか忍びない。如何にデジタル社会になろうとも、血が流れる人間は決してデジタルになろう筈がない訳で、せめて個性を追加するのは人が人である証明みたいなものかもしれない。


是非是非、何かひとつでも良いので追加してやってください。


あと、自分はこうしているという面白い案があれば是非教えてください。

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2009年9月15日 (火)

e01-モノ作り大国日本は本当?

E01
●オーソドックス年賀状

一般用は常に奇をてらわない、オーソドックスに出来るだけ落ち着いたものをと心がけている。しかし市場に出回っているものと同じでは価値がない。どこかに違いが必要になる。虎の絵がまんま虎なのは我ながらいただけない。模様やカタチをデフォルメするとどうしてもマンガチックになる。デザイン年賀状と銘打っているので、もう少しデザイン的にデフォルメ出来ないか…と思ったが、諦めた。いかんせん発想力不足である。

どんな職業でもキャリアを積むと手慣れる。普通の人が何時間もかかるところを僅かの時間で終わらせてしまう。その差は何十倍もある。それはそれでひとつのウリではある。しかし、時間が早いだけでは、所詮コンピュータにはかなわない。単なる時間ではない質の面で絶対に追いつけない差をつけるのがプロのプロたる所以だ。自分でそれが今出来ない事がはらただしい。言い訳すれば自分はグラフィックデザイナーであり、イラストレーターではない。さらに、この数年は現場から離れ、グラフィックデザイナーの頭に「元」がつく。自戒を込めて言えば手慣れた分をさっさと時間短縮だけに使っているだけかもしれない。

プロの自負は強烈である。来るなら来い、かかって来い、絶対に負けない!位の気合いが必要だ。ともすれば鼻につくほど過剰なものだ。それはおそらく自分のしてきた事、やっている事、あるいは作り上げたものに絶対の自信があり、そのこだわりと独創性に裏打ちされた自信だろう。一体、何様のつもりやねん!と突っ込みたい位の職人をみる度に、そう思う。彼らはそれだけのこだわりと執念をもって仕事をしているのだと。さらに言えば、本物のプロの言葉は、腰が低くて丁寧だ。実るほど頭を垂れる稲穂の如く、物腰が柔らかい。負ける筈がないゆとりから生まれる言葉だろう。全く聞くこちらが頭を垂れてしまう。

日本はよくモノ作り大国だと言われる。本当にそうなのか。疑問に思う。品質が良い、丁寧、それは時間をかけて、そこから短縮すれば何とかなる話しだ。手慣れて時間を短縮しただけのモノ作りなら、いつか追いつかれる。誰もが考えつかない斬新な発想や、根底からこれまでの常識が覆るようなオリジナリティのある発想がなければ、追随を許さないモノ(カタチのないものも含めて)は出来ないのではないか。モノ作り大国ではなく発想の大国でなければならない筈だ。その発想を生み出す土壌が本当に日本にあるのか。真剣に考えると天を仰ぎたくなる。

その意味でモノ作り大国も、キャッチフレーズで勘違いするのではないかと心配だ。モノ作りが中国に行ったって構わないではないか。そもそも今の中国人の勤勉さや上昇志向のエネルギーに日本人は到底太刀打ちが出来ない。負ける勝負にこだわり続けると致命傷になる。単なる品質や丁寧さではない、圧倒的なオリジナリティで勝負する国になって欲しい。願わくば、発想の大国日本と言わずに黙っていても言われるようになって欲しいものだ。

私の会社の名はアイデア工房という。知的生産工場のサブキャッチがついている。30才の時に命名した。いまだに名前負けしている。でも常に名前がアイデンティティとなっている。今に見ていろ僕だって…と路傍の石のように考え続けている。しかし結果が出ない石ころのままの現状を思うと、思わず天を仰ぎたくなる。

すると、以前に吐いた不遜な言葉がつばとなって落ちてきている気がする。言葉でなんだかんだ言ってるうちは本物じゃないな…と痛感するのみである。

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2009年9月14日 (月)

d02-時の流れと干支の記憶

D02
●ゴルフ年賀状

前回の反省を元に書き殴りをやめた。今回はマウスで線を手作りして描いたのだが、毎度同じ事を繰り返していると痛感。結果としてタブレットで書き殴るよりも早く丁寧になる。毎年思って忘れる。学習効果が働かない。さて、ゴルフと言えば今は石川遼。一世を風靡している少年をテーマに描かない訳にはいかない。擬人化に関しては毎度の事ながら、動物をそのまま人間に見立てる。顔だけ動物にする方法がある。ここは好みの問題だが、どうにも胴体だけ人間で顔だけ動物の擬人化は、安直すぎて好きになれない。そこで今回も全身動物にしている。

ゴルフ好きの人はショットの後の軸がぶれて腰のラインが曲がっているじゃないか…と指摘したくなるかもしれない。だが、自分はゴルフをしない。そこは寛容になろうじゃないか。

デザイン年賀状を始めた頃は、まだ40代半ばだった。それから10年が過ぎ去った。あっという間の出来事だ。時の移ろいの速さを思い知る。年輩の人に受ける年賀状を…と言われる事も多いが、年輩って何歳からを言うのだろう。自分も充分年輩のうちにはいっているのではないか…。うちのサイトのファンは若い人より、どちらかと言えば40代50代が大勢を占めている気がする。毎年自分宛に送られてくる年賀状は同世代プラスマイナス10才が圧倒的だ。その世代だから律儀に送ってくるのか、それとも違うのか、確証がある訳ではない。もし同世代に受けているのならば、一緒に歳をとっている事になる。サイトはヘビから始まって、今年はトラ。後2年で1周する事になる。古くから使っている方にとってはきっと同じ思いに違いない。

その間に小学生低学年だった子供が、あっという間に一躍スターダムに乗り上げ、世界で活躍している。石川遼君の事である。こんな子供がいたら…の第1位はその石川遼君だった(当然と言えば当然かもしれないが、そんな願望はどあつかましいとも言える)その両親と同じ世代って事になるのだが、俺、その間、止まっていたのか…という位、同じ事をしている。情けないな〜。同じく小学生低学年だった少年のうちの息子は、あまりに普通だ。う〜〜ん、英才教育していなかったのが悪いのか、それともDNAが悪いのか…。おそらく後者に違いない。ちなみに子供は二人いるが全く絵は描けない。

記憶は普通は何かのキーワードと一緒にしまい込まれる。大事件であったり、流行った曲であったり、一瞬の風景だったりする。記憶を呼び覚ます手立てとして実に有効だ。9.11の事件もアメリカ人ならずとも、その時に何をしていたか、覚えているに違いない。年賀状の干支も同じ効果がある。12年前の記憶が絵柄と共に甦ってくるからだ。あの時どんな思いだったか、何をしていたか、感情までが再現される事も少なくない。

み〜〜〜〜んな、年末になって何でそんなに根性出して年賀状作るの?と問われたら、それは思い出を作る為さ…と答えるのも一興かもしれない。(…って、気取りすぎやな)

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2009年9月 7日 (月)

c02-アフィリエイト広告考

C02●タイガーマスク風

何の変哲もないデザインだ。正月や和風と言えば菱形。ただその菱形にトラを入れただけの特色のないものだが、この時期に素晴らしいアイデアなんて早々出てくるものではない。もう少し待ってもらえれば、土壇場に追い込まれて苦し紛れの怪しい年賀状デザインが出来るのではないかと思う。(…と信じている)

年賀状の発売時期だけは10月29日からと決まったそうだ。少しづつ年賀状の発売時期が前倒しになっている気がする。それだけ年賀状の販売が減ってきている事の証左かと思う。しかし考えてみれば、少子化で日本の人口は逆三角形になり、年賀状世代はどんどん鬼籍に入っていく。年賀状が廃れているのではなく、年賀状を出す人間が減っているのだから、発行枚数、発売枚数は減って当然とも言える。

年賀状は正月だけの風物詩である。正月に年賀状が届いて、人それぞれの消息や近況を確認しながら、年の移ろいを感じ取るのだ。なくても困らないが、なかったら誰もが寂しい。カンタンに廃れる事はない。何故なら、年賀状は郵便事業会社だけではない、様々な業界の利益を生み出す裾野の広い商品だからだ。印刷、出版、写真、プリンタ、パソコン、ソフト、筆記具、さらにそれを販売するチャネルも幅広い。その業界が互いにしのぎを削る。郵便事業会社が販促しなくても、年賀状関連ビジネスが年賀状に関する怒濤の宣伝を行う。急速にその文化がしぼむ筈がないだろう。

昔、ワープロがあった頃、毎年年賀状を出すだけの為にワープロを買い換えるような人もいた。1枚辺りどれだけ金をかけるねん…という程、年賀状に入れ込むかと言えば…そうでもなく、単純に面倒だからカンタンに作りたい、その一心でお金を使う。不思議なものだ。そのくせ、人と違うもの、自己主張はしたい、目立ちたい…など欲望は限りない。昔と今の最大の違いは、金をかけないで…が加わった事だろう。

その傾向にいくらかでも荷担している自分が言うのもおかしいが、タダで…という風潮にはどうしても賛成出来ない。インターネットではそれが顕著にでているが、何でもかんでも無料だ無料だといって経済がまわる筈がない。上から俯瞰したらそれがおかしい事は誰でも分かる。何を作っても、費用が発生するのは世の常だ。タダの場合、それを回収する仕組みがどこかに存在している。していなければおかしい。自分の場合は、それが最初は単なる自己満足や、カタルシスだったような覚えがある。しかし、それでは結局維持が出来ない。

結果、皆が分かるように似たようなアフィリエイトサイトが跋扈している。広告で元を取るって訳だ。年賀状のサイトも死ぬほど出てきたが、どれもこれも広告で儲ける事だけが優先していて内容は二の次三の次。これも早晩持たない事ははっきりしている。いずれ淘汰されるだろう。私自身はあまり広告を貼らない。広告で稼ぐことを良しとしていないからだ。良くないと言ってる訳ではない。私はどちらかと言えば広告を出稿する側にいる。だから広告効果に対して非常にシビアにならざるを得ない。広告主としてみるならば、到底無料の年賀状のサイトに広告を出稿する気になれない。あまりに費用対効果が悪いからだ。だから、そんな効果の薄い広告を表示する事に若干の抵抗がある。

広告を出稿している人なら分かると思うが、広告効果に関するレポートはどんどん充実している。インチキでもしない限り、効果のないサイトは自動的に広告収入が消滅する仕組みになってきている。事実、私はオーバーチュアやアドワーズの広告から効果のない無料サイトへの掲載を全て削除している。広告主だけではなくオーバーチュアやアドワーズ自体が効果がない事は自社にとって死活問題だから、さらに効果を高めるツールや効果のないサイトを排除していく傾向にあるのは間違いない。

最終的に無料だけをうたうサイトは広告以外の回収方法があるか、余程の魅力がない限り、存在できなくなるし、無料だけを求める人はそれなりのものしか手に入らなくなると思う。そうでなければならないし、それはごく自然な成り行きであり、本来のあるべき姿だろう…と信じている。

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2009年9月 3日 (木)

c01-浮世絵歌舞伎風

C01●浮世絵歌舞伎風

歌舞伎と言えば、プロレスファンにとっては高千穂しか浮かばないが、歌舞伎の独特の化粧、あの赤い色を黒にしたら虎に見えるんじゃないか…とふと思った。最初は歌舞伎の演技を絵に…とも思ったが、実際に歌舞伎を観たことがないのでよく分からない。そこで浮世絵を利用する事にした。最大の利点は著作権がないことだ。(我ながら実にセコイ動機だ)歌川国政の市川団十郎の絵である。(これも良く分かっていない)

顔が黄色いだけでどこが虎だ…とおっしゃるあなた。思いやりって言葉知ってます?ああ、なるほど〜、こういうことかな。善意に解釈すればそういうことかもしれないな〜〜…と、納得してしまうあれだ。この場合、相手に好意を持っていないと、なかなか善意にとれない。そこで…


まずは、私に好意を持つことをおすすめします。(何でやねん)


浮世絵と言えば、ゴッホやモネに影響を与えたのは有名だが、写実的な西洋画家がデフォルメの極致のような浮世絵に興味を持った事が面白い。現代ではアニメや漫画が世界を席巻しているが、その原型を浮世絵にみる思いだ。昨年、奈良で開催された浮世絵展に行った。奈良に行ったらたまたま展示会をしていたというのが正解だ。じっと観ていたがまるで漫画を見ているようだった。この文化の発祥の起源は何なのだろうと興味を持った。鳥獣戯画を持ち出されても古すぎてピンと来ないが、どこかに何でもデフォルメをする民族的な特徴があるのかもしれない。そう考えると、俳句も盆栽もデフォルメと言えなくもない。

考えればデザインだってデフォルメの一種だ。カタチや特徴を四捨五入し整える作業だ。デフォルメは実は物事の真理を捉える力が必要なので、カンタンのようでいて実は難しい。デフォルメの上手い人ほど、対象の特徴を捉える達人なのだろう。

しかし、そのデフォルメが行きすぎて、昨今、人の労働や給与までが四捨五入されている。切り上げられる分には問題ないだろうが、切り捨ては悲しい。そのうちに君はもう要らない…と社会から四捨五入されてはたまらない。年齢的に自分もそんな恐れを抱いたりするのである。そこで私は痛切に思うわけだ。政治家ではないが、国民に対して、まずは第一に…


私に好意を持つことをおすすめします。(何でやねん)

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2009年8月27日 (木)

b02-トラ模様の鏡餅

B02

●虎模様の鏡餅

こんなん自分でも作れると怒らないように…。殆どこじつけとしか言いようのない模様が入っただけの鏡餅である。当然こういうのも混ぜないと到底間が持たない。トラばかり描いていてはすぐにネタが尽きるからだ。模様が特徴的なので楽と言えば楽だが、特徴的過ぎて、見立てという技法が使いにくい。カタチが特徴的なものには、よく見ると確かにそうだ…という手が使える。だが、トラは模様は確かに特徴的だが、例えばシルエットにすると、チータか豹か(この区別が自分でついていないが)猫なのかの区別がつきにくい。ネコ科はみな似ている。大きいとトラだと言われても、大きさの表現は難しい。かといって、トラのヨコに全てタバコを描く訳にもいかない。

尻尾だけ切り取る、口元だけ強調する、或いは目だけとか色々と手は浮かぶが、それでも黄色と黒の模様はもれなく付いてくる。この部分が辛いと言えば辛い。だったら模様を逆手に取ろうというのが、餅にトラという手法である。それにしても今年はインクジェットプリンタのメーカーは黄色のインクを余分に生産するに違いない。だから、ここはなんとか黄色を使わなくてもすむデザインを出来るだけ作りたいと考えている。

今年は、心に届け年賀状コンテストの高校生部門として年賀状甲子園という企画を考えている。10月1日からエントリーを開始する予定だ。今、その準備に追われている。高校対抗年賀状コンテストって訳だ。安直この上ない。しかし、メールですませようって世代の筆頭格であるから、何としてもこの世代に手書きの年賀状を作って欲しいと思う。ここに来ている人は、おそらく高校生の親の世代が多い筈だ。是非とも、子供を説得して年賀状甲子園に参加するようお願いしたい。(詳細は1ヶ月後の発表予定)


青春は決して汗だけではないのだ!脳みそにも汗をかいてもらおう!


私の高校の時なんて、ああた、そりゃあもう、クラブにも行かず、かといって文化活動をする訳でもなく、なんちゅうか、暇をもてあました、実に翔んだ奴だったのでございます。最先端?ぶるる!(首をヨコにふる)翔ぶだけに飛行少年っちゅう事でしょうか。それは非行だろうって?どっちでも似たようなもんだ。中途半端に悪かった。悪を極める訳でもなく、決してよい子でもない。そんな青春時代を送った奴からみると、近頃の高校生と来たら、やけに品が良く出来た子ばかりだ。


だから声を大にして言いたい。脳みそにも汗をかいてもらおう!高校生の皆さん、よろしく〜!(全く文脈がつながっていない)

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2009年8月21日 (金)

b01-トラのガッツポーズ

B01
●トラのガッツポーズ

毎年使っているトラのガッツポーズ。ゼロが2つ並ぶのは今回が最後となる。例年ヨコ型なのだが、あまりに安直で収まりが良すぎて自分としては気に入らなかった。なので今年は善し悪しは別にして、縦型で絵を斜めにした。右上がりでゲンが良い筈だ。え、後ろに落ちかけて下っているって?そ、それはとんでもないマイナス思考だ。ここは前向きに物事を考えよう。

一見、タイガーマスクが、顔面パンチをくらわす寸前の図に見えない事はない。今は亡き2代目タイガーマスクこと、三沢光晴を偲び、プロレスファンの方には是非使って頂きたい。顔面パンチじゃなくて、そこはエルボーだろ…というのはマニアックな人だけだ。いや、たった今気がついたが、手を折り曲げてエルボーを見舞う寸前の図にしたら手を挙げてガッツポーズに見えたかもしれない。う〜〜ん、し、しまった。

デザイン年賀状では必ず余白をとり、断ち落としを避けている。断ち落としとは素人でも分かるように言えばインクジェットの「フチナシ」だ。これを取り入れると格段にレイアウトやデザインの自由度は増える。しかし、実際には印刷では使いにくい。避けるのは一種の職業病に近い。自からは不自由で苦しいのだが、使う人にとっての自由度は高い。これが断ち落としデザインをしない理由である。

さらに今年は余計な文章を可能な限り避けたいと考えている。ひとつは挨拶文は自分の手書きでコメントを入れて欲しいからだ。もうひとつはフォントの使用権の問題も絡むので、一見書体のアウトラインを取ったように見えるが、実は文字は全て一からひとつひとつ作った文字となっている。絶対に駄目かどうかまでは判断出来ないが、グレーゾーンなので既存の書体は一切使わない事にした。ありがちな文字だけ予めデザインしてある。(若干バランスが悪いのはご容赦)だから中途半端に文章を入れると文字のデザインだけで大変な事になってしまうのも大きな理由だ。

少し専門的になるが、名誉の為に書いておくと、うちの会社では、業界のスタンダードであるモリサワパスポートのライセンス料を4台分支払って運用している。だからモリサワの書体についてはきちんとライセンスをクリアしている。しかし、不特定多数に例え画像であっても文字を含んだデータそのものを供給する事が、ライセンスに抵触する可能性がないとはいえない為に、今年から年賀状には一切使用しない事にした。(但し、印刷や、モリサワの書体を使った印刷物を販売する事は認められている。)


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2009年8月19日 (水)

a02-赤い虎


A02●赤い虎のシルエット

これも使い回しのパターンだ。ただ、発想が使い回しなだけで、使い回せる部品はない。本来は動きのある虎にしたかったが、まだ頭の中に虎の骨格が入っていない。動きがなく、平面的な所が欠点だ。本来は下から見上げる感じの方が迫力があるだろう。向きも斜めになっているとさらに良い。でも、下から見ると頭がこうなって、でもって足がこうなって、すると胴体がどうなるんだ…と考えていたら頭が痛くなったのでやめた。もう少し数をこなして、こなれてくると、すんなりと描けるようになる筈だ。だけど馴れたらほぼ終わりとうのは、世の常だ。

シルエットにすると、虎は特徴である模様が見えない。何が何だか分からなくなる。あまり気がすすまなかったが、申し訳程度に縞模様を入れた。この場合、虎と分かれば良い。細かく入れる必要性はない。イマイチ納得できないまま、妥協して画像にしてから気がついた。ヒゲを入れるのを忘れてしまったのだ。でも一応虎に見えるので、ここは敢えて省略という事にしよう。

虎やウサギ、ネズミなどは特徴的なので干支の中でも本来はAクラスのたやすさだ。だけど黄色に黒の縞模様だけではうんざりする。今年は黄色のインクがいっぱい消費されるに違いない。だけど、虎らしい虎ばかり描いても仕方がない。出来るだけ虎らしくない虎で、でもよく見ればやっぱり虎に見えなくもない…って虎が一番良い。(自分で書いててようわからん表現だ)まあ一列目や二列目は、定番もので埋め尽くす事になる。定番ものと言っても世間一般ではなく、自分にとっての定番である事は言うまでもない。

(業務用は45点作ったけれど)いつもの事ながら、最初は何か馴染まないというか、しっくり来ないというか。調子が上がらない。追い込まれていない事が大きな要因だ。人は常に期限があるから間に合わせようとする。終わりから逆算する。終わりがあまりにかすんで遠いと、力が入らない。如何に締め切りが大切かがよく分かる。

ビジネスでも期限を切るのは常道である。いつまでにこれをすると区切りをつけるから、少しづつ前進する。いつでも良いは、してはいけないに等しい。出来る人は常に自己管理して、自分で期限を切る。人の能力の差なんてそれほどあるとは思えない。もしも能力があるとすれば、きっとその点に違いない。ここだけの話し、自己管理能力がない事には圧倒的に自信がある。(自慢にもならん)だれか私に自己管理能力を授けてください。

だけど、もしも明日が、12月15日ならば…。数日で全部埋め尽くす自信がある。ここだけの話し、私は土壇場には圧倒的に強いのだ。誰か、私に土壇場を下さい。

だけど、もしももしも、美女がニンジンぶら下げてくれたら、明日中に埋め尽くす自信がある、ここだけの話し、私は女性に圧倒的に弱いのだ。誰か私に…(以下自粛)

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2009年8月11日 (火)

a01-定番・虎のご挨拶


A01●虎に笑顔は似合わない

毎年同じパターンでいい加減変えたらどない?と言われそうな図柄である。それでも一応手を抜いていそうで、それなりに工夫して違うように見せている。今年は出来るだけ図柄はシンプルにしたいと思っている。余計な文字やイラストの部品は排して、表情に含みを持たせたいからだ。見る人によって取り方が変わる。その方が後で文字を入れてどういう風にもアレンジが効く。

さて、虎の虎たる所以はあのふてぶてしさにある。全身から醸し出すあの畏怖感、緊張感のかたまりのような表情。そんな虎に笑顔のにこやかな媚びた態度はどう考えても似合わない。デザイン的には丸で統一しているので、当然口も丸にした方が統一感はある。しかし、笑顔の虎も悪くはないが、俺はイヤだ。孤高を保つイメージに虎ほど相応しい動物はいない。仕事だから、笑顔でないといけない等とほざく奴は誰だ。俺は俺だ!という主張を込めて、ここはキリリと口を真一文字にした。個人的な趣味だろうって?そうかもしれない。しかし、ビジネスだって媚びた態度は軽蔑される。例え仕事を貰う立場であっても、買っていただく立場であったとしても、誰もが常に対等でありたい筈だ。

皆が皆、同じ方向を向いているのは俯瞰すると、あまり気持ちの良い光景とはいえない。逆に反対方向を向いている方が目立つ。天の邪鬼と呼ばれる事はビジネスにおいては最大級のほめ言葉だ。人と違う主張を持っている事は武器である。それこそが虎の最大の魅力ではないだろうか。…とは言ってもこのご時世である。俺は俺だとばかり主張して仕事を失っては元も子もないと考える人だって少なくないだろう。だけど、それでも尊敬されて最後に生き残るのは、自らのポリシーを持っている者だと信じたい。

この年賀状はよろしくお願いしますでも(お仕事ください…や、当店の商品を買ってね…)には当然似合わない。そう思うでしょ?同じよろしくお願いしますであっても(互いに厳しいご時世ではあるが、共に堪え忍んで共に生き延びようではないか…もし己だけ生き延びよう等という魂胆ならば、承知しないぞ!ガオー!)くらいの意気込みがあるのである。軟弱ではない、実に硬派な年賀状なのだ。但し、それで仕事を失っても責任は持てないので、そこんとこは、例年通り、本年もどうぞよろしく!

年賀状は硬派でも、作っている俺は軟派なのであった(ガオー!)

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2009年8月 8日 (土)

年賀状2010年寅年リニューアル

Rogo昨日、8月7日にデザイン年賀状2010年寅年のリニューアルを終えた。例年より早い出だしかもしれない。今年は寅年という事で、色々と考えたが、虎の巻しか浮かばず、サブキャッチはウル虎の巻。年賀状作成に困っている人の為の奥の手になろうという訳だ。まだ絵は1点も入っていない。来週明けにも定番ものを1点作成してアップしようと考えている。それにしても、まだお盆前で暑中見舞いの季節といっても良い位なのに、何で年賀状なのだろう。(ここはダイワハウスのイントネーションで読む)

メールマガジンが非常にしんどい作業なので、ブログで公開に切り替えた。あまりブログは乗り気ではなかったが、メールマガジンだとリンクだけなので絵が表示出来ない為に、ブログしか選択肢がなかったのが実際のところだ。本来の目的は、負荷低減の為に年賀状のヨコにあったコメント書きの移行にあり、サイト→メルマガ→ブログという変遷を辿った事になる。なので、年賀状以外の事を書くことはない。

本格稼働は9月に入ってからとなる予定。ブログに移行した事はまだ触れていないので、1点目をアップと同時にメルマガ閉鎖とブログ移行を伝えます。

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